2009年3月16日月曜日

神経男とTEE

大雑把な意見だけど、麻酔科医は神経男(女)と心臓男(女)に大別されるらしい。神経男(女)とは、麻酔の中枢作用や痛みの機序、あるいは局麻の機序なんかを脳波やニューロンの活動で研究するのが好きで、臨床に役立たなくとも、ああでもないこうでもないと議論している麻酔科医のことだhttp://www.jsnacc.jp/。一方、心臓男(女)とは、複雑なネットワークは嫌いで、理にかなった現象だけを対象にする傾向にあり、循環生理や心臓麻酔が好きで、どちらかというとああでもない、こうでもないと議論することは好まず、画像やデータをみてすぐさま対応するのが好きな麻酔科医のことだそうな。そして僕は典型的な神経男だそうな。

そんな僕が、経食道エコ-(Tranesophageal Echocardiography: TEE)の2日間のセミナーhttp://www.jscva.org/に参加してきました。吃驚しましたね、200人以上の若い麻酔科医の熱気に圧倒されました。勿論、僕のような熟年麻酔科医もチラホラいて、見知った顔もあったけど、会場を埋め尽くした大半は若い麻酔科医で、雰囲気から察するに、心臓男(女)が90%以上でしたね。2日間の講義を聞いて、心臓麻酔にTEEは必須の技術になったし、TEEを通じて麻酔科医の心臓/循環に対する認識が変わりつつあると思った。
 僕が若い頃に習った心臓麻酔は、通常のモニター、肺動脈圧、心拍出量に加えて、術野の心臓の張りと動きをただひたすらに観察して、管理する方法だった。拠り所はスターリングの法則だけでしたね。拡張障害なんて考えたこともなかった。心臓麻酔とは、ボリューム管理とカテコラミンの投与に尽きる、経験則に基づいた「術」でしかなく、「技術」ではなく、もとより「学」であり得なかった。TEEの出現が、心臓麻酔のあり方を一変させたといっても過言ではないのでしょうね。

勿論、20年前、僕のような神経男も、(ここまでとは思わなかったが)TEEが将来ポピュラーになるだろうという予感はあった。だから1991年に北海道の港町の病院に赴任した時、循環器内科医にお願いして、TEEを術中入れてもらい勉強しようとした。でも麻酔導入後は、「術前とあまり変わらないね」、体外循環からのウイニング後は、「機械弁だとよくわかんないね」、を数回繰り返して、循環器内科医も僕も興味をなくしてしまった。
 あれから18年の間、TEEという新しいテクニックが広がり、新しい知見・発見に繋がりそうで今日の活況を呈していると思う。でも多分、まだ新しいテクニックが認知されて、若いうちに習得しておかなくては、という段階の熱気に過ぎないようにも思う。つまり、ノーベル賞科学者のSydney Brenner言うところの

「Progress in science depends on ①new techniques, ②new discoveries and ③new ideas, probably in that order.」

のうち、今はまだ、①~②の始めくらいの段階ではないだろか。今後、②、そして③に到達できるかどうかに、若い人達の真価が問われるんだろうね。そのあたりにまだ少し不安がある。というのは、会場の熱気は、何かを生み出そうという熱気ではなく、素早く習っておかないと取り残される、というような熱気に思えたからだ。つまり駿台の夏期講習(これまた30年前しか知らないが)の熱気に似ていたように思う。
 ともあれ、神経男(女)達がああでもない、こうでもないといっているうちに、心臓男(女)達は着実に、TEEという道具を進歩させた訳で、今年は、神経男である僕も、TEEの世界に真面目に足を踏み入れようと思う。 教室でJB-POT勉強会をして、大量合格者を出そうよ、ねえ、菱〇君、△出君。

最後に、「経食道」ということもあり、食道がんになった高見順の詩を思い出した。やっぱ、魂-神経より食道かぁ。

-魂よ-
魂よ
この際だからほんとのことを言うが
おまえより食道のほうが
私にとってはずっと貴重だったのだ
食道が失われた今それがはっきり分かった
今だったらどっちかを選べと言われたら
おまえ 魂を売り渡していたろう
(略)
魂よ
おまえの言葉より食道の行為のほうが私には貴重なのだ
口さきばかりの魂をひとつひっとらえて
行為だけの世界に連れて来たい
そして魂をガンにして苦しめてやりたい
そのとき口の達者な魂ははたしてなんと言うのだろう
(略)

(高見順 死の淵より)http://www.amazon.co.jp/%E6%AD%BB%E3%81%AE%E6%B7%B5%E3%82%88%E3%82%8A-%E8%AC%9B%E8%AB%87%E7%A4%BE%E6%96%87%E8%8A%B8%E6%96%87%E5%BA%AB-%E9%AB%98%E8%A6%8B-%E9%A0%86/dp/4061962167

