年末に京都御池で、そして先週末は東京神楽坂で、お酒を飲む機会がありました。前者は大学時代の同級生達との忘年会で、後者は新宿にある2つの大学麻酔科のO先生とU先生との会合でした。O先生の計らいで、東京でも京都っぽい所ということで神楽坂が選ばれたようで、料理も加賀料理+シャンパンという洒落たものでした。確かに神楽坂の一角は昔ながらの風情を残していて、好きなエリアなのですが、「ほらほら、東京にだってこんな処も残っているでしょ」という、計算されて仕組まれた空間に感じてしまうのですね。これって僕がひねくれているからかも知れません。でもちょっと遠くを眺めると、新宿の高層ビル街が見えるのですから、昔ながらの風情っていわれてもなぁ... 素直に頷けない所以です。
そもそも新宿区には、慶応、女子医、東京医と3つの大学病院がほぼ半径500 m~1 km以内にあるのですね。これ以外にも国際医療センター、社保中央、東京厚生年金などの大病院があって、東に1-2 km行くと、日大駿河台、順天堂、医科歯科、東大、東京逓信、三井記念と目白押しです。ということは、信州と東京とでは、大学医学部・病院の概念や役目が違うということですね。したがって、医師/研究者の目標も異なるはずです。(多分)都会では流行を追い続けていないと、取り残される不安があると思います。でも一体、何から取り残されるのでしょうか。田舎のslow lifeに染まるのがベストではないのですが、都会にいると却って見えない本質もあるように思います。いずれにせよ、夜の12時に新宿にいる人達だけで、信州松本の人口をはるかに超えているのでしょうから、僕から見るととんでもない世界です。
宿泊した新宿の高層ホテルからの外の眺めは、もうブレードランナーの「強力わかもと」のネオン都市そのものです。新宿は進化し過ぎた人類の脳が作り出した人工世界なのでしょうが、阪神大震災を知る者としては、こうした人工的な構造物が恒久的に存続するとはどうしても思えないのです。そして何より、自然から離れて人工都市に閉じ込められると、自分が動物であることを忘れて、脳がヴァーチャル世界に向かって走り出しそうな不安を感じますね。
一方、年末の京都では、昔住んでいた修学院~一乗寺あたりをブラブラしたのですが、昔ながらの学生街で20年前とあまり変わっていませんでした。一乗寺といえば、宮本武蔵が吉岡道場一門70名と決闘して、一門の嫡子4歳を切り捨てたという「一乗寺下り松」の辺りで、昔は山の中だったはずです。もっともこれは吉川英治の小説での話で史実ではないそうで、決闘の規模はもっと小さく、決闘の場所も南の街中だったようです。にもかかわらず、一乗寺にはちゃんとその時の松の木と決闘の碑が残っていて、ここで宮本武蔵と吉岡道場との決闘があったと書かれているのです。これまた京都ならではの、さりげなくあざとい演出ですね。でもこの程度の演出は、新宿の人工の構造物群と比べると、笑って許せる範囲かも知れません。
ヴァーチャル世界が行き着いた先の新宿や、さりげなく(あざとく?)昔を保っているふりをしている京都とは違って、信州松本では常念岳をはじめとする北アルプスの雄姿に圧倒されます。これは人工的な構造物ではない、自然のありのままの姿です。特にこれから春にかけては空気が透き通り、毎日のように雄大な山々を見ることができるうれしい季節です。この風景を見る度に、ヴァーチャル世界に流されそうな自分を戒め、じっくりとライフワークを進めていくための勇気をもらえるような気がします。今回はちょっときれいにまとめてしまいましたが、京都御池や東京神楽坂の夜をフラフラと酔っぱらって歩きながら、やっぱり信州はいい所だとしみじみと思ったのでした。