2009年12月28日月曜日

新たな1年へ

2009年が終わろうとしています。2009年、僕たちの教室にとってのeventsは、(1) 教室員数名が愛知医大のK教授のもとで、エコーガイド下神経ブロックを研修してきたこと、(2) 杉▲先生が岡崎の生理学研究所に国内留学したこと、(3) 菱△先生が榊原記念病院で心臓麻酔研修したこと、(4) 柴○先生と井■先生が名古屋市立大学のS教授のもとでICU研修したこと、(5) 坂●先生先生が日本麻酔科学会総会(神戸)でシンポジストとして発表したこと、(6) アメリカ麻酔科学会 (ASA) に8演題採用されて10数名の教室員がNew Orleansでの学会に参加したこと、(7) JB-POTに数名の合格者が出たこと、などでしょうか。

来年は年明け早々1月より、○股先生が仲間として加わってくれますので、教室の臨床の幅が広がり、研究面では電気生理に加え、免疫染色やタンパク定量の同時計測などで、一歩進んだ研究活動を展開できると思っています。目指せ、IF 10以上の雑誌掲載!! です。来年度中には、岡崎の生理学研究所から杉▲先生が成果を持ち帰ってくれるでしょうから、電気生理部門も強化されて研究が発展すると思います。臨床では、石◇先生が4月から、国立循環器病センターでの1年間研修に出ますが、奮闘を期待しています。そして再来年以降も、後に続く人が出て欲しいと願っています。

4月末には、信州松本で日本神経麻酔集中治療研究会を主催しますので、来松される他施設の麻酔科医/研究者と知り合い刺激を受けてください。6月の日本麻酔科学会(福岡)では田■(さ)先生が招請講演するし、菱●先生もシンポジストとして発表します。7月の日本ペインクリニック学会でも、関連病院の教室員の方にシンポジストとして発表してもらいます。こうした講演やシンポジウムを通じて、他施設の麻酔科医/研究者と知り合い、先端の技術/知識を、信州の麻酔医療に反映してもらうべく努力してもらいたいと願っています。とにかく、自分の可能性を自分自身で萎めてしまわないで下さい、若者の可能性は無限なのです。最後に今年と同様、10月のASA (San Diego) には新入医局員を含めた大勢の教室員で参加して、刺激を受けて帰って来ようと思います。そしてこれ以外に教室の余裕があれば、ペインクリニックやICUでの研修にも出てもらいたいと考えているのです。

僕が赴任した後、これまでとは少し違った教室の方向性を目指しているように見えるかも知れません。しかし「根っこ」は同じです。若者の可能性を伸ばし、良質の麻酔科医を育てること」こそが教室の使命です。そして、医療/医学が、最終的には患者さんのための技術/学問である以上、社会から求められる「良質の麻酔科医」という概念は時代とともに変化せざるを得ません。つまり、「良質の麻酔科医を育てる」という教室の戦略は未来永劫変わりませんが、各時代の要請に応じ、その戦術は変更していくべきです。

医療/医学が大きく変動している現代においては、新たな技術/知識が日々、増え続けています。このような時代においては、どのような麻酔医療が後世に残るのかを、見極める力が求められます。そのためにもっとも重要なのは、温故知新だと考えています。すなわち、若いうちに良質の過去の論文を沢山読んで、現代の医療に応用すべく自らプロトコールを作成して臨床/基礎研究を行い、学会発表し、その内容を論文化(できれば英文)することが重要です。そうすることで自分が周囲から認められ、外国を含めた他施設に知り合いでき、新たな情報やアイデアが得られ、共同研究の可能性が生まれるという、プラスのスパイラルに身を置くことができます。このように、自らでsomething newな仕事をしていけば、将来、良質の麻酔科医に成長できると信じています。どんなちっぽけな仕事でもいいので、「人のしないことをしよう」と僕が言い続けている所以です。

来年度から、僕たちの教室に何人かの若い仲間が加わってくれることになりました。この若者たちに「良質の麻酔科医」になってもらうために、全力を挙げて教育していきたいと思います。そして、教室のスタッフの皆さんは、1年間、忙しい中にも笑顔を絶やさず頑張ってくれて、御苦労さまでした。心より感謝しています。新たな1年に向けて、教室員皆さんの目標を設定して、各人の高みを目指してほしいと思います。教室は、皆さん全員の希望を叶えるべく、最大限に努力していきたいと思います。

