2011年3月5日土曜日

ささやかな幸せ

冬になると、自宅のロフトから、常念岳とその横っちょにチラッと槍ヶ岳のピーク(黒矢印)が見えます。別にそれだけのことなんですが、この「ちょっこっと槍ピーク」が見える住宅地は、松本市内では僕の自宅周辺だけなのですね。だから僕はこの地に家を建てることにしたのです。僕にとってはささやかな幸せです。













しかしまあ、どうしてヒトは高いものを見ると嬉しくなるのでしょうか。東京スカイツリーの建造現場に連日、大勢のヒトが集まっているそうだしね。サルは外敵から襲われないように高い木に登って寝るので、その時見た風景が記憶に残っているのでしょうか。あるいは高い所に登って、餌を探していたそうなので、高い所→生存確率高くなる→快・幸せ、となって、高い所に登らないで下から見上げるだけでも、高い所にいる自分を想像して、幸せな気持ちになれるのでしょうかね。


ところでまったく別の話ですが、先日、上高地に行った折、冬なので餌がないのか、梓川で「ざざむし」を取って食べているサルを見つけました(写真下左)。われわれヒトはサルの頃から、山間部では蛋白源として「ざざむし」を食べていたんだと、妙に納得したのでした。川の中のサルを見てると、とても美味しそうに「ざざむし」を食べておりました。写真(下右)からは、エビやシャコに似ているように思うので、これらの活造り様の味でしょうか。信州に来て「ざざむし」は食べたことがないので、今度トライしてみますかね。


2011年3月1日火曜日

四度 信州酒蔵ツアー

山女や(http://restaurant.gourmet.yahoo.co.jp/0004484262/review/detail/4/)の○子さんの主催で、4回連続で宮島酒店(http://www.miyajima.net/)の酒蔵見学に行って参りました。年々参加数が増えて、チャーターバスが大きくなって、今年は30名弱の方々が参加されました。

昨年、宮島酒店の社長さんが信州大学で手術をされて完治されたそうで、その時、当科の▲野先生が麻酔を担当した話が出ました。参加者も毎年、歳とっていくので、これからは病気や入院の話も出てくるのでしょうね。それにしても、同じ高校の同じクラブの先輩と後輩が患者さんと麻酔科医として対面し、また酒蔵ツアーで、酒造り側と試飲側で、何事もなかったかのように顔を会わせているのも、なかなか面白い関係といえます。

信州には沢山の酒造メーカーがあるので、新酒の試飲の会も沢山あると思います。しかし元信州大学の△川先生を囲む会として始まったこの会は、△川先生、山女やの○子さん、信州大学の■澤先生、そして宮島酒店の社長さんのお人柄で、試飲の会を超えた会になってきたように思います。鍋□株式会社の方々や、医局旅行でお世話になっている黒□先生とも、毎年この会でお会いし会話が弾みます。宮島酒店の美味しいお酒で酔っ払った頭でぼんやりと考えて、どうやらこの会が同窓会のような雰囲気になってきたように思いました。今年は教室の若い女性2名も参加してくれたので、老若男女が混じった同窓会という雰囲気です(下写真-写真の許可を全員から貰っていないのでぼかしたつもり)。

来年も酒蔵ツアーに行きますので、是非とも同窓会的なこの会に、大勢参加してくださいな。

2011年2月22日火曜日

スノーシューを履いて上高地

麻酔科山岳部の初冬山行として、学生諸君と一緒にスノーシュー/ワカンを履いて上高地に行って参りました。晴天の穂高がとてもきれいでした(下写真上)。釜トンネルの中が一番寒くて真っ暗で(下写真中)、つらかった。しかしトンネルを抜けるとまさに上高地の雪の中で、素晴らしい景色が待っていました(下写真下)。

上高地は冬でも沢山の人が入山するようになり、今回もスノーシューを持った中高年の姿が目立ちましたね。確かに雪の上を歩いても沈まないので、平坦な場所での雪上歩きが楽しめます、こりゃ病みつきになりますね。ただ斜面を登っていてバランスを崩して後退しようとしたら、ひっくり返ってしまいました。やはり日本の冬山の急斜面のラッセルでは、ワカン+アイゼンが便利な気がしましたね。でも今後の人生で、冬山の急斜面をラッセルする予定はないので、スノーシューを購入しようと思いましたね。今回は医学部山岳部のをお借りしたので...