2009年3月2日月曜日

羽田管制官とシンガポール研究者

NHKの番組で、羽田空港の管制官とシンガポールの研究者を主人公にしたドキュメンタリーを観た(「プロフェッショナル」と「NHKスペシャル沸騰都市」)。管制官の仕事は、「何事も起こさない」ことであるが、「何事も起こさない」ためには、管制官は、何かが起こるかも知れない、僅かな可能性をも想定し、リスクを回避し、未然に事故を防がなくてならない。
 
 一方、シンガポールは今、世界中からトップサイエンティストを招聘して、科学の世界で覇権を得ようとしているらしい。このために、何億円といった研究資金を一個人に投資して、成果を得ようとしている。その好条件に惹かれて、日本からシンガポールへと研究の場を移した研究者もいる。但し、その成果は、Nature、Science、Cellクラスの雑誌に掲載され、将来、特許や創薬に繋がることが必須のようだ。

僕も若い頃、(今となっては恥ずかしい限りだが)NatureやScienceに論文を載せたいと願い、基礎研究に励んだ時期がある。とはいえ所詮、臨床のlab.の未熟な方法論では、現象の完全証明は無理だと悟っていたが、それでも研究の方向性だけでも、Natureを目指したいと思ったものだ。しかしその後、次第に考えが変わってきた。Natureに載るような、ある意味、突飛で素晴らしい研究は、ホームランを狙うのに似ている。しかし、臨床のlab.での研究は、毎日バンドヒットを打つことではないかと考えるようになった。トップサイエンティストにしたらつまらないかも知れない。しかし、臨床医に求められている研究は、突飛な面白さを狙う仕事ではなく、奇を衒わない地道な研究の積み重ねにしかないと思うようになった。こう思うようになってから、ようやく自分の居場所がみえ、肩の力が抜け、自然体で臨床や研究に打ち込めるようになった。それまで羨ましく思っていた、基礎研究者のカッコイイ仕事ではない、自分の泥臭いin vivoの研究に、ようやく少し誇りを持てるようになった。

さて再び、羽田制官とシンガポール研究者の話に戻る。麻酔科医の仕事は、管制官の仕事に似ている。管制官は10機以上の飛行機を、風の方向を予測しながら、等間隔で飛行させるように指示を出し、高度が異なるヘリコプターの接近にも気を配り、何事も起こさず離着陸させる。一方、麻酔科医は、各臓器の機能を観察しながら、リスクを回避し何事も起こさず、無事に手術という侵襲から患者を守る。術中に何事も起こさないために、麻酔科医は存在するが、時に出血が止まらず、心筋虚血が改善せず、あるいは肺塞栓などで、危機的状況に陥ることがある。このような絶望的なジリ貧状態の中で、生体機能の起死回生となる画期的な治療法があればと、願うことがある。しかしこうした考えは、まさにホームランを狙うNature的発想かも知れない。そして、こうしたNature的発想は、残念ながら、麻酔科学の領域では即効性がないのではないだろうか。それは、試験管内の一個の細胞の動態すら、解明には程遠い生命科学と、複雑な多臓器間のネットワーク異常を、経験則を頼りに対処するしかない麻酔科学との間に、今後も、深くて暗い川が横たわり続けると考えるからだ。結局、僕たち麻酔科医は、今後もバンドヒットでつないで点を取り、重症患者を生還させる努力を続けていくことになるのだと思う。

さて、わが中学生の愚息は、上記のNHKの番組を観て、シンガポールの研究者の話には興味を示さず、羽田空港の管制官の番組にはいたく感動したようで、録画を繰り返し観ている。何が彼の琴線に触れたかはわからないが、輝かしい成果を目指す仕事とは別に、何事も起こさないことを目的とする人生にも意義を感じたくれたようで、麻酔科医の親としては望外の喜びである。職業の多くは何事も起こさないことを使命としており、臨床医学もまた、患者の体を使って医師の成果を求める(治す)ことよりも、患者を疾患や傷害から予防する(防ぐ)ことが、より重要な使命だと考えるからである。そして、誰からも褒められないが、麻酔科医こそが術中の患者の身体と尊厳を守っていると信じているからである。

2009年2月19日木曜日

Keep an open mind

カナダ トロント大学のKavanagh教授が講演に来られた。肺傷害-特に人工呼吸による肺傷害-の大家で、これまで数多くの重要な論文を出している。トロント大学病院は、年間手術数が1万5千件で、麻酔科のfacultyは58人とのことでした。僕達の3倍の手術数を、3倍近くのスタッフでやっていることになる。各部門の関連性や、運営上の資金のことなど、大きいところには大きいところなりの悩みがあるようで、問題の本質は組織の大小ではないと実感した。要は、大きいところも小さいところも、みんな苦悩しているということですね。