では来年も宜しくお願いいたします。年明けに皆さんと笑顔でお会いできるのを楽しみにしています。よいお年を。

2009年12月14日月曜日

1年経ちました

12月も半ばとなり、慌ただしい師走に入りました。今年の1月より小文を書き連ねて1年が経ちました。「ブログ」という柄ではないので、身回りの事象やtoo contemporaryな内容は避け、教室の方々へのメッセージとして書いてきました。数回で終わるかと心配でしたが、のんびりペースで何とか1年継続できました。よかった、よかった。

僕が赴任して2年が経ち、教室も少し落ち着いてきたのではないかと安堵しています。たとえ教室という小さな組織でも、組織は組織です。皆さんが主宰者の顔色を窺うような個人商店ではなく、小さいながらも一人一人の目標に向けて、組織としてサポートしていける民主的な教室でありたいと願います。そのためには教室を盛り上げるように、一人一人の自覚的な協力や貢献が不可欠です。臨床、教育、研究それぞれに、教授が一々口を出さなくとも、皆さんが自主的に動いて、この教室でのベストな方法を生み出していきましょう。宜しくお願いいたします。

さて先週末、岡崎の生理研(自然科学研究機構 生理学研究所)で痛みの研究会(http://www.nips.ac.jp/cs/2009itamiHP/2009itami_annai.htmlがあり、教室員4名に行ってきてもらいました。来年の1月から僕たちの仲間に加わる川◆先生も講演するし、教室の杉▲先生も生理研に国内留学しているし、そして何より来年から研究を開始する人達に、ショックを受けて欲しいと思い参加してもらいました。どうです、びっくりしたでしょ!! 発表する基礎の先生方が、何を喋っているか全然わからなかったのではないでしょうか。僕も20年近く前はそうでした。研究に関する基礎知識が不足しているのに加え、次から次へと新たな概念が出てきて、研究会に行く度に途方に暮れていましたね。

こればっかりは仕方がないのです。医者は卒業した後、診断・治療法の習得に明け暮れて、病気/病態の背景を探るといった、科学的な思考を身につける機会が少ないのです。そして、学位研究の頃初めて、厳密な科学に出会う人も多いのです。しかし卒業して何年も経って出会った科学の世界は、すでに重箱隅化して棲み分けられた世界です。僕たちは「痛みって何?」という根源的答えを求めて研究を志したつもりでも、基礎研究の現場では「●△による神経障害性疼痛の際の□▲レセプタを介した■◎キナーゼ・キナーゼの活性化」というようなテーマが主体となり、なかなか他分野の素人を寄せ付けないのです。専門化/細分化された領域は言語を特殊化するのが世の習いです。法曹界然り、医者や職人の世界然り、そして職業科学者の世界も、(意図せず)technical termという隠語で他者を排斥しようとするのかも知れませんね。だからたとえびっくりしても逃げ出さないで、臆面もなくその世界に入り込んじゃえばいいのです。やがてその内、その領域の重箱隅研究者くらいにはなれるはずです。

医者は卒業後、臨床にどっぷり浸かって臨床の「曖昧さ」を理解することが重要だと思います。その後、基礎医学の厳密な世界に出会ってびっくりしても、やがて時間とともに馴染んでいきます。但し、最初に持った「違和感」を決して忘れないで欲しいと思います。この「医学を科学しようとする際の違和感」を持つのは臨床医にとって健全で、やがて財産となるはずです。「臨床の曖昧さ」と、「厳密性を保持しようとする基礎医学への違和感」を埋めるのが、臨床医研究者(MD researcher)が行う研究の役目だと考えるからです。

これまで、基礎医学に不勉強であった自分を恥じる必要はありません。僕たちは麻酔薬で意識をなくす患者さんを日々見ています。鎮痛薬で痛みをなくす患者さんや、あるいはどんな鎮痛薬でも除去されない痛みを持った患者さんを日々見ています。こうした観察を通じても、意識や痛覚に関する「理論」は演繹されないかも知れませんが、ある種の「信念」は形成されるはずです。この信念こそは臨床医だけに得られるもので、現象の本質を含んでいると考えます。そして僕たちは、この信念につながる「理論」を求めて、基礎的研究を行おうとしているのです。これがMD researcherの研究動機であり、純粋科学を追及しようとするPh Dとの違いだと思います。

小林秀雄 は、「...(人間の)覚悟というのは、理論と信念とが一つになった時の、言わば僕等の精神の勇躍であります...」と述べています。この言葉はまさに臨床医として研究に臨む者の「覚悟」としても、当てはまるのではないでしょうか。

2009年12月7日月曜日

肉眼の科学も捨てたもんじゃない!