それにしてもスノーシューという名称は困ったものです。スノトレ、スノーシューズ、スノーシューと、名称は似ているのに、それぞれ示すものが違います。スノトレは北海道で僕も履いていました。スノートレーニングシューズ/スノートレッキングシューズの略ですね。スノーシューズはごわっとしたブーツあるいは長靴でしょうか。スノーシューは日本語としては、前半の「スノー」のsyllableにアクセントを置きつつ、少し伸ばして発音するようです。でも英語としては、後ろのsyllableの'shoes'にアクセントがありそうだし、何よりa pair of snowshoesと複数形にしないと欧米人には通じないだろうし(http://en.wikipedia.org/wiki/Snowshoe)。そこで提案です。もっとかっこいいスノーシューの名称を考えましょう。僕はsnow-floats、あるいはsnow-striderがいいのではないかと思うのですが、いかがでしょうか。忍者が水の上を歩く時に履くのがfloatsだそうです。water-striderがアメンボなので(下写真)、いっそsnow-amemboとでもした方がいいかも知れません。でもその場合、やっぱり正確にはa pair of snowamembosというのだろうなぁ。ということで、次回は王ヶ頭ホテルまで行って、美ヶ原をsnowamembosを履いて散策する予定です。春までには何とか時間を作りたいものですね。

2011年1月13日木曜日

(再び)世の中まだまだ捨てたもんじゃない

信州大学麻酔科のK先生が、日本麻○科学会のもっとも権威あるY賞を受賞しました。まだ正式公表される前なので内緒にしてて下さいね...(といってもここに書いてしまいましたが...)。本当によかった!! おめでとうございます。世の中まだまだ捨てたもんじゃないね。今回の受賞となったK先生の仕事の大半は、前任地の札□医大でのものですが、これらを基盤に現在も信州で研究が継続・発展されているので、信州の皆さんの大いなる励みになると思います。信州大学麻酔科の2011年の一大ニュースですね。

K先生は10年近く前のある日、元ボスに呼ばれて緩和医療のチーフになるよう言い渡されました。教授室から出てきたK先生は真っ青な顔をしていたように思います。当時の麻酔科医にとって、「緩和医療に従事せよ」というのは、「北極圏のシロクマになれ」と言われるのに等しかったものね。つまりナンバーワンかも知れないけれど、氷で閉ざされた極寒の地しか与えられず、麻酔科医が住む温暖な世界からは遠く離れた荒地だったからね。

K先生はとても口惜しかったと思います。それでもやる気をなくさないで、むしろ逆境をチャンスに変えました。緩和医療という経験則だけの「北極圏医療」を、学問・サイエンスに発展させることをライフワークに据えて、その後、奮闘努力されてきました。夜中や土日を潰して、黙々と癌ネズミで実験を重ねて、業績を挙げてきました。ですから今回の受賞は当然だと思います。しかしそんなK先生ですらすんなりと受賞できず、落胆したこともあったと思います。

しかし今回の決定で、日本麻○科学会を見直しましたね。日本麻○科学会学術委員会は、ギリギリちゃんとしているじゃあないか!! もう1-2年早ければ、もっとよかったのですが、今回は受賞者が2名とのことですので、内部で喧々諤々の議論があったのかも知れません。だからこそ、今回、K先生を推してくれた選考委員会の見識に心から敬意を払います。本当にありがとうございました(本来、僕が言うべき立場ではないでしょうが...)。

