信州に因んで、2題目は「時そば」でした。このマクラで、若い頃に見た秋の夕刻の御嶽岳の風景の描写をされましたが、夕焼けを背景とする壮大な御嶽岳が一瞬、観客の目の前に現れ、一同が息を飲むのが分かりました。また開田高原の鄙びたよろず屋で食べたプラスチック容器に入った蕎麦が、人生で一番美味しかったと語り、その色、形状、香り、歯触りを描写しました。私はその蕎麦を○三治さんと一緒に食べたような感覚にとらわれ、話芸の 奥深さに感動したのでした。
さて私も年を取り、大学病院、学会、文科省(学術振興会)などの雑用も増え、新しい論文を読む時間が限られ、研究に費やす時間もなくなりました。しかし、信州大学麻酔科、そして本邦の麻酔科学が今後、発展していくためには、
(1)麻酔科のメインテーマである急性期医療を亜急性期医療に広げていくこと
(2)区域麻酔/鎮痛の世界を一変させる新規創薬を行うこと
(3)臨床研究を教室の研究の中心に位置づけること
がどうしても必要だと考えています。しかし今後、私がフロントランナーとしてこれらのテーマに取り組むべきではないと考えています。なぜなら、最新の知識についていけない分、必ず判断を誤ると思うからです。ではどうしたらいいのか。私は今後、「何もしない」ということを、しなければならないと考えています。
世阿弥は風姿花伝の中で、50歳を過ぎた能楽師はかくあるべきだと語っています。
「このころよりは、おおかた、せぬならでは手立てあるまじ。麒麟も老いては駑馬に劣ると申すことあり。さりながら、まことに得たらん能者ならば、物数は皆みな失せて、善悪見どころは少なしとも、花はのこるべし。」
また若い時分について、こうも語っています。
「時分の花をまことの花と知る心が、真実の花に猶遠ざかる心なり。ただ、人ごとに、この時分の花に迷いて、やがて花の失するをも知らず。初心と申すはこの比のことなり。」
若い頃、芸風がある程度の完成を見ると周囲から注目されて「時分の花」となる。しかしそれは長くは続かず、初心に戻ってさらに精進して、芸を完成させなくてはならない。しかしたとえ芸が完成しても、50歳を過ぎるといずれ花も失せ、見るべきものは何もなくなってしまう。だから年を取ると「何もしない」ということを「しなくてはならない」。それによっても、その人がそこに存在したという歴史は残り、それこそが「まことの花」である。
これからの10年間、1人でも多くの信州の若者が、「時分の花」を経て「まことの花」に至るよう邁進し、信州大学麻酔科を発展させてくれることを、心から願っています。