少し前ですが、「情熱大陸」というTV番組で佐藤克文さんを特集していました(http://www.mbs.jp/jounetsu/2009/11_22.shtml)。今年の東大生命科学シンポジウムで、講演を楽しく聞かせてもらった海洋生物学者でした(http://www.biout2009.info/lecture/lecture_c02.html)。このシンポジウム冒頭で、東大の海洋研究所が岩手県大槌町にあるので、「岩手にある東大から来ました」と言ってウケていたのを覚えています。

佐藤さんは、ワタリアホウドリなどに付けた3次元加速度計からのデータから、恐竜の仲間であるブテロサウルス(翼竜)の体重が100 kgに及ぶと推定されるので、風速ゼロの環境下での羽ばたき筋力では離陸できないという衝撃的な報告をしました(http://www.afpbb.com/article/environment-science-it/science-technology/2524733/3394407)。つまり、最初の鳥類は飛べなかった!、ということで、ダーウィンの「自然選択」に矛盾するかも知れませんね。いずれにしても、 この佐藤さんの研究では、僕達の教室のH.T.先生が麻酔科医のエネルギー消費を測定するために、腰に付けている3次元加速度計の小さいものを、ワタリアホウドリにつけたというだけです。それでも、麻酔科医が手術室で走り回って消費しているエネルギーを調べるより、ワタリアホウドリの羽ばたきデータの方がはるかにダイナミックで面白そうですね。

その他、佐藤さんはウミガラスが潜る時の体温保持の仕組みや(http://www.sciencedirect.com/science?_ob=MImg&_imagekey=B6VNH-4MXBFD8-2-7&_cdi=6179&_user=8062752&_orig=search&_coverDate=06%2F30%2F2007&_sk=998529997&view=c&wchp=dGLbVlz-zSkzV&md5=cabb52b953d4afe4cdd081e46ede6519&ie=/sdarticle.pdf)、変温動物であるウミガメが、周囲の水温よりもむしろ高い体温で保持されていることを証明しました。これって、ウミガメは機能的には恒温動物だということで、大変な発見だと思います。そしてペンギンは潜水艦のように、浮かび上がる時にはほとんどヒレを動かさずに肺の空気の浮力だけで浮上して、水面近くで空気を吐き出して速度を落とすことや(http://jeb.biologists.org/cgi/reprint/205/9/1189)、逆にアザラシは空気をほとんどはき出してから潜るので,300mの深さまでまでヒレを動かさずに一気に落ちるように潜ることを発見しました。 うーん、すごい!!  アザラシは江頭2:50よりはるかに偉い、これは冗談。

僕達の医学の世界では、病気/病態のメカニズムを知るためには、最新のカッコいい機械/技術を用いて、1個の細胞の1個のチャネルの電気活動や、タンパクの動態、あるいはDNA変化を調べないといけないと思い込んでいます。しかし佐藤さんのように、比較的単純な加速度計やビデオだけの計測系(データロガーと呼んでいる)のような、「肉眼で見える科学」が生命現象の謎を解き明かすことに感動しました。もしかしたら科学の進歩は、方法論に依存しないかも知れないね。自らの身の丈にあった技術と、生命現象を考え続ける姿勢が重要なのだと思います。こうした佐藤さんの研究姿勢は、小・中学校の夏休みの自由研究の延長にある、子供の好奇心そのものですね。佐藤さんの原点は、「誰もやらない事をやれ」というお父さんの教えだそうな、妙に納得しました。

最後に

-東大生命科学シンポジウムでの、佐藤さんの大学院生募集文-

「求む男女。ケータイ圏外、わずかな報酬、極貧。
失敗の日々。絶えざるプレッシャー、就職の保証なし。
ただし、成功の暁には知的興奮を得る。
ダーウィンもニュートンも田舎にこもって偉大な発見をしました。
岩手県大槌町で研究三昧の大学院生活を送ろう。」