夜中や土日に、誰もいない実験室で一人実験をしていると、真っ暗闇の山の中を一人で彷徨っているような不安な気持ちになります。自分の彷徨は意味のある行動なのだろうか、目指す尾根を大きく間違えているのじゃないだろうか、この道の先に本当に光はあるのだろうか...等々。人がやらないテーマだからこそライフワークになりうるのですが、人がやらないことに没頭し、かつ、その作業を継続するためには、絶えず自分の中の孤独感や不安感と闘わなければなりません。あまりに孤独な時間が長すぎると、進むのを止めて下山したり、自分の思い込みで進路が大きく逸れていくことがあります。ライフワークが成就しない所以です。だから時々、「君は間違っていないよ、自分を信じて進みなさい」と誰かに励ましてもらう必要があります。そのために僕たちは「教室」というグループを作り、その内部の仲間同士お互い励まし合い、勇気をもらったり、逆に与えたりしながら、切磋琢磨していかなければならないのだと思います。

賞がすべてではありません。しかし挫けそうになった時、賞を貰うことで再び奮い立つことができるかも知れません。改めて孤独に耐えて、ライフワークに邁進していく勇気が貰えることがあるかも知れない。モーパッサンがいうように「才能とは持続する情熱」です。人には元来、能力差はありません。情熱を持続できるかどうかが分かれ目です。賞を貰うことで情熱が持続すれば、賞を貰う意味があったというものです。

今回、日本麻○科学会によって、K先生や信州大学麻酔科に、研究を継続していく勇気と情熱が与えられたのだと思います。本当によかった、おめでとう!! そして再度、選考委員会に心から感謝したいと思います。ありがとうございました!!

2011年1月7日金曜日

我あり、故に我思う

たまには読んだ本のことでも... 

正月休みに、デカルト関連の本を2冊読みました。『デカルトの誤り』(Descartes' Error)(http://www.amazon.co.jp/%E3%83%87%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%83%88%E3%81%AE%E8%AA%A4%E3%82%8A-%E6%83%85%E5%8B%95%E3%80%81%E7%90%86%E6%80%A7%E3%80%81%E4%BA%BA%E9%96%93%E3%81%AE%E8%84%B3-%E3%81%A1%E3%81%8F%E3%81%BE%E5%AD%A6%E8%8A%B8%E6%96%87%E5%BA%AB-%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%8B%E3%82%AA%EF%BD%A5R%EF%BD%A5%E3%83%80%E3%83%9E%E3%82%B7%E3%82%AA/dp/4480093028)と、

『デカルトの骨』(Descartes' Bones)(http://www.amazon.co.jp/%E3%83%87%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%83%88%E3%81%AE%E9%AA%A8-%E6%AD%BB%E5%BE%8C%E3%81%AE%E4%BC%9D%E8%A8%98-%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%BB%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%BC%E3%83%88/dp/4791765753)です。

近代医学は、勿論、デカルトの心身二元論をベースにしています。また、デカルトはアリストテレス以来、情動の一種とされた「痛み」を知覚情報として捉え直しました。『デカルトの誤り』は、神経科学者の著者ダマシオが、こうしたデカルトの二元論を誤りと断じた本です。ダマシオによると、生体では心⇔脳⇔身体、そして環境との相互作用がダイナミックに起こっています。そして感情と理性は、いずれも身体の状態と深く関わった対等な脳の活動とされ、それぞれが身体状態へも影響を与えます。

生体は進化の過程で、ホメオスタシス維持のために、まずは自律神経と内分泌系を発達させましたが、このホメオスタシス維持に情動・感情が重要な役割を行っているというのが、この本の核心部分です。「進化の過程では脳のない生物は存在したが、脳や心があって身体のない生物は存在しなかった」という言葉で、Damasioの考え方が代表されます。身体と脳・心を(そして情動や理性を)分離できないということですね。「理性があるから私(身体)がある」のではなく、「身体があるから(私がいるから)、理性がある」ということですね。「我思う、故に我あり」ではなく、「我あり、故に我思う」という主張です。この本では、さらに合理的意思決定にも、心-脳-身体のダイナミックな相互作用が不可欠であるという主張など、斬新な作業仮説が一杯詰まった本でした。面白かった。