講演では、自身のlabからの豊富なデータをもとに、肺傷害には1回換気量、PEEP、サイトカイン、炎症細胞浸潤、すべてが関与しており、単一の共通のpathwayがなく、そのメカニズムはきわめて複雑だと述べられた。「人工呼吸による肺傷害」というような、ある意味、人工的な傷害モデルでも、メカニズムの解明が困難という状況に驚いた。僕は肺傷害の研究には門外漢だが、Kavanagh教授が最後に、こうした複雑な現象の解明のためには、「Keep an open mindが重要だ」と述べたのが印象的だった。自分の結果と合わないデータや、新しい肺傷害に関する概念が出てきても、感情的に否定しないで受け入れなさい、そして、自分のデータと統合して考えていきなさい、とでもいうことでしょうか。すべての分野に当てはまるフレーズですね。Keep an open mind、あるいはKeep your mind open、いい言葉だね。

2009年2月16日月曜日

信州酒蔵ツアー

信州の古い酒蔵を見学に行き、酒造りの苦労話と、試飲(こっちが主目的か)する会があった。信州大学がご贔屓にしている居酒屋の親父さんが主催者で、昨年に続き、今年は教室の先生と一緒に参加した。

僕より少し若い藏元の、酒造りに関する説明が、昨年同様、大変明快である。そしてそれ以上に、大学の化学科に進んだ後、酒造りを継ぐことに決めた経緯や、その後の大変な苦労とちょっとした成功、そして今だに酒造りは難しく、発展途上であるということを、ユーモアを交えて淡々を語る、その内容に胸を打たれる。いい酒を造るために考え努力し、さらに考え努力し...その先に、ほんの少しの成功を得る...というストーリーに感動する。

ここには、「努力すれば、いつかは報われる」という古風な世界観がある。残念ながら、医学の世界では、今、こうした古風な価値観が崩れつつあるのかも知れない。但し、「努力する」とは、身の丈を越えたテーマに、何の準備もせず、徒手空拳で挑むことではない。これは無謀と呼ばれる。この辺の兼ね合いが難しいんだろうね。無謀の方が、ずっと楽なんだろうなあ。

ともあれ、「努力」、すなわち、夜遅くまで論文を読み、実験(臨床)をして、とことん考え詰めた人が、いつかは必ず報われる世の中であって欲しいと願う。そうでないと、医学が進歩しないじゃないか。僕は、藏元の言葉を聴きたくて、来年も参加するだろうと思う。 教室の人も、来年、参加してみませんか。きっと勉強になりますよ。お酒のお土産もつくしね。

2009年2月13日金曜日

2008年度 ASA Refresher Course輪読を終えて

2008年5月から始めた2007ASAリフレッシャーコースレクチャーの輪読会が終了した。クリニカルクラークシップ(5年生)に読んでもらったコースも含めると、約120のレクチャーを輪読したことになる。毎回、スライドでの発表形式をとり、学会発表の練習も兼ねた。回を重ねる毎に、lecturerの写真を入れたり、イラストを添えたりする人も増えて、各人が発表に工夫するようになった。それでも、発表の声が小さかったり、カンファレンス係が不在だと、誰も司会をしようとしなかったり、まだまだ気になることもある。でも、来年度も続けるので、皆の意識が少しずつ変わっていけばいいと思う。

僕が赴任して最初に感じたことは、麻酔の知識や技術に関して、教室全体としてのディスカッションがないことだった。自分の麻酔には、とてもこだわりを持っているのに、自分以外の麻酔管理には、無関心・無頓着に思えた。そこで、麻酔の知識の共有化のために、ASAリフレッシャーコースを輪読してみた。最初はMiller's Anesthesiaを後期1年目の先生と読もうとしたけど、挫折したので、教室全員で読んでみることにした。

どうです、結構面白いレクチャーがあったでしょ。麻酔専門医でも、案外、知らないことがあったり、昔の知識が通用しなかったりするもんです。小さい教室では、すべての分野の専門家がいないので、スタッフが毎週何かをreviewしても(これがまだちゃんとできていないが)、全分野を網羅できないので、ASA  refresher courseを輪読して、麻酔の全分野に精通するよう心がけるのは大事だと思う。

そして、AHAガイドライン、ACCPガイドライン、麻酔学会からのガイドラインなど、適宜、付け加えて分担して発表してもらいましょう。知識と技術の普遍化をしなくなったら、「教室」でなくなるからね。