うーん、いい募集案内です。僕は、「わずかな報酬、極貧」を「まあほどほどの生活」、「岩手県大槌町」を「信州松本」に代えて、「ダーウィンもニュートンも田舎にこもって偉大な発見をしました。信州松本で世界を見据えて、臨床、研究三昧の麻酔科医生活を送ろう。と言いたいですね。

2009年11月17日火曜日

研修制度をぼやく

山■大学との合同研究会があり、名古屋のK教授に特別講演をお願いしました。麻酔の歴史から始まり、麻酔科学という学問がいかに成立しているかについて造詣に富んだお話いただき、大変感銘を受けました。ただ今回はこの講演内容ではなく、講演の前にK教授と一緒にぼやいた、現在の研修制度について記します。

初期研修制度が始まって以来、初期研修+後期研修を一般病院だけで行い、卒後4-5年間、大学医局とは無関係に研修する人が増えてきました。K教授の古巣でも何年も経ってから入局してくる人が増えて、対応に苦慮しているとのことでした。勿論、このような方のなかにも、研究心を持った医師としてしっかりと成長されている方もいます。しかし医師としての成長すべき一番重要な時期をすでに逸しており、今後どのように教育していったらいいのか途方に暮れる人がいるのも事実です。 同様の事態は多くの大学で起きており、各大学では相当な危機感を持っています。

市中病院は「市中病院こそ、後期研修として医療技術を修得するには最適の場所である」と研修医を勧誘するようです。そして、「大学のように研究主体の施設で後期研修のスタートを切る意味はない」と言う施設もあるようです。私はどちらが後期研修に優れているかという議論の前に、医療/医学とは一体何かという点についての認識が必要だと思います。

もし人間の体の仕組みの大半が解明され、謎が残されておらず、現在の医療が将来も変更されることがないなら、初期教育などさほど重要な問題ではありません。 しかし私達は人間の体のことをほとんどわかっていないのです。K教授も講演でも触れられたように、「麻酔とはバランスのサイエンス」であり、生体侵襲から循環、呼吸、神経、内分泌・代謝、免疫、といった生体機能をいかにバランスよく維持(保護)するか、というのが麻酔科学の本質です。ではどのようにバランスを調整したらいいのでしょうか。各臓器の機能すらまだまだ謎に満ちているのですから、各臓器にとってバランスいい麻酔など、正解には程遠いのが実情です。麻酔科医は多少進歩したモニターと、自らの経験則や過去のデータ(論文)をもとに、「ほどほど感(勘?)」だけを頼りとして、麻酔を行っているに過ぎません。

つまり麻酔医療とは、本質的に「手探り医療」の域を出ないのです。とはいえ、こうした事情はすべての領域に共通しています。ですから古くはノーベル賞を取ったロボトミー手術から、最近の様々な医学上の問題まで、医療/医学に誤謬はついて回ります。私たちが人間の体のことをさっぱりわかっていないのですから、現在の医療/医学は誤謬を潜在的に内包せざるを得ないのです。

このように、医学/医療が不完全であるという認識を持てば、日々の麻酔技術の修得だけではなく、麻酔という現象の背後を探り、常にlogicに基づいて考え、麻酔をサイエンスに高めようと努力することが、良質の麻酔科医になるためには不可欠であることが理解できると思います。このためには個々の患者に入念な麻酔を行うだけでは不十分で、過去から現在の論文を読み、症例経験などを契機として臨床研究や基礎研究を行い、生体の謎に迫ろうとすることが重要です。こうして、良質の麻酔科医として成長するには、長い教育期間が必要となるのです。これまでは、大学医局が初期教育から一貫して長い教育を担当してきましたが、現在、その初期教育が揺らいでいるのです。 初期教育は、いわば初学者における「読み書きそろばん」の期間ですのでこの時期の揺らぎは、直ちに「基礎学力・体力の低下」となり、自立した麻酔科医の養成に支障をきたすのではないかと危惧されます。