一方、『デカルトの骨』は、宗教改革・ルネサンスを経てデカルトが出現した時代背景や、デカルト主義によりフランス、イギリス、オランダ、スウェーデンなど当時のヨーロッパ諸国に激震が走り、デカルトの思想が最終的にはアメリカ独立、フランス革命の遠因になったことが書かれており、これまた大変面白かったです。確かに「思想」はあっという間に空気として世界中に広がり、時代を席巻していきますからね。

個人的に狭義な興味としては、『デカルトの誤り』の中で、アルメイダ・リマが慢性痛の治療に、前頭前野切載術(prefrontal lobotomy)を応用していたことを知りびっくりしました(Lima. Med Contemp 1952;70:539-542) (http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/13012693)。リマは、エガス・モニス(http://en.wikipedia.org/wiki/Ant%C3%B3nio_Egas_Moniz)に協力してロボトミーを開発したポルトガルの外科医です。モニスはこのロボトミーの功績(?)により、1949年ノーベル医学生理学賞を受賞しましたが、その後、この受賞が大きな問題となりました。後年、モニス自身が、ロボトミーを施行した患者の恨みのため、銃で撃たれてしまったくらいですからね。

痛みの研究者は、島(insula)や帯状回の障害で、知覚的に痛みは感じるが不快でない状態(pain asymbolia)(http://en.wikipedia.org/wiki/Pain_asymbolia)が生じることは知っていますが、前頭前野の切截術で同様のことが起こることは、あまり知られていないと思います。しかしこの事実は大変重要だと思います。前頭前野が、痛みの情動面に重要な役割を果たしているということですからね。ロボトミーに関連した研究成果は、(恐らく)医学論文では意識的に引用されないため、人目に触れなかったのかも知れません。この本の著者であるダマシオはモニスやリマと同じポルトガル人だから、ポルトガルの医学界では常識なのかも知れません。

いずれにしても正月休みに上記2冊の本を読んで、現在の科学や社会の閉塞感は、デカルト以来の理性に重きを置いた演繹的手法が、科学だけでなく広く社会一般でも、そろそろ限界に近づいてきたせいかも知れないな、などと柄にもなく考えさせられたのでした。やっぱり京大霊長研のように、アフリカでボノボを帰納的に観察している方がより科学的なのか、なんてね。

後200年もすれば、18~20世紀は、「純粋理性」によって「純粋自然」が解明されるはずだ、という????な考え方に取りつかれた、暗黒の時代とされるかも知れません。中世ヨーロッパにおけるキリスト教と同じようにね。

2011年1月4日火曜日

京都 一乗寺界隈と松本 中町通り

2011年になりました、明けましておめでとうございます。医局の方々を対象としたこのブログも足掛け2年になりました。よくまあ続いたと思います。もう少しショボショボと続けて、役目が終われば止めようと思っておりますので、今しばらくのお付き合いを...

さて年末は恒例の忘年会で京都に行ってきました。京都に行っても、毎年、一乗寺界隈と三条界隈をブラブラするだけですが、それが楽しいのですね。学生時代は一乗寺界隈で生活のほとんどが事足りました。当時、週末毎に通った名画座(http://homepage2.nifty.com/bkbn/hakurankai.html)はつぶれ、スーパーマーケットになったし、Jass喫茶(言葉自体が死語になりましたが...)は普通の喫茶店に替り、アナーキーな雰囲気を持っていた本屋は、今ではすっかりおしゃれな、全国的に有名なお店になってしまいました(http://www.keibunsha-books.com/)。それでも一乗寺の街並みは30年前とほとんど変わらず、昔の定食屋やラーメン屋も多く残っていて、ホッとします。

