2009年7月20日月曜日

情動と認知の痛み

6月はいろいろと忙しくて、ブログの更新できなかったので、申し訳ありませんでした。

さて、ペインクリニック学会と疼痛学会合同の名古屋ペイン2009(名古屋)に行ってきました。両学会が合同に開催するようになってから、臨床と基礎の交流がうまくいくようになって、学会の雰囲気がアメリカ疼痛学会のようにオープンで、学際的になってきたように感じます。日本の疼痛治療も、ペインクリニック治療=神経ブロックという雰囲気から、痛みの機序を推定しながらinterventionや薬物療法を行う方向へと変化しつつあるように感じて、僕としてはうれしく感じます。まあ異論もあるでしょうが。

なかでも、慈恵医大生理の加藤教授が、講演の最後に仰っていた内容が興味深かったです。外敵から襲われると、その痛みや外敵の臭いを記憶し、不安、恐怖、不快といった負の情動を保持する。そうすると、二度とそうした危険が及ぶ環境に身を置かなくなり、生存確率が増えるという考え方です。つまり、情動の起源を、生体警告系に対する神経系応答(痛みの知覚面のことですね)の記憶に関連する体験として捉えようとする考え方ですね。これは新たな考え方かも知れません。この考え方では、痛みの認知面と情動面(=不快)が、記憶を介して密接に繋がっていることが容易に了解できますね。そうすればもしかしたら、逆に「快」という情動とは、進化の過程において、身の安全が確保されて、食料の心配が少なく、子孫をより残せる確立が高い環境にあった時の、記憶に関連した神経活動ということになるかも知れませんね。 この「快」の延長線上に「愛」があるのかも知れません。

15年くらい前、某大学の生理学の教授から、「21世紀は愛を生理学で解き明かす時代だよ、痛みのような原始的な感覚の解明では、いずれ時代遅れになるよ」と言われたことを覚えています。確かに加藤教授の扁桃体での素晴らしい研究を聞いていると、「快」、「不快」から、さらに「愛情」や「意識」といった問題についてまで、生理学が解き明かせる時代が、もうそう遠くはないようにも思います。冗談ではなく、本当に「愛の生理学」の時代が来ているのかも知れませんね。