私は○▲大学の麻酔科に入局して、直ちに論文の抄読やreviewをやらされ、臨床研究や動物実験の手伝いもさせられました。私にとってこれらの初期教育は、多くの仲間・同士との出会いや、新しい技術や知識の習得という点では楽しい日々でした。しかし、決して楽しいだけではありませんでした。論文抄読では自分の知識不足を痛感しました。徹夜で抄読会の準備をしても、先輩たちから質問の嵐でケチョンケチョンに叱られ、しばしば沈没しました。臨床研究では、普段の印象とデータ解析の結果が異なることを知り、臨床現場における印象がいかに不確かなものであるかを知りました。動物実験では、犬やネズミが麻酔により意識がなくなる姿や、痛みが抑制される状態を観察し、麻酔や鎮痛など日常臨床でわかったつもりの現象のほとんどが、未解決であることを知りました。こうした実験は、麻酔業務後に行いましたので、精神的にも体力的にも辛かったし、データ解析すると自分の予想と異なる結果ばかりで、泣きたくなりました。それでも3-4年目にはこうした研究結果をアメリカ麻酔科学会で発表させてもらいました。学会のpreview(予行)では、英語のabcの発音すらアメリカ人には通じないと叱られ、途方に暮れました。しかし学会に参加し、英語はさっぱり通じないながらも、日本国内は勿論、諸外国の麻酔科医/研究者と積極的に交流することが、麻酔科医としての成長には不可欠だと痛感しました。

こうした大学での初期教育があったからこそ、現在、自分が曲がりなりにも、一人の麻酔科医として成長できたのだと確信しています。そして、現在の大学病院や市中病院の中心的な指導医は、大学での初期教育を受けて成長してきた人たちです。ですからそうした指導医は、市中病院での楽しそうな研修に惹かれる若者には、楽しいだけでは初期研修として不十分だと考えていると思います。楽しいだけの初期教育が将来に禍根を残すのは、小・中学生における「ゆとり教育」の弊害からも明らかだからです。

初期研修の頃から、自分の力だけで努力し向上していく若い医師もいます。しかし大半の若者は、向上心はあるものの方向性がわからないため、初期教育でその後の人生が運命付けられるといっても過言ではありません。こうした若者に技術を中心とした教育をすると、現存の技術の修得のみを目標とする医師になってしまいます。いわゆる「専門医志向」という人たちです。しかし、現存の医療技術が潜在的に誤謬を内包しているのは先に述べた通りですので、こういう人たちばかりが増えると、今後の医学/医療が停滞してしまいます。そこで 私は初期教育期間こそ、分子量が僅か200-300の麻酔薬/麻酔関連薬が、意識、痛み、記憶などをなくすことの不思議に驚き、そしてその背後を共に探ろうとする指導者が必要ではないかと考えています。

私たちは麻酔という、未解決の現象を患者さんに施すことを生業としています。ですからその職業倫理として、分子量が僅か200-300の分子によって抑制されてしまう、「意識、痛み、記憶、あるいは循環・呼吸とは何か」、「ヒトが生きているということは何か」を、将来にわたって考えていくべきではないのでしょうか。 これ以外に、患者さんに対する誠実さを示す方法はないのではないでしょうか。そしてこの本質的な問いかけをする姿勢こそ、初期教育期間に芽生えるのではないかと考えています。この大切な時期にこそ、国内外の麻酔科医/研究者と交流し、将来の仲間や先生となる人たちを見つけていくきっかけを与えるべきです。「井の中の蛙」では、麻酔科医としての成長に支障が出ることが明らかだからです。

若者には無限の可能性があります。自分の目の前にいる一人の若者が、医学/医療を根底から変える医師/研究者に育つかも知れないと思いながら、私は学生/初期研修医に接しているつもりです。インスリンを発見したフレデリック・バンティングが成し遂げた過程を考えてみれば、こうした可能性が皆無ではないと思うのです。医師としてスタートを切った時点では、医師/研究者に能力差はありません。後は「やるかやらないか」です。そして偶然にアイデアを得る能力(!?)や解明に向かう情熱も、教育によって培われると信じています。そして、こうした成長のためには、初期教育こそがもっとも重要だと思うのです。

