川越まで「青洲杯」に行ってきました。案外近かったですね、松本→川越は。朝4時過ぎに松本を出て、上田を経て高速に乗って、関越自動車道から川越を目指したのですが、何と2時間かからず川越手前の高坂というパーキングエリアに着いて、コーヒー飲みながら夜明けを待ちました。結局、松本から2時間少々で川越の球技場に着くことができました。
始球式は、○■大学のT教授と一緒に2人始球式で、ゆるゆるの直球がど真ん中に入りました。フォークボールはあえて封印しておきました。1回戦はJ医大に楽勝で、2回選は去年の覇者 D医大を接戦の末に破り、よもや(?)と不安と期待が交じり合った複雑な気持ちになりましたが、所用につき会場を後にして、帰りは2時間30分で、松本に着くことができました。
本朝大学に出勤すると、医局にでかいジュラルミン(?)の箱が置いてあったので、よもや、と思ったら、やはり優勝旗でしたね。あの後も信州大学が勝ち続け、とうとう優勝してしまったようです。来年は優勝校として優勝旗を返還しに行かねばなりません。ということは来年も絶対参加せねばならず、すなわち10月の第4日曜日には、教室員は川越まで行かねばならんということでしょうね。
科研費締め切りとの折り合いさえつけば、来年も応援に行くのはやぶさかではないのですが、今年の試合を見た限りでは、信州大学に不足しているのは女性の声援ですね。女性の教室員、看護師さん、教室員の奥さんなど、沢山の女性にも参加してもらって、帰途に温泉に寄るツアーを組む、なんてのはどうでしょうかねえ、野球部キャプテンさん。
2009年10月26日月曜日
2009年10月23日金曜日
いつもの季節
ようやく2010年度版 科研費申請が終わりました、やれやれ。10月の半ば~終わりにかけては、毎年、アメリカ麻酔学会(ASA)、北米神経科学会(Neuroscience)、そして科研費申請学内締め切り、臨床麻酔学会と続きます。毎年恒例の行事(?)ですが、体力・精神的にかなりつらい季節です。
ASAやNeuroscienceでは、学会場に顔を出した後は、ホテルで科研費申請書を書く年もあります。とはいえ、学会期間中多くの方々と交歓し情報交換するのも重要な仕事ですので、お酒を飲んではホテルに帰り、それから科研費申請書を書くということもしばしばです。それでも今のような電子申請などがないずっと昔は、印刷した小さな文字を申請用紙に切り貼りしたりと、申請書を書くこと自体が大変でした。
毎年、10月が近づいてきたら、何となく気分がそわそわしてくるのがわかります。また今年も「いつもの季節」がやってきた、と体が覚えているのですね。小中学生の時、ツクツクボウシやコオロギが鳴き出したら夏休みの終わりで、いゃ-な気がしました。大学時代は京都の長い秋は、枯葉がカサコソいう音で胸がざわつき嫌な季節でした。そしてようやく中年以降になったと思ったら、やはり秋は科研費に悩まされる季節で、いゃーな季節のままなのですね。いずれリタイアしたら、ようやく秋はいい季節になるのでしょうか。
さて、信州に赴任して、この「いつもの季節」に「青洲杯」というイベントが付け加わりました。これは東京近郊の大学麻酔科が10月の第4日曜日に行う野球の交流戦で、名前は勿論、華岡青洲に因んでいるのです。青洲杯は、ASAやNeuroscienceとは微妙にずれることが多いようですが、科研費申請の締め切りとは確実にバッティングしています。野球だから「バッティング」、なんておやぢギャグをいってる場合でなくて、これは本当につらいことです。試合開始が早朝なので、科研費申請でヘロヘロになった体で、信州松本から川越まで車で行かねばならないのですからね。
教室の人達は前泊するのですが、私にとてもそのような時間的余裕はありませんので、この2年間さぼってきました。とはいえ、お世話になっている大先生が青洲杯を大事にしており、今年こそは何としても参加して、1球投げなければなりません、始球式ってやつです。どうせなら、始球式にフォークボールを投げてみようかしら、と思っていますが、これは冗談。ともあれ、1球投げるために往復7-8時間かけて車で行かねばならんのです、とほほ。
