2011年4月25日月曜日

3割 vs. 7割

「日本の人口の約7割は首都圏でないところに住んでいる。そして、自分が住んでいるところが東京ではないということを日々意識している。しかし、東京の住民は地方のことなどほとんど考えていない。(中略)なんとか対抗しようと力をふるっている「地方」もある。関西圏はなかなかがんばっているし、わが沖縄は芸能で抜きんでている。北海道には自然がある。信州には山と教養がある。」(池澤夏樹 -虹の彼方に-)

最近、この池澤夏樹の言葉を実感する出来事がありました。ある製薬会社の方がやってきて、「小さな研究会に、先生の教室の後期研修医の方が参加できるように手配しました。まずは月曜日の夜、東京のX大学麻酔科の教授と医局長が、○▲ホテルでの豪華なディナーにお付き合いしてくれます。翌日、X大学早朝カンファレンスから参加して、手術室見学、講演、昼食、午後からペインクリニックを見学して、夕方に解散です。」というのです。「ウチが全面的にバックアップしており、後期研修医数名の枠を確保しましたので是非御参加下さい」と、ニコニコと笑顔を浮かべていうのです。

この企画は、要はX大学麻酔科の後期研修医向けの入局説明会を、製薬会社の全面的なバックアップのもと行う、ということですね。そもそも全身麻酔の研究会でなぜペインクリニックの見学が必要なのでしょうか。全国の初期研修医を集めて麻酔科の魅力を伝えようとするのならまだしも、すでに麻酔科を専攻している地方大学の若手麻酔科医を東京に引っ張ろうとするX大学麻酔科と、それを積極的に支持するこの製薬会社とは、一体何なのでしょうか。この企画自体に吃驚したのですが、「これではまるでX大学麻酔科の入局説明会ですよ、しかも平日に信州大学の手術を制限してまで、後期研修医を参加させることができる訳ないじゃないですか」と伝えると、担当者は僕の発言の意味を理解できず、困ったような笑顔を見せているだけでした。

つまりこういうことです。この製薬会社は東京ばかりを見ていて、信州はもとより地方をまったく見ていない。そして、自分たちが「見ていない」ということが、すでに「わからなくなっている」。多分この担当者は、何故僕が怒ったか、今でもわかっていないと思います。東京が地方のことなど考えていないというのは、こういうことです。蹂躙され続けた地方は地団太を踏んでいるのですが、東京には地団太の音すら聞こえない...

ここ百年、日本は中央が地方を侵食するというかたちで進んできました。この基盤は、戦後は独裁政治や牙むき出しの資本主義ではなく、大衆消費社会という一見マイルドな体制でした。だから却って始末が悪かった。その大衆消費社会の基本概念を単純化すれば、幸福はお金で買えるはずというものです。しかし、他人の持っていない価値あるものを買っても、幸福は得られず僅かな満足しか得られなかった。そして、すぐに他人も価値あるものを手に入れたので、価値あるものの価値はなくなった。こうして、日本人はさらなる満足を求めて価値あるものを買おうと彷徨い始めた。地方に工場をおき、上前を撥ね、その工賃が高くなると海外に工場を移し、海外からも上前を撥ねた。気がついたら東京一極化と地方の空洞化だけが残った。心ある人たちはこの先にはどうやら幸福がなさそうだと気づき始めたが、それでも幸福は無理でも満足感だけは得られるのでないかと、今だに首都圏にしがみついている人たちが多い。特に昨今、将来への不安が蔓延すればするほど、目の前の満足感(そんなものあるのか!?)を求めて、首都圏に人は集まり続ける.... これが僕の大雑把な戦後日本社会の認識です。

僕が医者になりたての頃、21世紀には医者が単なる技術屋になるという識者がいました。残念ながら当たっていましたね。医者がヒトの体や病気の本質のことを考えないで、専門医だ、ガイドラインだと、自らを技術屋へと貶めるようになると、医療/医学が単なる商売道具になって、X大学と製薬会社のようなことが起こり始める。医療/医学の世界においても、東京が地方を侵食し始めるのです、いやもとい、侵食できると思い始めるのです。

まあ勝手に思っていてください。医者が生体の病気/病態の不思議を研究し、考え続ける限り、技術屋にはなり下がらず、科学者として踏みとどまれるはずです。そして、生体の中の不思議を解明するのに、東京も地方もないのです。そして何より、地方には地方の意地があります。ニュートンもダーウィンも田舎にこもって大発見をしたのです。

この製薬会社担当者と会った数日後、土曜日早朝の実験/研究カンファレンスに、10名以上の医局員が集まって議論しているのに目の当たりにして、信州の若者たちを大変誇らしく感じて、久しぶりにちょっと感動したのでした。