勿論、若い医師は初期教育から一生涯、大学での研鑽を続けていくべきだなどとは考えていません。ある時期、現在の医療/医学の背後にある不確実性・不明瞭性を知り、その認識のもとに他者と交流しながら勉強することが、将来、自他共に信頼される麻酔科医になるための基礎を作ると言っているのです。そして初期教育の時期こそ、自立した医師へと成長を促すためにきわめて重要な時期ですので、一人でも多くの若者が、正しい教育を受ける時期を逸しないようにと願っています。鉄は熱いうちに打つべきで、打つ時期を逸する若者がいないようにと願うのです。

若い医師を指導する側は、後期研修医になった最初の数年間に正しい教育を行わなかった場合、その若者の将来の芽を永久に摘んでしまう可能性があることを強く認識すべきだと、自戒を込めて思います。だからこそ、一つの大学だけで若い医師を教育することが、無謀だと考えているのです。 若者の可能性を伸ばすためには、大学、関連病院、国内他大学・他施設、そして海外留学など、国内外の医師/研究者との協力による、息の長い教育が不可欠です。若い麻酔科医の初期教育に携わる指導医すべてが、今一度、自らの責任の重さについて、じっくりと考えるべき時期に来ているように思うのです。

2009年11月11日水曜日

晩秋の上高地

先週、上高地に行ってきました。いよいよ閉山祭と道路が冬季閉鎖になる時期なので、紅葉はすっかり終わっていたし、すでに肌寒かったです。しかしやっぱりよかったぞ、上高地!!。実は上高地は25年振りでした。大学6年生の秋、卒業試験/国家試験前に最後に山に登っておこうと、穂高から槍ヶ岳まで友人と3名で縦走した時以来です。その時は山岳部の山行ではなく、仲良し3人での登山でしたので、山に対する先鋭的な雰囲気はまったくなく、「いよいよ卒業して、まっとうな社会人になるしかないんだな。」という、青春の終わりのノスタルジーに浸った山行でした。しかし不思議なことに、その後の人生の節目節目で脳裏に浮かんだのは、山岳部の山行で見た山々ではなく、この時、河童橋からみた穂高の風景でありました。

山岳部の山行としてピークを目指すのは、若者特有の達成感が欲しいという動機からだと思いますね。若ければ若いほど、無名であれば無名であるほど、より厳しく険しいルートを目指して山のピークに立つことで、世界に向かって自分が何者かであることを証明したいのかも知れません。しかし河童橋から穂高を見た時の感動は、こうした達成感とは少し種類が違うもののように思います。

穂高といえども、所詮地層の盛り上がりに過ぎず、やがて崩落していく運命なのに、どうしてヒトは穂高の風景に感動するのでしょうか。人類の祖先の○■ピテクス達も果実を食べる手を止めて、山々の壮大な美しさに見とれることがあったのでしょうか。多分あったのだと思いますね。だからこそ僕ですら上高地に行きたいと思うのでしょう。

46億年前、地球が誕生して幾多の氷河期と間氷期を繰り返し、やがて誕生した単細胞生物が多細胞動物となり、脊索動物から哺乳類を経てホモサピエンスに至るまで、膨大な時間を経て人類は進化してきました。その間、人類の祖先である生物達は、隕石の落下、地震、火山の噴火、地層の変化、氷河など、地球の激動をずっと見てきたはずです。そしてそれらの断片的な記憶がヒトのDNAのなかに痕跡として残されており、僕が上高地で見る風景と、祖先であるさまざまな動物が見てきた記憶とが呼応して、僕を感動させているのではないかと思います。

何のデータ裏づけもない、茂○健△朗的な「いいがけん仮説」に過ぎませんが、久し振りに上高地から美しい穂高を見て思いつきました。但しこの仮説の難点は、上高地で観光客におやつをせびるニホンザル達が、おやつをせびる手を止めて、穂高の山々に見とれる瞬間が到底あるようには思えないことですね。まあ、これは冗談。幸い今回、そんな態度の悪いニホンザルには絡まれなかったので、穂高の美しさと自分の思いついた記憶仮説に満足して、上高地を後にしたのでした。

いずれにしても来年こそは、25年前と同じように穂高から槍ヶ岳まで縦走したいと思います。だから南極越冬しているI先生には帰局してもらい、山岳部出身の後期研修医にも入局してもらい、いよいよ麻酔科山岳部を立ち上げる時がきたと(勝手に)思っているのですが...何とかなりませんか医局長さん。

