山下○郎さんのコンサートに行って来ました。落語は大好きなので、学会があると、その近隣で贔屓の落語家の独演会がないか、いつもチェックをしています。しかし、(多分)それほど音楽好きではないので、気がつけば、コンサートに行くのは20年振りでした。
その昔、僕が動物実験を開始した頃、(今でもあるのかも知れませんが)日曜日の午後〜夕方に松任谷▲実さんと山下○郎さんのラジオ番組が続いてありました。この番組を実験室で聞きながら、1週間が過ぎたなあと、感慨にふけったものです。その後、実験室を掃除してから帰宅し、日曜日の夜だけが家族と一緒に過ごせる時間でした。
当時在籍していた札○医大には、これといった実験機器がなく、ラットの行動薬理研究しかできませんでした。にもかかわらず、学位研究にせよという元ボスの指示があったため、ラットに鎮痛薬を投与しては、その行動観察で新たな発見を目指していました。今から思うと無謀な試みで、当時も内心は無理だとわかっていました。
しかし基礎研究の手法を正式に教わる機会がなかった僕は、現状をどう打開していいかわかりませんでした。そこでB29に向かう竹槍軍団の心意気で、とにかく昼夜土日を問わず、悲壮な覚悟でネズミの行動観察を繰り返していたのです。今から思うと、まったく光が見えない自分の未来に対し、心に不安が堆積するのを防ぐために、とにかく実験を繰り返していたのでしょう。光学顕微鏡で黄熱ウイルスを発見しようとした野口英世も同じような心境だったのではないかと推察します。実験室はいつも僕一人だったので、ラジオだけが慰めでした。過酷な1週間の最後に聞く山下○郎さんの曲だけが、心の拠り所だったのです。
ですから、今でも山下○郎さんの曲を聞くと、ラットの糞尿とホルマリンの入り交じった、実験室の匂いを思い出します。そして当時の自分の焦燥感と、結局ものにならなかった研究と実験動物たちへの悔悟の気持ちがこみ上げてきます。
プルーストは、マドレーヌでコンブレーの町の淡い記憶を思い出しましたが、僕の場合は、山下○朗さんが歌うGroovin’ (The Young Rascals)で、(本来の歌詞とはまったく違う)孤独な実験室、ネズミの糞尿とホルマリンの匂い、そして過去の悔悟の記憶がよみがえりました。広いコンサート会場を埋め尽くした観客を見下ろしながら(4F席だったので)、この中で山下○郎さんの曲を聞いて、ネズミの糞尿の匂いがする実験室を思い出しているのは僕だけだろうと思い、不思議な気持ちでした。
最後の方で好きな「希望という名の光」と「アトムの子」を聞きました。
還暦になっても心の奥底にアナーキーな香りを秘めた山下○郎さんよ、永遠なれ!
そして、僕の実らなかった実験に使われたネズミたちよ、永遠なれ!
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There's always lots of things that we can
see
We can be anyone we'd like to be
All those happy people we could meet
Just groovin' on a Sunday afternoon
Really, couldn't get away too soon
— Groovin' −
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