2010年11月12日金曜日

徳島で生まれた男じゃ-さかい

少し前ですが、臨床麻酔学会(http://jsca.umin.jp/scientific_meeting/index.html)で徳島に行ってきました。僕は徳島市内から10数km、西に向かった所で生まれ、小学校低学年まで過ごしました。徳島には折につけ帰ってはいましたが、それでも6-7年振りでした。朝、県庁前からジョギングをしました。初日は、新町ボードウォ-クという小さな川沿いの道を眉山(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9C%89%E5%B1%B1)のロープーウェイ口まで往復しました。眉山はとても近いことに気づきましたね。2日目は、末広大橋
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AB%E5%BA%83%E5%A4%A7%E6%A9%8B)を横に見ながら、小松島方面まで往復しました。末広大橋を越えるともう外洋であるとともに、徳島から小松島が近いことにも吃驚しました。子供の頃は、小松島なんて外国のように思っていたのに。

初日の昼に入ったうどん屋で、店員さんやお客さんが喋る、nativeな徳島弁をすべて理解できる自分に気づきました。しかも僕自身が、nativeな徳島弁でちゃんとお礼を言えるのでした。言語機能って、感覚性入力(音/イントネーション→意味→理解)に対して、同様の音/イントネーションを喉頭筋を使って出力することだと、今さらながらに感じ入りましたね。この反射に近い応答を、無意識に近いレベルでできるのがnative speakerということになります。自転車に乗るのと一緒ですね。少し古い論文ですが、小さい頃に第二外国語を学んだ人は、Broca中枢とWernicke中枢の共通部分を使って、第一および第二学国語を喋っているが、成人してから第二外国語を学んだ人は、第一および第二外国語の理解と発語が、それぞれの言語中枢内の別々の部位を使っているという論文がありました(http://www.nature.com/nature/journal/v388/n6638/full/388171a0.html)。つまり、成人してから外国語を学ぶと、新たな言語用のBroca中枢とWernicke中枢を形成しているということになります。これに倣うと、僕の徳島弁/関西弁脳は共通の言語中枢部内にあるが、北海道弁脳は少し離れた部分にあり、英語脳はかなり離れた、しかもきわめて限局した部分にあるということになります。

うーん、何年も使わないのにいきなり徳島弁を聞いても、ちゃんと理解できるだけでなく、正確な音/イントネーションの徳島弁を出力できるのです。これって、記憶の一番深いところと繋がった機能なのでしょうね。ということは、僕が脳卒中にでもなってretrograde amnesiaになったら、徳島弁でしか喋れなくなるのでしょうか。あるいは少しdementiaが混じってきて、最近の記憶が消失しやすくなると、徳島弁/関西弁しか喋れなくなるのでしょうか。

最近僕は、医局でちょくちょく関西弁が出ることがあるのですが、これってdementiaによる記憶障害の始まりなのでしょうか!? 徳島弁が出るようになったら、かなりの危険信号ということになりますね。徳島でうどんをすすりながら、ちょっと心配になったのでした。

以上、(毎度のことではありますが)臨床麻酔学会とは全然関係ない話に終始しました。

2010年11月2日火曜日

信州のほうに流れ星が落ちた

2010年の初期研修医のマッチング結果が出たようです(http://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/mem/pub/hotnews/int/201011/517247.html)。都会の大学病院は充足率が高いようですが、地方国立大学は苦戦しているようです。それでも和○山医大や愛△大学のように、都会の大学に伍して頑張っているところがありますので、各大学の取り組みで挽回できる可能性もあるのだと思います。しかし解せないのは、僕の母校の京◆府▽大です。充足率100%なのですが、僕の卒業した24-5年前に比べて教育システムがよくなったとは聞かないのに、一体全体どうしたことでしょう。学部教育も卒後教育も、そもそも教育=放任という思想の大学だったように思います。学生/研修医は放牧しておくと勝手に野草を見つけて食べて、野原を走り回れる体力を持った医師に育つだろう、ってな大学だったのに...そんな大学に初期研修医が集まるのは、どうも解せません。

もしかしたら、京◆府▽大病院で研修したいというより、古い歴史があってまあ都会でもある京◆で暮らしたいけど、京◆大学は敷居が高いので、京◆府▽大にしとこうかという感じでしょうか。それって、大学受験の時の京◆府▽大の受験生の志望動機にそっくりな気がしますね。僕もそうでした。もしかしたら初期研修医のマッチングって、医学生の医学部再受験の疑似体験なのかも知れませんね。6年前の医学部受験で第一志望の大学だった病院を、初期研修のマッチングの第一志望にしている人って、結構いるのではないでしょうか。そう考えると地方大学や、旧帝大でも地方っぽい北●道大や東□大の充足率が低いのが、何となく納得できるような気がします。そもそも、医学部の再受験を疑似体験する気がない人は、初期研修に最初から市中病院を選ぶ傾向にあるのかも知れません。

初期研修はともかく、研究/教育機関に籍を置こうとする人は、後期研修先の大学をどこにするかが重要になります。都会で初期研修をしても、地方の母校に帰るというのは、選択肢の一つになると思うのですが、信州にはなかなか帰ってきてくれません。僕たちの努力が足りないのかも知れません。信州大学の卒後研修センター長のA教授とお話していて、信大卒業の初期研修医に「信州に帰って来ないか」メッセージを送ってみては、というアイデアが出ました。来年以降は、信大の全教授のサイン付きで、信州を離れた初期研修医たちに手紙を送ることになるかも知れません。

いずれの研究/教育機関にせよ、教室と個人が共通の目標を持ち、世界を目指しさえすれば、世界に伍していく研究/臨床ができます。だから僕は、東京や都会で初期研修をした信大出身や信州出身者は、ぜひ矢野顕子(宮沢和史作詞作曲)の「中央線」(http://www.youtube.com/watch?v=ZLuCtFmaqcg)に倣って、「信州のほうに流れ星が落ちた 中央(本)線に乗って 松本に帰っておいでよ」といいたいのですが...

これから少し寒くなりますが、清々しい季節です。信州大学病院から見える、常念岳をはじめとした北アルプスが雪化粧になりました。信大出身者、信州出身者は、ぜひ信州に帰っておいでよ。待っています。