2009年11月1日日曜日

学会シーズンそろそろ終了

いつもの季節-秋の学会と科研費申請の季節-がようやく終わろうとしています。先週後半から、臨床麻酔学会で浜松に行って来ました。信州松本→(特急しなの 2時間)→名古屋→(新幹線 30分)→浜松で、結構近かったです。一般演題の座長を3日間連日でやらせていただきました。発表者は若い人ばかりで、初めて全国学会で発表する人も多いようでした。僕も20数年前、この学会(宮崎)で初めて発表した時のことを思い出しました。当時、座長といったら何でも知っている怖ーい大先生と思ってビクビクしていましたが、今では僕が座長をしているくらいなので、当時の座長も(多分)大したことなかったのだなと(失礼!)、ようやく安心しました。

この学会の一般演題は、医局カンファレンスの延長ような雰囲気なので、結構好きです。今回も、あちこちの施設の症例報告や、若い人達が初めて行った臨床研究に接することができました。こうした発表を聞くと、その施設の臨床のレベルがわかるような気がします。ちゃんとしている所は、朝のカンファレンスの発表から、麻酔技術上のディテールまで、背後に一貫してしっかりとした指導医がいるのが感じ取れます。一方、日常臨床に少し手抜きが見えるように思えたり、一人一人の若い麻酔科医の背後にしっかりとした指導医がついていないように思える施設もあります。まぁ、僕の感じ方が間違っている場合もあるのでしょうけどね...

いずれにせよ、基礎的な動物実験やアイデアを凝らした臨床研究では、その施設の実態(ボロ?)が見えにくいように思いますね。むしろちょっぴりレアな症例や、比較的安易な臨床研究を、若い麻酔科医にどのようにデザインさせ、まとめさせるかで、その施設の指導医側の麻酔に対する「哲学」とでもいうべきものが垣間見えるように思います。だからこそ、臨床麻酔学会など、初学者の登竜門のような学会での、比較的軽い(!?)一般演題こそ、各施設の臨床の実態が評価される場にもなりうるのだと思いましたね。これって結構、恐いことですね。

ともあれ日々の臨床を、①正しい方向性で、②真面目に、③持続して行えば、僕達の施設の臨床&研究は正しく向上し、そのいくつかはscienceまで高めることができると信じています。来年、医局でのpreviewは今年以上にしっかり(厳しく?)やるつもりですので、若い先生はpreviewを恐れずに、小ネタの演題を臨床麻酔学会などにどしどし出してくださいな。

2009年10月26日月曜日

なんと青洲杯 優勝!!

川越まで「青洲杯」に行ってきました。案外近かったですね、松本→川越は。朝4時過ぎに松本を出て、上田を経て高速に乗って、関越自動車道から川越を目指したのですが、何と2時間かからず川越手前の高坂というパーキングエリアに着いて、コーヒー飲みながら夜明けを待ちました。結局、松本から2時間少々で川越の球技場に着くことができました。

始球式は、○■大学のT教授と一緒に2人始球式で、ゆるゆるの直球がど真ん中に入りました。フォークボールはあえて封印しておきました。1回戦はJ医大に楽勝で、2回選は去年の覇者 D医大を接戦の末に破り、よもや(?)と不安と期待が交じり合った複雑な気持ちになりましたが、所用につき会場を後にして、帰りは2時間30分で、松本に着くことができました。

本朝大学に出勤すると、医局にでかいジュラルミン(?)の箱が置いてあったので、よもや、と思ったら、やはり優勝旗でしたね。あの後も信州大学が勝ち続け、とうとう優勝してしまったようです。来年は優勝校として優勝旗を返還しに行かねばなりません。ということは来年も絶対参加せねばならず、すなわち10月の第4日曜日には、教室員は川越まで行かねばならんということでしょうね。

科研費締め切りとの折り合いさえつけば、来年も応援に行くのはやぶさかではないのですが、今年の試合を見た限りでは、信州大学に不足しているのは女性の声援ですね。女性の教室員、看護師さん、教室員の奥さんなど、沢山の女性にも参加してもらって、帰途に温泉に寄るツアーを組む、なんてのはどうでしょうかねえ、野球部キャプテンさん。