2010年7月19日月曜日

淡路島で考えたこと

旭○医大I教授のスガマデクス講演会の後、最終電車で大阪まで行って1泊して、翌朝、新大阪→舞子→明石大橋→淡路島に行き、整形外科領域のシンポジウムに参加してきました(http://www.sgop.edisc.jp/)(http://www.sgop.edisc.jp/program8.pdf)。淡路島は昔の鄙びた港 & 海水浴場のイメージでなく、いつも間にか高級リゾート地(http://www.westin-awaji.com/)になっていてびっくりしました。淡路島まで乗った高速バスが知り合いの会社のバスで(http://www.honshi-bus.co.jp/)、これまたびっくり、世の中狭いね。

鎮痛薬の創薬のシンポジウムで、他のシンポジストたちは大学発の創薬のための新たなセンター化構想などについて発表していました。一方僕は、なぜ鎮痛薬の治験がうまくいかないのかを、臨床の立場からお話しました。この10-20年、痛みの基礎研究は大変進歩して、痛みに関与している分子が沢山見つかったのに、臨床応用できた鎮痛法・薬はほとんどありません。新しい鎮痛薬の開発のためには、①臨床に即した動物モデルを用いること、②痛みの行動薬理だけでなく、ネズミの内なる声を聞くためにはin vivo電気生理(電気薬理?)をいろいろな部位(脊髄、脳幹他)で行うこと、③治験の前にヒトボランティアを用いた前臨床研究が重要と、僕はこれまで一貫して主張してきました。まぁ誰も聞いてくれなかったし、これからも聞いてくれないでしょうがね。

鎮痛薬が対象としているのは症状(symptom)の改善です。他方、抗腫瘍薬や降圧剤など、他の薬剤が対象としているのは所見(sign)の改善です。創薬を目指す製薬会社の研究者も、案外このあたりを混同する傾向にあり、これが鎮痛薬の治験失敗の遠因だと思います。そしてこの混同の原因を探っていくと、最終的にはcureとcareの混同に行きあたると僕は睨んでいます。勿論、僕たち医療側だってcureとcareを混同しており、care=「短時間のcure」X長期間 と考えている節があります。だからこそ週1回の神経ブロックを10年以上続けたりするのだと思います。

そして何より患者さん自身がcareとcureを混同しており、careを評価せず是非ともcureされたいと思っているのです。だからこそ、「治らないけど、一緒に頑張っていきましょう」と言うと烈火の如く怒り出す患者さんがいて、「治らない」はペインクリニックでは禁句なのです。癌の患者さんに治らないといっても(多分)問題にならないだろうに、「痛みが取れない(かも知れない)」と伝えると烈火の如く怒りだすというのは、いかにも不自然です。こうしたペインクリニック患者さんの特性についても、いろいろ考えるところはあるのですが、今回は触れません。

ところでsymptomを全く伴わないsignというものは存在せず、だからこそ「緩和」という思想が出てくるのですから、cureというのは不老不死と同様の幻想の一部に過ぎないはずです。ということは結局、疼痛研究において、患者さんが求める実現困難な願望(cure)を目的とした基礎的研究は、潜在的に臨床応用への成功確率がきわめて低い仕事ということにならざるを得ません。だからこそ、Ph.D.が「臨床に役立つ研究」と言えば言うほど、僕は胡散臭い目で見てしまうのです。単に科研費取って生活安定させたいだけじゃないの、なんてね。勿論、僕がひねくれているのだけかも知れませんがね...。

でもさぁ、基礎科学者として後世に名を残したいなら、神岡Nucleon Decay Experimetまでいかなくとも、「臨床医学」なんて小さい実学の世界にわざわざ参入しないで、人類の好奇心にドーンと迫るテーマを、思う存分追っかけてもいいのではないでしょうか...。大きなテーマであれば、多少国税を注いでもいいと思うし、その方がむしろ思いがけず臨床応用できるネタが見つかるかも知れないと思うのです。

いずれにしても臨床医は、Ph.D.の言う「臨床に役立つ(かも知れない)」という言葉を鵜呑みにしないで、基礎系論文を批判的に読み込む能力が必要です。信州で大学院生に基礎研究してもらっているのもこのためです。決して「基礎研究者モドキ」になってもらうためではありません。そういえば大昔、マグマ大使に出てきた「人間モドキ」という存在は(今の若者には古いか?)、光線が当るとドロドロに溶けて消えてしまいましたが、「臨床に役立つ(かも知れない)基礎研究モドキ」も、臨床という強い光を当てるとドロドロに溶けて、何も残らないかも知れませんね。そう考えると、ちょっと虚しい作業かも知れません。

2010年7月13日火曜日

高山は近い!

