2009年2月19日木曜日

Keep an open mind

カナダ トロント大学のKavanagh教授が講演に来られた。肺傷害-特に人工呼吸による肺傷害-の大家で、これまで数多くの重要な論文を出している。トロント大学病院は、年間手術数が1万5千件で、麻酔科のfacultyは58人とのことでした。僕達の3倍の手術数を、3倍近くのスタッフでやっていることになる。各部門の関連性や、運営上の資金のことなど、大きいところには大きいところなりの悩みがあるようで、問題の本質は組織の大小ではないと実感した。要は、大きいところも小さいところも、みんな苦悩しているということですね。

講演では、自身のlabからの豊富なデータをもとに、肺傷害には1回換気量、PEEP、サイトカイン、炎症細胞浸潤、すべてが関与しており、単一の共通のpathwayがなく、そのメカニズムはきわめて複雑だと述べられた。「人工呼吸による肺傷害」というような、ある意味、人工的な傷害モデルでも、メカニズムの解明が困難という状況に驚いた。僕は肺傷害の研究には門外漢だが、Kavanagh教授が最後に、こうした複雑な現象の解明のためには、「Keep an open mindが重要だ」と述べたのが印象的だった。自分の結果と合わないデータや、新しい肺傷害に関する概念が出てきても、感情的に否定しないで受け入れなさい、そして、自分のデータと統合して考えていきなさい、とでもいうことでしょうか。すべての分野に当てはまるフレーズですね。Keep an open mind、あるいはKeep your mind open、いい言葉だね。

2009年2月16日月曜日

信州酒蔵ツアー

信州の古い酒蔵を見学に行き、酒造りの苦労話と、試飲(こっちが主目的か)する会があった。信州大学がご贔屓にしている居酒屋の親父さんが主催者で、昨年に続き、今年は教室の先生と一緒に参加した。

僕より少し若い藏元の、酒造りに関する説明が、昨年同様、大変明快である。そしてそれ以上に、大学の化学科に進んだ後、酒造りを継ぐことに決めた経緯や、その後の大変な苦労とちょっとした成功、そして今だに酒造りは難しく、発展途上であるということを、ユーモアを交えて淡々を語る、その内容に胸を打たれる。いい酒を造るために考え努力し、さらに考え努力し...その先に、ほんの少しの成功を得る...というストーリーに感動する。

ここには、「努力すれば、いつかは報われる」という古風な世界観がある。残念ながら、医学の世界では、今、こうした古風な価値観が崩れつつあるのかも知れない。但し、「努力する」とは、身の丈を越えたテーマに、何の準備もせず、徒手空拳で挑むことではない。これは無謀と呼ばれる。この辺の兼ね合いが難しいんだろうね。無謀の方が、ずっと楽なんだろうなあ。

ともあれ、「努力」、すなわち、夜遅くまで論文を読み、実験(臨床)をして、とことん考え詰めた人が、いつかは必ず報われる世の中であって欲しいと願う。そうでないと、医学が進歩しないじゃないか。僕は、藏元の言葉を聴きたくて、来年も参加するだろうと思う。 教室の人も、来年、参加してみませんか。きっと勉強になりますよ。お酒のお土産もつくしね。

2009年2月13日金曜日

2008年度 ASA Refresher Course輪読を終えて

2008年5月から始めた2007ASAリフレッシャーコースレクチャーの輪読会が終了した。クリニカルクラークシップ(5年生)に読んでもらったコースも含めると、約120のレクチャーを輪読したことになる。毎回、スライドでの発表形式をとり、学会発表の練習も兼ねた。回を重ねる毎に、lecturerの写真を入れたり、イラストを添えたりする人も増えて、各人が発表に工夫するようになった。それでも、発表の声が小さかったり、カンファレンス係が不在だと、誰も司会をしようとしなかったり、まだまだ気になることもある。でも、来年度も続けるので、皆の意識が少しずつ変わっていけばいいと思う。

僕が赴任して最初に感じたことは、麻酔の知識や技術に関して、教室全体としてのディスカッションがないことだった。自分の麻酔には、とてもこだわりを持っているのに、自分以外の麻酔管理には、無関心・無頓着に思えた。そこで、麻酔の知識の共有化のために、ASAリフレッシャーコースを輪読してみた。最初はMiller's Anesthesiaを後期1年目の先生と読もうとしたけど、挫折したので、教室全員で読んでみることにした。

どうです、結構面白いレクチャーがあったでしょ。麻酔専門医でも、案外、知らないことがあったり、昔の知識が通用しなかったりするもんです。小さい教室では、すべての分野の専門家がいないので、スタッフが毎週何かをreviewしても(これがまだちゃんとできていないが)、全分野を網羅できないので、ASA  refresher courseを輪読して、麻酔の全分野に精通するよう心がけるのは大事だと思う。