今後、「青洲杯」が加わった「いつもの季節」を何年も経験すれば、パブロフの犬のように、秋以外の季節でも「華岡青洲」と聞いたら、「華岡青洲」→「青洲杯」→「科研費申請の季節」と連想して、ちょっとドキッとするようになるのでしょうか。ちょっと心配。
ASAやNeuroscienceでは、学会場に顔を出した後は、ホテルで科研費申請書を書く年もあります。とはいえ、学会期間中多くの方々と交歓し情報交換するのも重要な仕事ですので、お酒を飲んではホテルに帰り、それから科研費申請書を書くということもしばしばです。それでも今のような電子申請などがないずっと昔は、印刷した小さな文字を申請用紙に切り貼りしたりと、申請書を書くこと自体が大変でした。
毎年、10月が近づいてきたら、何となく気分がそわそわしてくるのがわかります。また今年も「いつもの季節」がやってきた、と体が覚えているのですね。小中学生の時、ツクツクボウシやコオロギが鳴き出したら夏休みの終わりで、いゃ-な気がしました。大学時代は京都の長い秋は、枯葉がカサコソいう音で胸がざわつき嫌な季節でした。そしてようやく中年以降になったと思ったら、やはり秋は科研費に悩まされる季節で、いゃーな季節のままなのですね。いずれリタイアしたら、ようやく秋はいい季節になるのでしょうか。
さて、信州に赴任して、この「いつもの季節」に「青洲杯」というイベントが付け加わりました。これは東京近郊の大学麻酔科が10月の第4日曜日に行う野球の交流戦で、名前は勿論、華岡青洲に因んでいるのです。青洲杯は、ASAやNeuroscienceとは微妙にずれることが多いようですが、科研費申請の締め切りとは確実にバッティングしています。野球だから「バッティング」、なんておやぢギャグをいってる場合でなくて、これは本当につらいことです。試合開始が早朝なので、科研費申請でヘロヘロになった体で、信州松本から川越まで車で行かねばならないのですからね。
教室の人達は前泊するのですが、私にとてもそのような時間的余裕はありませんので、この2年間さぼってきました。とはいえ、お世話になっている大先生が青洲杯を大事にしており、今年こそは何としても参加して、1球投げなければなりません、始球式ってやつです。どうせなら、始球式にフォークボールを投げてみようかしら、と思っていますが、これは冗談。ともあれ、1球投げるために往復7-8時間かけて車で行かねばならんのです、とほほ。
今後、「青洲杯」が加わった「いつもの季節」を何年も経験すれば、パブロフの犬のように、秋以外の季節でも「華岡青洲」と聞いたら、「華岡青洲」→「青洲杯」→「科研費申請の季節」と連想して、ちょっとドキッとするようになるのでしょうか。ちょっと心配。
2009年10月19日月曜日
2009年ASA
アメリカ麻酔科学会(ASA)でニューオリンズに来ています。2005年、ニューオリンズで予定されたASAが、ハリケーン カトリーナによる被害で急遽アトランタに変更になったので、僕がニューオリンズに来たのは、2003年のNeuroscience meeting以来です。あまり街は変わった印象はないですね、ハリケーン被害からほぼ完全に復興したということですか。
バーボンストリートは人で溢れかえっていたし、Convention centerは相変わらず端から端まで歩くとふくらはぎが痛くなるし、Audubon Parkは広大でした。毎朝、ミシシッピ川沿いをジョッギングしているのですが、ミシシッピ川が意外に川幅が狭いのに初めて気づきました。これまですぐそこに見える対岸を中州だと思っていたのですが、これがミシシッピ川の全幅だったのですね。「ハックルベリー・フィンの冒険」の中で、ハックルベリー・フィンが黒人奴隷のジムと一緒に、ミシシッピ川の中の小島に隠れる場面などがあったので、川幅がとてつもなく広い川を想像していたので、これにはちょっとびっくりです。