医局旅行に行ってきました。昨年は三重の賢島に行き、知り合いの先生の別荘にお邪魔して、クルーザーに乗せてもらいました。医局旅行は1年毎に海⇔山に行くことにしたので、今年は高山になりました。松本から安房トンネルを抜けて、最初に新穂高ロープーウェイ(http://www.okuhi.jp/Rop/FRTop.html)に乗って西穂高口まで行きました。あいにくの曇りで焼岳しか見えず、穂高は全然見えませんでした。

30年前、学生時代に先輩と2人で秋の笠ヶ岳(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%A0%E3%83%B6%E5%B2%B3)を目指したのですが、大雪のために稜線でビバークして、翌日雪崩で遭難しかかりながら、ほうほうのていで新穂高温泉に生還したことを思い出しました。あの時の思い出のせいか、岐阜側から見る穂高にはあまりいい印象がありません。確かに岐阜側から見る笠ヶ岳(下写真左)は、松本から見る常念岳(下写真右)に似た上品なたたずまいで美しいのですが、槍・穂高に関しては上高地側から見た方が圧倒的に素晴らしいと思います。この点については、信州>>岐阜です。

その後、新穂高ロープーウェイで降りて、高山に向かいました。高山は松本の古い町並みに似た町でしたが、その観光地魂にびっくりしましたね。町の隅々まで「どんな人でもWelcomeする心」が詰まっています。30年前はここまで徹底していなかったように思います。サービスが京都ほどあざとくなく、心温かいもてなしです。これは町を上げて徹底していないとできないはずです。翌朝白川郷に行きましたが、少し霧に囲まれた風景は僕が生まれた四国徳島の山の中を彷彿とさせ、しみじみとした懐かしさを感じました。これが関が原の合戦後の、日本の原風景なのだと思いました。明治以降の日本が、近代化により得たものと無くしたもの、などということを柄にもなく考えさせられましたね。

医局旅行は最近の若者には不評だそうです。友達同士ならともかく、職場を同じくするだけの関係で、一緒に旅行するなんてもってのほか、ということなのでしょうね。しかし職場で1日の大半を一緒に過ごしている上司・同僚と、1年に1回くらい同じ風景を見て同じものを食べ、何かを感じるという、共通の体験があってもいいように思います。両者の理解が深まるからね。若い頃はこうした集団行事に積極的でなかった僕が、今ではこのように思うのですから、今の若者も年を取るに従い、医局旅行(に類するもの?)に行きたいと思うはずです。

しかし何より、松本→高山は1.5時間くらいでとても近いので、ちょっとびっくりでした。これなら午前中に往復できるくらいですね。ともあれ来年の医局旅行は海に行きます。やっぱり時には新鮮な魚も食べたいからね。

2010年7月5日月曜日

この季節の京都

ペインクリニック学会があったので、「この季節の京都」に行って参りました。この季節の京都(つまり梅雨の京都ですね)は、地球上でもっとも過ごしにくい場所の一つなので(!?)、最後まで松本を離れたくありませんでした。タイムリミットの夕方6時過ぎに京都入りすべくギリギリに移動したのですが、京都に着いたとたんに梅雨特有の小雨が降ってきました。この梅雨京都の歓迎を受け、会長招宴に出る気力がなくなってしまいました。京都で暮らしていた頃は、この季節になるとパンに緑色のカビが生え、取り忘れてた洗濯物には赤、黄、緑 他の7色カビが生えました。それに比べて、信州松本の梅雨は北海道に似てドライで暮らしよいのです。引っ越して以来、夜は窓を少し開けるだけでそよそよと風が入るので、今のところまだクーラーは不要です。

松本の過ごし易さは、湿度が京都に比べて低いからだと思っていたのですが、昨年6月の松本気温(平均20℃、最高26.9℃、最低14.5℃)、湿度(平均64%、最低20%)に比べ、京都の気温(平均23.5℃、最高28.9℃、最低19.2℃)、湿度(平均60%、最低19%)で、松本の方が平均気温は3.5℃低いだけで、相対湿度は変わりません(http://www.data.jma.go.jp/obd/stats/etrn/index.php)。ではどうして松本の方がドライに感じるのでしょうか。もし松本の相対湿度が海面気圧としての値だとしたら、実際の松本の気圧(940 hPa)は京都(1010 hPa)より70-80 hPa低いので、水蒸気圧が下がって表示より実際の相対湿度が低いせいかと思うのですが、誰か気候に詳しい人、正解を教えてくれませんか。

京都の耐え難い湿気とは裏腹に、シンポジウムには沢山の人が来てくれて、面白いシンポジウムだったと言ってくれる人も多く、それなりに評価してもらえてホッとしています。麻酔科で基礎研究をしている人達は臨床への気配りが必要だし、臨床をしている人は基礎研究を臨床応用するために、基礎研究をちゃんと読みこなす力も必要だと思います。こうした集まりをきっかけとして、麻酔科領域における基礎的研究と臨床的研究の融合が始まればいいと思っています。

シンポジウム前日には、シンポジストや疼痛機序研究グループの人達、そして京〇府△大麻酔科の新教授S先生を始めとする、学会主催の人達とお話できて楽しかったです。また懇親会をサボって(坂〇先生、杉△先生、懇親会に出なくてすまん)、学生時代に住んでいた修学院~一乗寺を散歩できたし、昔よく通った定食屋にも行けました。また最終日には大学時代の悪友達と痛飲できたので、充実した3日間ではありました。それでもやっぱりこの季節の京都には、行きたくありません。京都の人間でないのに、何が悲しゅうて「この季節」の京都にいなくはならないのか。

次に京都である学会は、是非とも春か秋に開催して欲しいと切に願います。