以前、H薬科大学のN先生に連れて行ってもらった戸越銀座や、京都の寺町通り、札幌の狸小路など、気に入っている商店街は沢山あるのですが、商店街としてはしょぼい一乗寺界隈が一番好きです。僕と同じように、学生時代過ごした京都を離れた後も、一乗寺界隈を忘れられない人が多いようです(http://www.kanshin.com/keyword/303334)。一乗寺や修学院周辺は、京都の中心街のように排他的でなく、地元の方々と、4-5年でいなくなる学生たちと、間違って迷い込んだ観光客たちが、うまく調和して独特の雰囲気を醸し出しているからだと思います。

終の住まいである松本の、中町通りがもう少し東に延びて、恵文社のような本屋や、もう少しゆったり寛げるカフェができれば、中町通り=(一乗寺界隈+寺町通り)/2みたいになって、僕にとってはベストな空間になるのですが...そうなるまでは、毎年、仕事納めの翌日に、京都一乗寺をブラブラした後、東山三条の帆布屋さん(http://www.ichizawashinzaburohanpu.co.jp/cgi-bin/index.cgi)を覘く生活が続くように思います。だから、もっともっと頑張ってくれい、中町通り!!(http://www.mcci.or.jp/www/nakamati/)と言いたいですね。

2010年12月12日日曜日

26年振りのピッケルとアイゼン

昨日、医学部山岳部の皆さんと一緒に五竜岳遠見尾根(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E7%AB%9C%E5%B2%B3)で雪上訓練(雪訓:通称 せっくん)に行ってまいりました。この歳になって、何を今さら雪訓(?)ということで、麻酔科山岳部の諸君には声をかけずらかったし、僕自身、行くべきかどうか迷ったのですが、行ってよかったぞ、せっくん!? 








午前中から、いろいろなヴァージョンの滑落停止練習に参加しました。実際には、アイスバーン雪壁を滑落すれば、まぁ止まらんし命はないわな、と思いながらも、26年振りに持ったピッケルの感触が心地よかったです。久し振りにヘルメットもかぶれて楽しかったです。26年以上前ですが、僕が所属していた山岳部所有のヘルメットは、先輩が工事現場からもらってきた(自主的にもらってきた?)白ヘルに、「闘争」とか「○■派(セクトの名前)」とか書かれたものでした。先輩たちは、下界で振り回していたゲバ棒を、ピッケルに持ち替えて山に登っていたのですね。

せっくんの後半は、これまた26年振りにアイゼンを履いて、雪壁の登攀練習をやりました。前日買った12本歯のアイゼンは、昔よりかなり進歩しており、これなら中高年をどこにでも連れて行ってくれそうでしたね。若い頃、春は残雪斜面で、夏は剣岳の定着合宿で、そして初冬は滋賀の比良山系で「せっくん」をやり、冬山に備えました。実際、そんな学習効果が発揮される山々を目指してはいなかったのですがね... それでも冬山でザイルを出す場面では、いつも頭の中で「せっくん」の学習内容を反芻していましたね。

今から思えば、「せっくん」とは麻酔/救急におけるACLS(Advanced Cardiovascular Life Support)のようなものだったのですね。違いは、自分自身が蘇生される側に回るかも知れないので、そうならない方法を学ぶということでしょうか。今回の訓練の最後に、ビーコン(beacon)を使って雪崩遭難者救助の練習をしました。ビーコンは26年前はなかったですね。富山県警が1988年に導入し、総務省や警察庁が高性能のビーコンを開発したそうです(http://www.soumu.go.jp/soutsu/hokuriku/resarch/houkoku.pdf)。ACLSが5年毎に更新されるように、「せっくん」も26年の間に、かなり進歩しているのでした。

「せっくん」の合間に、唐松岳がチラッと見えましたが、残念ながら鹿島槍は見えませんでした。午後からは吹雪いてきたので、オープンしたばかりの五竜スキー場アルプス平のゲレンデ横を、膝上まで沈みながら下山したのでした。麻酔科山岳部の諸君、次はいよいよ年末年始の燕岳(http://www.enzanso.co.jp/sansou/ivent/toukieigyou.htm)と、2月の上高地(スノーシューで)でしょうか。