2009年8月24日月曜日

常念岳から

8/22、23と常念岳に登ってきました。毎年信州大学が開いている常念診療所の撤収を手伝い(邪魔しに?)がてら、常念岳ピークを往復してきました。常念岳からは、槍ヶ岳、北穂、奥穂、前穂は勿論、鹿島槍、白馬、そして剣や立山まで見えました。特に剣岳は、遠くに小さく見えるだけでも、その勇壮さ、壮厳な姿に改めて感動したのでした。

山の大きさに比べると人間なんて小さいね、ちょっとした得とか損とかばかり考えているんだものね。普段下界では、僅かな収入の格差や住む地域なんてどうでもいい理由で、自分の一生の専攻科を思い悩んでいる若者と話をする機会が多いので、久しぶりに山に登って心が洗われました。若者達よ、未開拓で過酷な環境こそが人を鍛えるってことを知っておるかね。過酷な環境に身を置いてこそ人は成長し、その後の成功が期待できるのだよ。ということで、学問的にまだまだ未開拓で、新たな発見に満ち溢れた「麻酔科学」を、雄大な自然に囲まれた信州大学で専攻し、共に臨床・研究に励み、世界一を目指さそうじゃないか、という(まぁ予想された)展開になるんだけどね...

それはさておき、下山時は、足関節の捻挫のため大変苦労して、年齢による肉体の衰えを感じましたね。大腿の筋肉低下と、バランス感覚低下、そして視力の低下を強く自覚しました。だから今後はどんどん山に登って、体力・気力を取り戻さねばと、思いを新たにしたのでした。来春には是非とも麻酔科 山岳会を作って、山から携帯の指示でインチャージしたいんだけど。医局長さん、どうでしょう?

2009年8月18日火曜日

学会シンポジウム

第56回日本麻酔科学会(神戸)が終わりました。今回は裏方さんととして学会本部に詰める時間が長かったので、実際にポスターや展示を見る機会は少なかったです。信州大学麻酔科のブースにすら行けなかったしね。それでも会場チェックをしていると、何千人もが集まる学会なのに、岡山大のM会長の人柄が会場の雰囲気に反映しているのを感じました、不思議ですね。学会本部では、M会長が教室員全員から好かれており、雰囲気のいい教室であることがよくわかり、教室の大小はともかくとして、目指すべき教室の方向性だと思いましたね。

さて今回の最大の収穫は、信州大学の医局員がシンポジウムで発表したことです。いつものことなのですが、学会前は自分の発表の準備と、不在時の仕事をあらかじめ片付けておくために、超多忙になります。にもかかわらず、教室の人達はぎりぎりにならないと、自分の原稿やポスターを持ってきません。ですから、結局、この教室員の原稿をチェックする時間はなく、素のままシンポジウムに臨んでもらいました。しかし自力で素晴らしい発表をしてくれました。実は座長をしながらハラハラしていたのだけどね。短期間で内容を理解して、よく準備してくれたと思います、皆さんやればできるのですよ。学会前は大変な勉強量とプレッシャーだったと思うけど、これがやがて血となり肉となるはずです。彼はシンポジウム中、緊張のあまり何も覚えていないと思うけどね。ご苦労さんでした。

僕も14-5年前、元ボスから初めてシンポジストに指名されましたが、ボスはまったくチェックしてくれず、やはり自力で臨みました。他シンポジストは高名な准教授や講師の先生方ばかりで、僕だけが医員だったので、緊張のあまり声が震えたのを覚えています。とはいえ、他の先生方が外国論文のreviewingに終始したのに比べ、僕は自前の(それなりに面白いと思う!?)データを発表したにも関わらず、誰からも相手にされませんでした。そして若造のせいか、総合討論でも一言も発言を求められませんでした。座長が僕を飛ばして、次の演者に発言を求めるので、ちょっと悲しい気がしましたね。しかし会が終わった後、座長の一人が寄ってきて、いい発表だったので是非論文にしなさいと優しい声を掛けてくれたのでした。その先生にはその後、掲載された論文の別刷りをお送りし、今では親しくさせていただいています。

