2011年3月22日火曜日

火の発見から50万年

福島第一原発事故のような事態に陥ると、ほら言わんこっちゃない、再臨界→チェルノブイリ→日本の終末と喧伝し煽る人たちがいます。逆に、今回の事故はむしろ、日本の原発が安全であることを証明していると、事故を過小評価する人たちもいます。最終的にはこの悲観論と楽観論の間のどこかの地点で収束するのでしょうが、その地点がどこかを予想するのは難しいでしょうね。

腹腔内の感染は何とか制御できたので、ARDSと腎不全を何とかしようとしていたら、ある日突然、吐血と後腹膜膿瘍でお亡くなりになって、結局、どうしてそうした事態になったのかさっぱりわからなかった、なんてことをしばしばICUで経験しました。勿論、原子力工学と臨床医学(しかもICU!!)を比較できないことは十分承知しています。しかし量子力学は確立された学問体系でしょうが、原子力工学は応用科学で、ましてや原子力発電所は、われわれの臨床に似た経験主義的な現場でないかと推察するからです。つまり経験科学においては、そもそも予期できないことは設定できないのです、当たり前ですね。

ウランをアルコールランプで1ヶ月炙ったら何が起きるか、なんて誰にもわからないと思うのです。アルコールランプは1000℃を超えないので、多分、恐らく、きっと臨界には達しないはず、でも水蒸気で湿度100%になって、水素濃度が上昇して、他の可燃物があったらどうなるか。たとえ臨界にならなくとも、炉が破損して水素爆発して、使用済み核燃料も水蒸気に混じって飛散し続けて3週間たったら...それでも関東は安全か。

現時点は、まさにこうした想定外の事態に、想定外の方法で対処しているので、誰もその結果を予想ができないのではないかと思います。まずは想定されていない状況から、想定された範囲内の危機までに回復させないと、事態の収拾が見えてこないということです。しかし想定されない状況で取らざるを得ない、規定からはずれた手法は事態を一部では回復させるものの、想定されない別の結果も引き起こす可能性があるはずです。これは、言葉遊びのつもりではありません。医療に限らず、原子力発電所を含め、すべての「現場」がこのように動いていると思うのです。

人類が開発した発電方法なのだから、いざとなれば人類がコントロールできるはず、いや少なくとも専門家が考えた通りの結果で収束するはずと思いたいのですが...そんなに単純ではないはずです。だって、ヒトは50万年前に火を発見しましたが、今でも日本で年間3000人弱の方が火事で亡くなり、世界的にも(恐らく)5-6万人以上の方が火事で亡くなっているので、50万年経ってもまだ人類は火を十分にコントロールできていない現実があるからです。まして況や原子力をや...でしょうね。

世界で年間何万人もの方が亡くなる火事という大災害は、日常で使用している火が原因なので、必要最小限の煮炊きと暖房にだけ火を使えば死亡者は激減するはずです。しかし人類は火の使用を制限しないで、火事になった後の消火・消防というシステムで対処してきました。これは今後、日本で原子力発電を再考する際に、重要なポイントになるような気がします。

いずれにせよ、まだまだしばらく不安な日々が続くと思います。現場で頑張っている皆さんの努力を尊崇して、よい結果を祈りたいと思います。