そして、AHAガイドライン、ACCPガイドライン、麻酔学会からのガイドラインなど、適宜、付け加えて分担して発表してもらいましょう。知識と技術の普遍化をしなくなったら、「教室」でなくなるからね。

こうした機会を持ちながら、麻酔全般の知識と技術を向上させ、自分が進む方向性を見つけてくれたらいいと思っています。

2009年2月11日水曜日

アメリカ金融不況とグラントの未来

アメリカ発の金融不況が始まって、NIHなどの公的グラントはどうなるのだろう。2000年前から2004年まで右肩上がりだったNIHグラントは、現在では頭打ちになっており、CellやPNASに論文が掲載されても、グラントを取れずに、lab閉鎖を余儀なくされる研究者が出てきたようだ(http://www.nature.com/news/2009/090204/full/457650a.html)。これから不況がさらに進めば、NIHグラントは減額され、臨床応用しやすい内容や、特許を取れて、お金を生みそうな研究にグラントが投じられるに違いない。そしてこの傾向は日本にも波及するだろう。

すぐさま臨床応用できそうな研究を、基礎研究者に要求するのは、かなり酷である。医学部出身以外のPhDは、フワフワとした臨床の曖昧さをイメージできないだろうし、MDでも、臨床から離れて久しいと、臨床での問題点を体感できなくなっている。とはいえ、グラントの採否を決定する人も、臨床から遠くなった臨床の教授や、文科省や厚労省のお役人だろうから、結局、あたかも臨床応用できるかのように思える作文を書く才能があり、かつ、それに相応しい研究結果を出せる研究者に公的資金が集中するに違いない。 こうなると、基礎研究は逆に、臨床応用から遠ざかることになりはしないか。

僕は、臨床応用を志向した、基礎医学からの研究結果は、話半分だと思っている。話半分という意味は、基礎実験の結果を臨床応用しても、半分くらいしか成功しないだろうということと、もう一つは、基礎研究でネガティブだったとしても、もしかしたら、半分くらいは臨床でうまくいくかもしれない、という意味である。

臨床の現場は、個別化と普遍化の間をフワフワと漂っている空間である。同じ麻酔法を選んでも、まったく同じ経緯を辿る人はいないが、ある程度類型化はできる。つまり、意識(脳)、鎮痛(脊髄、末梢神経)、筋弛緩、循環、呼吸、体液・内分泌など、それぞれの体内のシステムやネットワークに対する麻酔薬の影響は、ある程度の類型化、普遍化ができるが、その順列・組み合わせは膨大となり、結果的に、生体全体の反応としては、かなり個別的な応答が得られることになる。したがって、あまりに普遍化された治療は、ある程度個別化したヒトには効かず、あまりに個別化した治療は、ある程度普遍化したヒトには応用できないということになって、臨床応用で成功を収めるのは、つくづく難しいのだと思う。

再生医学は、多能性幹細胞の成長を期待した医療なので、個体発生を辿る医学ともいえる。個体発生こそ、個別化の最たるものだから、再生医学の臨床応用を普遍化するのはかなり難しいのではなかろうか。理論的に(何の理論かは知らないが)、100%効果がある分子量300前後の化学物質治療(通常の薬物療法のことです)ですら、臨床で半分効果があれば、大したものだ。比較的単純な組織はともかく、高度に個別化した中枢神経をターゲットとした、普遍的な再生医療なんて、本当に成立し得るのだろうか。

再生自体は個体発生を考える上で、大変興味深い分野である。しかし同時に、再生医療はお金を生む匂いがする分野でもある。今、「再生」が旬なのも、後者の研究者が集まろうとしているという面が強いように思う。他方、世の中すべて「お金」の風潮が、アメリカ発金融不況の背景だと思う。この風潮が科学や医学の世界に入り込んで、日本でも大学の独立法人化や競争的資金獲得が推奨されてきた。今回のアメリカ発金融不況を契機として、もうそろそろ、科学や医学が金融化から脱することを考えてもいいのではないだろうか。

2009年2月9日月曜日

対象に迫ることと、対象から離れること

Sudhir Venkateshのブログ(http://sudhirvenkatesh.org/)を見て、臨床医学と社会学が似ていると思った。若い頃、先輩から、患者さんのバイタルサインを、自分のバイタルサインと感じるように麻酔をかけろと言われた。その結果、同じ手術と麻酔法でも、同じ経過を辿る症例などいないと思うようになった。社会学で一人に密着した結果、相手に入れ込んでしまうのに似ている。しかし普遍化するためには、対象から離れて、群間を比較しないといけない。社会学で、アンケート調査が必要なのと一緒だ。

社会学における、一個人に対するbiographicなアプローチと、アンケートをもとにしたをアプローチは、それぞれ、医学における症例報告と原著ということになるんだろうね。結局、医学も社会学も、個別化と普遍化の間でもがいているってことか。