こうした機会を持ちながら、麻酔全般の知識と技術を向上させ、自分が進む方向性を見つけてくれたらいいと思っています。

2009年2月11日水曜日

アメリカ金融不況とグラントの未来

アメリカ発の金融不況が始まって、NIHなどの公的グラントはどうなるのだろう。2000年前から2004年まで右肩上がりだったNIHグラントは、現在では頭打ちになっており、CellやPNASに論文が掲載されても、グラントを取れずに、lab閉鎖を余儀なくされる研究者が出てきたようだ(http://www.nature.com/news/2009/090204/full/457650a.html)。これから不況がさらに進めば、NIHグラントは減額され、臨床応用しやすい内容や、特許を取れて、お金を生みそうな研究にグラントが投じられるに違いない。そしてこの傾向は日本にも波及するだろう。

すぐさま臨床応用できそうな研究を、基礎研究者に要求するのは、かなり酷である。医学部出身以外のPhDは、フワフワとした臨床の曖昧さをイメージできないだろうし、MDでも、臨床から離れて久しいと、臨床での問題点を体感できなくなっている。とはいえ、グラントの採否を決定する人も、臨床から遠くなった臨床の教授や、文科省や厚労省のお役人だろうから、結局、あたかも臨床応用できるかのように思える作文を書く才能があり、かつ、それに相応しい研究結果を出せる研究者に公的資金が集中するに違いない。 こうなると、基礎研究は逆に、臨床応用から遠ざかることになりはしないか。

僕は、臨床応用を志向した、基礎医学からの研究結果は、話半分だと思っている。話半分という意味は、基礎実験の結果を臨床応用しても、半分くらいしか成功しないだろうということと、もう一つは、基礎研究でネガティブだったとしても、もしかしたら、半分くらいは臨床でうまくいくかもしれない、という意味である。

臨床の現場は、個別化と普遍化の間をフワフワと漂っている空間である。同じ麻酔法を選んでも、まったく同じ経緯を辿る人はいないが、ある程度類型化はできる。つまり、意識(脳)、鎮痛(脊髄、末梢神経)、筋弛緩、循環、呼吸、体液・内分泌など、それぞれの体内のシステムやネットワークに対する麻酔薬の影響は、ある程度の類型化、普遍化ができるが、その順列・組み合わせは膨大となり、結果的に、生体全体の反応としては、かなり個別的な応答が得られることになる。したがって、あまりに普遍化された治療は、ある程度個別化したヒトには効かず、あまりに個別化した治療は、ある程度普遍化したヒトには応用できないということになって、臨床応用で成功を収めるのは、つくづく難しいのだと思う。

再生医学は、多能性幹細胞の成長を期待した医療なので、個体発生を辿る医学ともいえる。個体発生こそ、個別化の最たるものだから、再生医学の臨床応用を普遍化するのはかなり難しいのではなかろうか。理論的に(何の理論かは知らないが)、100%効果がある分子量300前後の化学物質治療(通常の薬物療法のことです)ですら、臨床で半分効果があれば、大したものだ。比較的単純な組織はともかく、高度に個別化した中枢神経をターゲットとした、普遍的な再生医療なんて、本当に成立し得るのだろうか。

再生自体は個体発生を考える上で、大変興味深い分野である。しかし同時に、再生医療はお金を生む匂いがする分野でもある。今、「再生」が旬なのも、後者の研究者が集まろうとしているという面が強いように思う。他方、世の中すべて「お金」の風潮が、アメリカ発金融不況の背景だと思う。この風潮が科学や医学の世界に入り込んで、日本でも大学の独立法人化や競争的資金獲得が推奨されてきた。今回のアメリカ発金融不況を契機として、もうそろそろ、科学や医学が金融化から脱することを考えてもいいのではないだろうか。

2009年2月9日月曜日

対象に迫ることと、対象から離れること

Sudhir Venkateshのブログ(http://sudhirvenkatesh.org/)を見て、臨床医学と社会学が似ていると思った。若い頃、先輩から、患者さんのバイタルサインを、自分のバイタルサインと感じるように麻酔をかけろと言われた。その結果、同じ手術と麻酔法でも、同じ経過を辿る症例などいないと思うようになった。社会学で一人に密着した結果、相手に入れ込んでしまうのに似ている。しかし普遍化するためには、対象から離れて、群間を比較しないといけない。社会学で、アンケート調査が必要なのと一緒だ。

社会学における、一個人に対するbiographicなアプローチと、アンケートをもとにしたをアプローチは、それぞれ、医学における症例報告と原著ということになるんだろうね。結局、医学も社会学も、個別化と普遍化の間でもがいているってことか。