学会に行くメリットは、他から刺激を受け、他と交流することです。こんな面白いことをしている人がいる、こんな新しい発想を持った人がいる、こんなに努力している人がいる....。臨床や研究の高みを求める若者は、自分の施設以外にも先生や仲間を見つけないといけません。なぜなら、若い時期に出会った先生や仲間によって、その後の人生が大きく変わってくるからです。そうした出会いの場として、学会があるのですよ。

専門医の点数のためと、同門や知り合いの人達だけとのclosedな酒宴のためだけに学会に行くのはつまらないことだと思います。他施設の先生方と交流し、将来自分の先生や仲間になるかも知れない人と出会いを求めるべきです。シンポジウムなどで発表すると急速に知り合いになれるので、これからも機会あれば教室の皆さんにシンポジストになってもらうように諮ります。そのためには、自前のデータが必要ですから、是非とも積極的に臨床研究・基礎研究してくださいな。

今年は手術を制限して、多くの教室員と一緒にASAに行く予定です。New Orleansは遠いけど、ASAが刺激となり、交流の場となることを期待しています。ジャズとケイジャンとだけの交流はいかん、ですよ。

2009年8月14日金曜日

研究のための道州制?

夏休み期間の信州麻酔科セミナー企画として、新潟大学のK先生、群馬大学のO先生に来ていただき、、麻酔科における基礎研究の面白さ(研究に関わった動機や留学の楽しさ)などを語ってもらった。

今、麻酔科に限らず、臨床医で研究を目指す人(MD researcher)が急激に減少しつつあるようです。この傾向は初期研修制度の導入後、研修医が都市への偏在していったことと、期を同一にしている印象があます。Anesthesiology誌への日本からの投稿数も激減しているようで、これらの原因として地方大学での研究活動の低下が挙げられるのではないでしょうか。というのは、これまで麻酔科領域においては都市部の大学や旧帝大だけでなく、むしろ地方大学から世界へと発信された研究が少なくなかったといえるからです。

ではどうしたらいいのでしょうか? 実はこの問題について今回の麻酔科学会で発表しなくてはならないのですが、まだ十分に考えがまとまっていません。しかし、K先生とO先生の発表を聞きながら、麻酔科学の研究分野において、早急な道州制の導入が必要かつ有効ではなかろうかと考えていました。

道州制とは、要は明治に廃藩置県でできた行政区分が、日本の人口の低下と都市部への人口偏在に対応できなくなってきたので、より大きな行政区域に再編して、それぞれの道州政府に独自の予算編成権を与えようとすることですよね。そうであれば、道州制の導入に伴い、(極論すれば)新潟大学、群馬大学、信州大学などがが関東甲信越州立大学に集約されて、それぞれ新潟分校、群馬分校、信州分校になるかも知れません。カルフォルニア大学ロサンジェルス校、サンフランス校、デービス校みたいにね。少なくとも教養課程や一部の基礎医学は一本化できるかも知れません。

どうせ行政側がそれを狙っているのなら、研究の領域でさっさと道州制を先取りして、現在の新潟大学、群馬大学、信州大学の麻酔科領域において、オーバーラップした無駄な研究は止めてしまい、あらかじめ研究プロジェクトのすり合わせをして、必要な部分について共同研究化すればいいのではないでしょうか。新潟のO先生にはin vitroの電気生理をしてもらって、群馬のO先生には創薬や免染してもらって、信州はin vivoの電気生理やればいいとかね。

