2011年1月7日金曜日

我あり、故に我思う

たまには読んだ本のことでも... 

正月休みに、デカルト関連の本を2冊読みました。『デカルトの誤り』(Descartes' Error)(http://www.amazon.co.jp/%E3%83%87%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%83%88%E3%81%AE%E8%AA%A4%E3%82%8A-%E6%83%85%E5%8B%95%E3%80%81%E7%90%86%E6%80%A7%E3%80%81%E4%BA%BA%E9%96%93%E3%81%AE%E8%84%B3-%E3%81%A1%E3%81%8F%E3%81%BE%E5%AD%A6%E8%8A%B8%E6%96%87%E5%BA%AB-%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%8B%E3%82%AA%EF%BD%A5R%EF%BD%A5%E3%83%80%E3%83%9E%E3%82%B7%E3%82%AA/dp/4480093028)と、

『デカルトの骨』(Descartes' Bones)(http://www.amazon.co.jp/%E3%83%87%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%83%88%E3%81%AE%E9%AA%A8-%E6%AD%BB%E5%BE%8C%E3%81%AE%E4%BC%9D%E8%A8%98-%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%BB%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%BC%E3%83%88/dp/4791765753)です。

近代医学は、勿論、デカルトの心身二元論をベースにしています。また、デカルトはアリストテレス以来、情動の一種とされた「痛み」を知覚情報として捉え直しました。『デカルトの誤り』は、神経科学者の著者ダマシオが、こうしたデカルトの二元論を誤りと断じた本です。ダマシオによると、生体では心⇔脳⇔身体、そして環境との相互作用がダイナミックに起こっています。そして感情と理性は、いずれも身体の状態と深く関わった対等な脳の活動とされ、それぞれが身体状態へも影響を与えます。

生体は進化の過程で、ホメオスタシス維持のために、まずは自律神経と内分泌系を発達させましたが、このホメオスタシス維持に情動・感情が重要な役割を行っているというのが、この本の核心部分です。「進化の過程では脳のない生物は存在したが、脳や心があって身体のない生物は存在しなかった」という言葉で、Damasioの考え方が代表されます。身体と脳・心を(そして情動や理性を)分離できないということですね。「理性があるから私(身体)がある」のではなく、「身体があるから(私がいるから)、理性がある」ということですね。「我思う、故に我あり」ではなく、「我あり、故に我思う」という主張です。この本では、さらに合理的意思決定にも、心-脳-身体のダイナミックな相互作用が不可欠であるという主張など、斬新な作業仮説が一杯詰まった本でした。面白かった。

一方、『デカルトの骨』は、宗教改革・ルネサンスを経てデカルトが出現した時代背景や、デカルト主義によりフランス、イギリス、オランダ、スウェーデンなど当時のヨーロッパ諸国に激震が走り、デカルトの思想が最終的にはアメリカ独立、フランス革命の遠因になったことが書かれており、これまた大変面白かったです。確かに「思想」はあっという間に空気として世界中に広がり、時代を席巻していきますからね。

個人的に狭義な興味としては、『デカルトの誤り』の中で、アルメイダ・リマが慢性痛の治療に、前頭前野切載術(prefrontal lobotomy)を応用していたことを知りびっくりしました(Lima. Med Contemp 1952;70:539-542) (http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/13012693)。リマは、エガス・モニス(http://en.wikipedia.org/wiki/Ant%C3%B3nio_Egas_Moniz)に協力してロボトミーを開発したポルトガルの外科医です。モニスはこのロボトミーの功績(?)により、1949年ノーベル医学生理学賞を受賞しましたが、その後、この受賞が大きな問題となりました。後年、モニス自身が、ロボトミーを施行した患者の恨みのため、銃で撃たれてしまったくらいですからね。

痛みの研究者は、島(insula)や帯状回の障害で、知覚的に痛みは感じるが不快でない状態(pain asymbolia)(http://en.wikipedia.org/wiki/Pain_asymbolia)が生じることは知っていますが、前頭前野の切截術で同様のことが起こることは、あまり知られていないと思います。しかしこの事実は大変重要だと思います。前頭前野が、痛みの情動面に重要な役割を果たしているということですからね。ロボトミーに関連した研究成果は、(恐らく)医学論文では意識的に引用されないため、人目に触れなかったのかも知れません。この本の著者であるダマシオはモニスやリマと同じポルトガル人だから、ポルトガルの医学界では常識なのかも知れません。

いずれにしても正月休みに上記2冊の本を読んで、現在の科学や社会の閉塞感は、デカルト以来の理性に重きを置いた演繹的手法が、科学だけでなく広く社会一般でも、そろそろ限界に近づいてきたせいかも知れないな、などと柄にもなく考えさせられたのでした。やっぱり京大霊長研のように、アフリカでボノボを帰納的に観察している方がより科学的なのか、なんてね。

後200年もすれば、18~20世紀は、「純粋理性」によって「純粋自然」が解明されるはずだ、という????な考え方に取りつかれた、暗黒の時代とされるかも知れません。中世ヨーロッパにおけるキリスト教と同じようにね。