2011年1月13日木曜日

(再び)世の中まだまだ捨てたもんじゃない

信州大学麻酔科のK先生が、日本麻○科学会のもっとも権威あるY賞を受賞しました。まだ正式公表される前なので内緒にしてて下さいね...(といってもここに書いてしまいましたが...)。本当によかった!! おめでとうございます。世の中まだまだ捨てたもんじゃないね。今回の受賞となったK先生の仕事の大半は、前任地の札□医大でのものですが、これらを基盤に現在も信州で研究が継続・発展されているので、信州の皆さんの大いなる励みになると思います。信州大学麻酔科の2011年の一大ニュースですね。

K先生は10年近く前のある日、元ボスに呼ばれて緩和医療のチーフになるよう言い渡されました。教授室から出てきたK先生は真っ青な顔をしていたように思います。当時の麻酔科医にとって、「緩和医療に従事せよ」というのは、「北極圏のシロクマになれ」と言われるのに等しかったものね。つまりナンバーワンかも知れないけれど、氷で閉ざされた極寒の地しか与えられず、麻酔科医が住む温暖な世界からは遠く離れた荒地だったからね。

K先生はとても口惜しかったと思います。それでもやる気をなくさないで、むしろ逆境をチャンスに変えました。緩和医療という経験則だけの「北極圏医療」を、学問・サイエンスに発展させることをライフワークに据えて、その後、奮闘努力されてきました。夜中や土日を潰して、黙々と癌ネズミで実験を重ねて、業績を挙げてきました。ですから今回の受賞は当然だと思います。しかしそんなK先生ですらすんなりと受賞できず、落胆したこともあったと思います。

しかし今回の決定で、日本麻○科学会を見直しましたね。日本麻○科学会学術委員会は、ギリギリちゃんとしているじゃあないか!! もう1-2年早ければ、もっとよかったのですが、今回は受賞者が2名とのことですので、内部で喧々諤々の議論があったのかも知れません。だからこそ、今回、K先生を推してくれた選考委員会の見識に心から敬意を払います。本当にありがとうございました(本来、僕が言うべき立場ではないでしょうが...)。

夜中や土日に、誰もいない実験室で一人実験をしていると、真っ暗闇の山の中を一人で彷徨っているような不安な気持ちになります。自分の彷徨は意味のある行動なのだろうか、目指す尾根を大きく間違えているのじゃないだろうか、この道の先に本当に光はあるのだろうか...等々。人がやらないテーマだからこそライフワークになりうるのですが、人がやらないことに没頭し、かつ、その作業を継続するためには、絶えず自分の中の孤独感や不安感と闘わなければなりません。あまりに孤独な時間が長すぎると、進むのを止めて下山したり、自分の思い込みで進路が大きく逸れていくことがあります。ライフワークが成就しない所以です。だから時々、「君は間違っていないよ、自分を信じて進みなさい」と誰かに励ましてもらう必要があります。そのために僕たちは「教室」というグループを作り、その内部の仲間同士お互い励まし合い、勇気をもらったり、逆に与えたりしながら、切磋琢磨していかなければならないのだと思います。

賞がすべてではありません。しかし挫けそうになった時、賞を貰うことで再び奮い立つことができるかも知れません。改めて孤独に耐えて、ライフワークに邁進していく勇気が貰えることがあるかも知れない。モーパッサンがいうように「才能とは持続する情熱」です。人には元来、能力差はありません。情熱を持続できるかどうかが分かれ目です。賞を貰うことで情熱が持続すれば、賞を貰う意味があったというものです。

今回、日本麻○科学会によって、K先生や信州大学麻酔科に、研究を継続していく勇気と情熱が与えられたのだと思います。本当によかった、おめでとう!! そして再度、選考委員会に心から感謝したいと思います。ありがとうございました!!

2011年1月7日金曜日

我あり、故に我思う

たまには読んだ本のことでも... 

正月休みに、デカルト関連の本を2冊読みました。『デカルトの誤り』(Descartes' Error)(http://www.amazon.co.jp/%E3%83%87%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%83%88%E3%81%AE%E8%AA%A4%E3%82%8A-%E6%83%85%E5%8B%95%E3%80%81%E7%90%86%E6%80%A7%E3%80%81%E4%BA%BA%E9%96%93%E3%81%AE%E8%84%B3-%E3%81%A1%E3%81%8F%E3%81%BE%E5%AD%A6%E8%8A%B8%E6%96%87%E5%BA%AB-%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%8B%E3%82%AA%EF%BD%A5R%EF%BD%A5%E3%83%80%E3%83%9E%E3%82%B7%E3%82%AA/dp/4480093028)と、

『デカルトの骨』(Descartes' Bones)(http://www.amazon.co.jp/%E3%83%87%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%83%88%E3%81%AE%E9%AA%A8-%E6%AD%BB%E5%BE%8C%E3%81%AE%E4%BC%9D%E8%A8%98-%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%BB%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%BC%E3%83%88/dp/4791765753)です。

近代医学は、勿論、デカルトの心身二元論をベースにしています。また、デカルトはアリストテレス以来、情動の一種とされた「痛み」を知覚情報として捉え直しました。『デカルトの誤り』は、神経科学者の著者ダマシオが、こうしたデカルトの二元論を誤りと断じた本です。ダマシオによると、生体では心⇔脳⇔身体、そして環境との相互作用がダイナミックに起こっています。そして感情と理性は、いずれも身体の状態と深く関わった対等な脳の活動とされ、それぞれが身体状態へも影響を与えます。