研究すり合わせをするそれぞれの分校の研究主任を、アメリカ流にProf.あるいはPIという呼称すればいいと思いますね。こう考えると、K先生が代表世話人で始めたPMRG(Pain Mechanism Research Group)などは、時代を先取りした動きなのかも知れません。今後はこうしたグループで、文科省(特定領域、基盤S)や厚労省の科研費を共同で取っていく動きが出るかも知れません。あるいは麻酔科学会の呼びかけで、数年間の宿題研究などを設定して、プロジェクトを公募して、麻酔科学会学術部会として科研費申請するとかね。勿論、各組織内部・外部に競争原理を残しておかないといけませんが、MD researcherが少なくなっている以上、不必要な外部競争を排除し、各施設での研究費の節約を行い、より大きなプロジェクトにお金を集中させることが今後必要になるかも知れませんね。

うーん、結構面白そうな気がします。この方向で今回の麻酔科学会の発表スライドを作ってみようと思います。K先生やO先生の名前もスライドに入れされてもらってPMRGを宣伝したいと思います。

アメリカのように1大学に麻酔科医がレジデントを入れて100-300人いるようなところと臨床研究で競争するためには、日本は大学連合として対抗する以外なく、大学間の垣根を取り払い、基礎や臨床といった棲み分けも取っ払う必要があると思います。こうした発想って、結局、研究面における大学集約化、あるいは道州制導入と同じことを意味するのだと思うので、タイトルを研究のための道州制としてみました。

2009年8月10日月曜日

ヒトはどのように特別なチンパンジーか:再考

もう少し「ヒトはどのように特別なチンパンジーか」について考えてみます。

ヒトは群れ生活を通して、社会関係の認知と他者操作が影響して、模倣、共感、他者の内面理解、言語といった能力を獲得して、特別なチンパンジーになったと、以前、書きました(5/26)。では、最初に群れ生活を促した進化論的メカニズムは何なのだろう、というのが今回の主題です。

群れ生活は、外集団に対する敵意により発生したとされるようです(http://www.santafe.edu/~bowles/ConflictAltruismMidwife.pdf)。つまり、群れ以外の集団への敵意や闘争と、集団内部に対する博愛主義は、同時に発生したというのです。これは、集団内部で食料を分かち合い平等性を担保するためには、他集団への敵意や闘争が不可欠であったという考え方で、他の群れに対する敵意、競争、闘争が、群れ生活を促した原動力ということになります。

もっとも単純な動物である単細胞動物は、まずはカイメンのように群生して、それから多細胞動物へと進化し、体のサイズが大きくなったと考えられている。体が大きくなると、外敵から身を守りやすくなるなど、より安全になるからね。しかし、あまりに大きくなり過ぎると、今度はエネルギー効率の問題が派生します。つまり、生存のために、基礎代謝にすら多大なエネルギーを要するようになり、これらの多大なエネルギー需要のために1日中食べていなくてはならなくなります。これでは、たとえ体のサイズを大きくして安全を獲得したとしても、生存するためには非効率的になってしまいます。そこで、ヒトはエネルギー効率を維持するために、中等度のサイズ(身長1.5-2 m)以上は大きくならず、その代わり、群れ生活をして、外的からの攻撃から身をかわす戦略を取ったのかも知れません。

さらに、群れ生活は、天敵-他種-からの攻撃を防御するというより、むしろ同種の他群からの攻撃から身を守るのが主目的だったのかも知れませんね。食料が乏しい時代に生き延びるためには、異なった食物をエネルギー源とする他種動物よりも、同じ食物をエネルギー源とする、同種の他集団の方が阻害要因としては大きいはずですからね。こう考えると、群れ生活を促進した同種の他集団に対する敵意は、内部の博愛主義を生む原動力になり、内部メンバーに対する共感とは、外部に対する敵意があって初めて生じる情動ということになるのかも知れません。ヨーロッパに見られる軍事的な強力な国家が、同時に大いなる福祉国家でもあるという事実がいい例なのかも知れません。

集団内部を統一維持するためには、集団内の同一性と他集団との差別化が不可欠ですから、同じ肌の色、よく似た風貌などに加え、共通の言語(他集団とは異なる言語)の発達が必要となったのでしょうか。そして、ヒトが集団生活をとった後、農業の発達による定住性を獲得して、国家という集団へと発展していったということになります。こうなると、国家間の戦争も、国家内部の統一性や平等性には不可欠ということになってしまうのでしょうか。少し悲しいですが...

