2009年3月2日月曜日

羽田管制官とシンガポール研究者

NHKの番組で、羽田空港の管制官とシンガポールの研究者を主人公にしたドキュメンタリーを観た(「プロフェッショナル」と「NHKスペシャル沸騰都市」)。管制官の仕事は、「何事も起こさない」ことであるが、「何事も起こさない」ためには、管制官は、何かが起こるかも知れない、僅かな可能性をも想定し、リスクを回避し、未然に事故を防がなくてならない。
 
 一方、シンガポールは今、世界中からトップサイエンティストを招聘して、科学の世界で覇権を得ようとしているらしい。このために、何億円といった研究資金を一個人に投資して、成果を得ようとしている。その好条件に惹かれて、日本からシンガポールへと研究の場を移した研究者もいる。但し、その成果は、Nature、Science、Cellクラスの雑誌に掲載され、将来、特許や創薬に繋がることが必須のようだ。

僕も若い頃、(今となっては恥ずかしい限りだが)NatureやScienceに論文を載せたいと願い、基礎研究に励んだ時期がある。とはいえ所詮、臨床のlab.の未熟な方法論では、現象の完全証明は無理だと悟っていたが、それでも研究の方向性だけでも、Natureを目指したいと思ったものだ。しかしその後、次第に考えが変わってきた。Natureに載るような、ある意味、突飛で素晴らしい研究は、ホームランを狙うのに似ている。しかし、臨床のlab.での研究は、毎日バンドヒットを打つことではないかと考えるようになった。トップサイエンティストにしたらつまらないかも知れない。しかし、臨床医に求められている研究は、突飛な面白さを狙う仕事ではなく、奇を衒わない地道な研究の積み重ねにしかないと思うようになった。こう思うようになってから、ようやく自分の居場所がみえ、肩の力が抜け、自然体で臨床や研究に打ち込めるようになった。それまで羨ましく思っていた、基礎研究者のカッコイイ仕事ではない、自分の泥臭いin vivoの研究に、ようやく少し誇りを持てるようになった。

さて再び、羽田制官とシンガポール研究者の話に戻る。麻酔科医の仕事は、管制官の仕事に似ている。管制官は10機以上の飛行機を、風の方向を予測しながら、等間隔で飛行させるように指示を出し、高度が異なるヘリコプターの接近にも気を配り、何事も起こさず離着陸させる。一方、麻酔科医は、各臓器の機能を観察しながら、リスクを回避し何事も起こさず、無事に手術という侵襲から患者を守る。術中に何事も起こさないために、麻酔科医は存在するが、時に出血が止まらず、心筋虚血が改善せず、あるいは肺塞栓などで、危機的状況に陥ることがある。このような絶望的なジリ貧状態の中で、生体機能の起死回生となる画期的な治療法があればと、願うことがある。しかしこうした考えは、まさにホームランを狙うNature的発想かも知れない。そして、こうしたNature的発想は、残念ながら、麻酔科学の領域では即効性がないのではないだろうか。それは、試験管内の一個の細胞の動態すら、解明には程遠い生命科学と、複雑な多臓器間のネットワーク異常を、経験則を頼りに対処するしかない麻酔科学との間に、今後も、深くて暗い川が横たわり続けると考えるからだ。結局、僕たち麻酔科医は、今後もバンドヒットでつないで点を取り、重症患者を生還させる努力を続けていくことになるのだと思う。

さて、わが中学生の愚息は、上記のNHKの番組を観て、シンガポールの研究者の話には興味を示さず、羽田空港の管制官の番組にはいたく感動したようで、録画を繰り返し観ている。何が彼の琴線に触れたかはわからないが、輝かしい成果を目指す仕事とは別に、何事も起こさないことを目的とする人生にも意義を感じたくれたようで、麻酔科医の親としては望外の喜びである。職業の多くは何事も起こさないことを使命としており、臨床医学もまた、患者の体を使って医師の成果を求める(治す)ことよりも、患者を疾患や傷害から予防する(防ぐ)ことが、より重要な使命だと考えるからである。そして、誰からも褒められないが、麻酔科医こそが術中の患者の身体と尊厳を守っていると信じているからである。