2009年11月11日水曜日

晩秋の上高地

先週、上高地に行ってきました。いよいよ閉山祭と道路が冬季閉鎖になる時期なので、紅葉はすっかり終わっていたし、すでに肌寒かったです。しかしやっぱりよかったぞ、上高地!!。実は上高地は25年振りでした。大学6年生の秋、卒業試験/国家試験前に最後に山に登っておこうと、穂高から槍ヶ岳まで友人と3名で縦走した時以来です。その時は山岳部の山行ではなく、仲良し3人での登山でしたので、山に対する先鋭的な雰囲気はまったくなく、「いよいよ卒業して、まっとうな社会人になるしかないんだな。」という、青春の終わりのノスタルジーに浸った山行でした。しかし不思議なことに、その後の人生の節目節目で脳裏に浮かんだのは、山岳部の山行で見た山々ではなく、この時、河童橋からみた穂高の風景でありました。

山岳部の山行としてピークを目指すのは、若者特有の達成感が欲しいという動機からだと思いますね。若ければ若いほど、無名であれば無名であるほど、より厳しく険しいルートを目指して山のピークに立つことで、世界に向かって自分が何者かであることを証明したいのかも知れません。しかし河童橋から穂高を見た時の感動は、こうした達成感とは少し種類が違うもののように思います。

穂高といえども、所詮地層の盛り上がりに過ぎず、やがて崩落していく運命なのに、どうしてヒトは穂高の風景に感動するのでしょうか。人類の祖先の○■ピテクス達も果実を食べる手を止めて、山々の壮大な美しさに見とれることがあったのでしょうか。多分あったのだと思いますね。だからこそ僕ですら上高地に行きたいと思うのでしょう。

46億年前、地球が誕生して幾多の氷河期と間氷期を繰り返し、やがて誕生した単細胞生物が多細胞動物となり、脊索動物から哺乳類を経てホモサピエンスに至るまで、膨大な時間を経て人類は進化してきました。その間、人類の祖先である生物達は、隕石の落下、地震、火山の噴火、地層の変化、氷河など、地球の激動をずっと見てきたはずです。そしてそれらの断片的な記憶がヒトのDNAのなかに痕跡として残されており、僕が上高地で見る風景と、祖先であるさまざまな動物が見てきた記憶とが呼応して、僕を感動させているのではないかと思います。

何のデータ裏づけもない、茂○健△朗的な「いいがけん仮説」に過ぎませんが、久し振りに上高地から美しい穂高を見て思いつきました。但しこの仮説の難点は、上高地で観光客におやつをせびるニホンザル達が、おやつをせびる手を止めて、穂高の山々に見とれる瞬間が到底あるようには思えないことですね。まあ、これは冗談。幸い今回、そんな態度の悪いニホンザルには絡まれなかったので、穂高の美しさと自分の思いついた記憶仮説に満足して、上高地を後にしたのでした。

いずれにしても来年こそは、25年前と同じように穂高から槍ヶ岳まで縦走したいと思います。だから南極越冬しているI先生には帰局してもらい、山岳部出身の後期研修医にも入局してもらい、いよいよ麻酔科山岳部を立ち上げる時がきたと(勝手に)思っているのですが...何とかなりませんか医局長さん。