そうすると、各大学の医局間で、アメリカ麻○学会に採用された演題数を競うといった無益な競争も、無理やり仮想敵を設定して、その外敵(?)に対する闘争意識を無理やり煽って、内部成員の研究へのモチベーションを高めるメリットがあったのかも知れませんね。

とはいえ、ヒトが特別な脳を持ったチンパンジーだったから集団化が進んだのか、集団化に進んだから特別な脳を持つヒトへと進化したかは、ニワトリが先か卵が先かと同じで、結論は出ないでしょうね。数学や物理と違って、生命科学には時間(進化)という要素が入らざるを得ず、そのため原因と結果がいつも堂々巡りしているように思います。まあ夏休み数日、ぼんやりと考えた堂々巡り理論でした。

2009年8月4日火曜日

夏の京都の国際生理学会

京都で開催された国際生理学会(http://www.iups2009.com/jp/index.html)に行ってきました。といっても、brush upのために、痛み研究のwhole day symposiumに1日参加しただけですがね。教室の大学院生と一緒に参加したのですが、彼女が一所懸命、発表内容をノートに取っているのを見て、20年近く前の自分の姿を思い出しました。当時の私も、同じような国際シンポジウムに参加しては、討議されている内容がさっぱりわからず、飛び交うレセプタや拮抗薬の名前をノートに書き取るだけで必死でした。シンポジウムから帰って、ノートを頼りに論文を沢山読み、ようやく理解して、翌年、別の研究会に参加すると新たな概念が出ており、また必死でノートに取って...の繰り返しをしていました。

このように根本的な知識不足に加え、当時所属していた教室には新しい研究手法がありませんでした。にも係わらず、痛み研究で学位を取れと命じられており、自分のアイデアで実験を開始したものの、データの解釈ができず、自分の研究の方向性もわからず悶々としていました。素直な性格でないせいか、直属上司にも見放され(?)、研究会で見知らぬ基礎の先生方に相談しては、御迷惑をおかけしていたように思います。そういう中から、将来敬愛するようになる先生方に出会えたのですが、それはまた別のお話ですね。

今となっては、当時の自分の一所懸命さを懐かしく思い出します。時を経て、「批判的に論文を読む」ということも少しはわかるようになりました。痛みの研究の進んでいく方向性についても、ある程度予測が立つようになりました。しかし逆に、自分のデータや後輩のデータに一喜一憂することも少なくなりました。つまり、自分の仮説を100%信じておらず、常に進路の変更や撤退を考えながら、研究成果を形にするために研究をしているような感覚を持つようになりました。「これではいかーん!」と思うのですが、日常些事に忙殺された結果、研究者魂を捨てて、教室のadministratorに成り下がった自分を正当化するようになってきたのも事実です。

今回、京都の国際生理学会に参加し、僕の横で必死でノートを取っている大学院生を見ながら、僕ももう一度、彼/彼女達の必死さを共有させてもらって、一研究者として、もう少し前に進んでみたいなぁ、と思ったのでした。まぁ、こんな殊勝な態度がいつまで続くかは不明だけどね。ともかく、夏の京都は大嫌いだし、学会参加費55,000円も高かったけど、国際生理学会に来てよかったなと思いましたね。 帰りには昔よく行った天天有のラーメンも入手したし...

とにかく、教室の若者・大学院生達、頑張ってくれい。そして、あんた達のエネルギーを私にも少し分けてくれい、そうするとおじさん、もう少し頑張れそうな気がするのだから...