これまで何度もニューオリンズに来ているのに、ミシシッピの川幅についてずっと誤解していたことからも、人がいかに先入観で判断ミスするかよくわかりますね。今回のASAでは、まずは麻酔科のleading meegingであるASAを知ってもらおうと、信州の教室員11名でやってきました。そして、教室の若者が英語でちゃんとプレゼンテーション・質疑応答している姿をみて、大変驚くとともに、ちょっと感動しましたね。僕が初めてASAで発表した時とは全然違うね。当時はまったくアメリカ人とコミュニケーションできなかったものね。今回、ぶっつけ本番で発表した教室員も多かったので、実はどうなることかと心配していたのですが、これも間違った先入観でした。皆さん、堂々としていて大丈夫でした。それなりに緊張していたとは思いますし、上手くいかなかったと思っている人がいるかも知れませんが、初ASAとしては本当にりっぱだったと思います。拍手拍手。
今回の教室の若者の発表を見ていて、今後彼らの可能性を伸ばしていく(邪魔をしない?)教室運営を心がければ、彼らが勝手にどんどん成長していって、教室をもっと引っ張って行ってくれるだろうと、楽観的に思えるようになりました。そのためには、帰国後、まずは発表した内容を論文化していくことと、来年のASAを目指して新たなデータ取りをすることから開始しなくてはなりませんね。来年のASAはSan Diegoで日本から近いので、また沢山の教室員と一緒に行こうと思います。演題採用を目指して頑張ってください。演題採用にならないと、留守番役になっちゃうかも知れないので頑張ってくださいね。
バーボンストリートは人で溢れかえっていたし、Convention centerは相変わらず端から端まで歩くとふくらはぎが痛くなるし、Audubon Parkは広大でした。毎朝、ミシシッピ川沿いをジョッギングしているのですが、ミシシッピ川が意外に川幅が狭いのに初めて気づきました。これまですぐそこに見える対岸を中州だと思っていたのですが、これがミシシッピ川の全幅だったのですね。「ハックルベリー・フィンの冒険」の中で、ハックルベリー・フィンが黒人奴隷のジムと一緒に、ミシシッピ川の中の小島に隠れる場面などがあったので、川幅がとてつもなく広い川を想像していたので、これにはちょっとびっくりです。
これまで何度もニューオリンズに来ているのに、ミシシッピの川幅についてずっと誤解していたことからも、人がいかに先入観で判断ミスするかよくわかりますね。今回のASAでは、まずは麻酔科のleading meegingであるASAを知ってもらおうと、信州の教室員11名でやってきました。そして、教室の若者が英語でちゃんとプレゼンテーション・質疑応答している姿をみて、大変驚くとともに、ちょっと感動しましたね。僕が初めてASAで発表した時とは全然違うね。当時はまったくアメリカ人とコミュニケーションできなかったものね。今回、ぶっつけ本番で発表した教室員も多かったので、実はどうなることかと心配していたのですが、これも間違った先入観でした。皆さん、堂々としていて大丈夫でした。それなりに緊張していたとは思いますし、上手くいかなかったと思っている人がいるかも知れませんが、初ASAとしては本当にりっぱだったと思います。拍手拍手。
今回の教室の若者の発表を見ていて、今後彼らの可能性を伸ばしていく(邪魔をしない?)教室運営を心がければ、彼らが勝手にどんどん成長していって、教室をもっと引っ張って行ってくれるだろうと、楽観的に思えるようになりました。そのためには、帰国後、まずは発表した内容を論文化していくことと、来年のASAを目指して新たなデータ取りをすることから開始しなくてはなりませんね。来年のASAはSan Diegoで日本から近いので、また沢山の教室員と一緒に行こうと思います。演題採用を目指して頑張ってください。演題採用にならないと、留守番役になっちゃうかも知れないので頑張ってくださいね。
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