生体は進化の過程で、ホメオスタシス維持のために、まずは自律神経と内分泌系を発達させましたが、このホメオスタシス維持に情動・感情が重要な役割を行っているというのが、この本の核心部分です。「進化の過程では脳のない生物は存在したが、脳や心があって身体のない生物は存在しなかった」という言葉で、Damasioの考え方が代表されます。身体と脳・心を(そして情動や理性を)分離できないということですね。「理性があるから私(身体)がある」のではなく、「身体があるから(私がいるから)、理性がある」ということですね。「我思う、故に我あり」ではなく、「我あり、故に我思う」という主張です。この本では、さらに合理的意思決定にも、心-脳-身体のダイナミックな相互作用が不可欠であるという主張など、斬新な作業仮説が一杯詰まった本でした。面白かった。

一方、『デカルトの骨』は、宗教改革・ルネサンスを経てデカルトが出現した時代背景や、デカルト主義によりフランス、イギリス、オランダ、スウェーデンなど当時のヨーロッパ諸国に激震が走り、デカルトの思想が最終的にはアメリカ独立、フランス革命の遠因になったことが書かれており、これまた大変面白かったです。確かに「思想」はあっという間に空気として世界中に広がり、時代を席巻していきますからね。

個人的に狭義な興味としては、『デカルトの誤り』の中で、アルメイダ・リマが慢性痛の治療に、前頭前野切載術(prefrontal lobotomy)を応用していたことを知りびっくりしました(Lima. Med Contemp 1952;70:539-542) (http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/13012693)。リマは、エガス・モニス(http://en.wikipedia.org/wiki/Ant%C3%B3nio_Egas_Moniz)に協力してロボトミーを開発したポルトガルの外科医です。モニスはこのロボトミーの功績(?)により、1949年ノーベル医学生理学賞を受賞しましたが、その後、この受賞が大きな問題となりました。後年、モニス自身が、ロボトミーを施行した患者の恨みのため、銃で撃たれてしまったくらいですからね。

痛みの研究者は、島(insula)や帯状回の障害で、知覚的に痛みは感じるが不快でない状態(pain asymbolia)(http://en.wikipedia.org/wiki/Pain_asymbolia)が生じることは知っていますが、前頭前野の切截術で同様のことが起こることは、あまり知られていないと思います。しかしこの事実は大変重要だと思います。前頭前野が、痛みの情動面に重要な役割を果たしているということですからね。ロボトミーに関連した研究成果は、(恐らく)医学論文では意識的に引用されないため、人目に触れなかったのかも知れません。この本の著者であるダマシオはモニスやリマと同じポルトガル人だから、ポルトガルの医学界では常識なのかも知れません。

いずれにしても正月休みに上記2冊の本を読んで、現在の科学や社会の閉塞感は、デカルト以来の理性に重きを置いた演繹的手法が、科学だけでなく広く社会一般でも、そろそろ限界に近づいてきたせいかも知れないな、などと柄にもなく考えさせられたのでした。やっぱり京大霊長研のように、アフリカでボノボを帰納的に観察している方がより科学的なのか、なんてね。

後200年もすれば、18~20世紀は、「純粋理性」によって「純粋自然」が解明されるはずだ、という????な考え方に取りつかれた、暗黒の時代とされるかも知れません。中世ヨーロッパにおけるキリスト教と同じようにね。

2011年1月4日火曜日

京都 一乗寺界隈と松本 中町通り

2011年になりました、明けましておめでとうございます。医局の方々を対象としたこのブログも足掛け2年になりました。よくまあ続いたと思います。もう少しショボショボと続けて、役目が終われば止めようと思っておりますので、今しばらくのお付き合いを...

さて年末は恒例の忘年会で京都に行ってきました。京都に行っても、毎年、一乗寺界隈と三条界隈をブラブラするだけですが、それが楽しいのですね。学生時代は一乗寺界隈で生活のほとんどが事足りました。当時、週末毎に通った名画座(http://homepage2.nifty.com/bkbn/hakurankai.html)はつぶれ、スーパーマーケットになったし、Jass喫茶(言葉自体が死語になりましたが...)は普通の喫茶店に替り、アナーキーな雰囲気を持っていた本屋は、今ではすっかりおしゃれな、全国的に有名なお店になってしまいました(http://www.keibunsha-books.com/)。それでも一乗寺の街並みは30年前とほとんど変わらず、昔の定食屋やラーメン屋も多く残っていて、ホッとします。

以前、H薬科大学のN先生に連れて行ってもらった戸越銀座や、京都の寺町通り、札幌の狸小路など、気に入っている商店街は沢山あるのですが、商店街としてはしょぼい一乗寺界隈が一番好きです。僕と同じように、学生時代過ごした京都を離れた後も、一乗寺界隈を忘れられない人が多いようです(http://www.kanshin.com/keyword/303334)。一乗寺や修学院周辺は、京都の中心街のように排他的でなく、地元の方々と、4-5年でいなくなる学生たちと、間違って迷い込んだ観光客たちが、うまく調和して独特の雰囲気を醸し出しているからだと思います。

終の住まいである松本の、中町通りがもう少し東に延びて、恵文社のような本屋や、もう少しゆったり寛げるカフェができれば、中町通り=(一乗寺界隈+寺町通り)/2みたいになって、僕にとってはベストな空間になるのですが...そうなるまでは、毎年、仕事納めの翌日に、京都一乗寺をブラブラした後、東山三条の帆布屋さん(http://www.ichizawashinzaburohanpu.co.jp/cgi-bin/index.cgi)を覘く生活が続くように思います。だから、もっともっと頑張ってくれい、中町通り!!(http://www.mcci.or.jp/www/nakamati/)と言いたいですね。