2007年10月10日、札○医大図書館で論文を読んでいた僕のPHSに、信州大学医学部長△橋教授(当時)から教授選考結果を知らせる電話がかかってきました。あれから今日で丁度4年経ちました。あっという間の4年でした。
論文を読んで患者を診る。思索を重ねて論文を書く。論文を読んでネズミに聞く。思索を重ねて論文を書く。また論文を読んで患者を診る...この繰り返しを一生淡々と行うのが医者の努めと信じて生きてきました。しかし赴任直後、ある医局員に「論文ばかりを言う教授にはついていけないな」と目の前で手術用手袋を床に叩きつけられた時に、僕の常識が通用しない世界に来たことを知りました。
赴任後、医局の秘書さんには、「先生、ここには医局で勉強するような医局員はいませんよ。」、「ここでは外国論文を取り寄せたり、英語論文を書いたりする医局員は出ませんよ。」と言われました。確かに夜7時に外勤から帰ってくると、臨床研究棟は麻酔科医局の周辺だけ真っ暗でした。赴任後半年間は、ほどんど誰とも夜の医局で出会うことはありませんでした。今では真夜中や土日祭日でも実験をしたり、論文を読み書きする医局員が多くなりました。それでも僕は、赴任直後の秘書さんの言葉を肝に銘じています。医局を活性化し続けるのが僕の唯一の役目だと信じるからです。
信州大学で肝移植を始められた●内先生の回顧文(肝移植施行20周年記念業績集:医局図書にあります)にこう書かれています。「臨床は患者さんのニーズに応じて行っていくもので、それは淡々と粛々として行われるべきことです。また他人が行っていないことを初めて行うには論理的根拠、エビデンス、そして技術的背景と工夫が必要です...。」 当たり前のことですが、まさにそれを実践されてきた●内先生の文章なので含蓄があります。
論理的根拠とエビデンスのために「論文を書く」という作業が不可欠です。論文なき医療は呪術と同じだからです。でももうこんなことは、医局の皆さんに言わなくてもよくなりましたね。思えば僕が入局した札○医大麻酔科も、20数年前は荒廃しきっていました(失礼!)。論文を読む人も書く人もほとんどいなかった...。そこで危機感を持った若い医局員たちが切磋琢磨したのです。そして個々の医者の成長と医局の成長とが合致し、うまく発展できた稀なケースだったのだと思います。しかし過度で不当な競争は、個人だけでなく組織から真の理念-医者として失ってはならない信念や良心-を奪うことがあると肝に銘じなければなりません。
この4年間で僕が何より嬉しく感じるのは、信州に臨床と研究のバランスの取れた人が育ってきたことです。「いい臨床医を育てる。そのための臨床 & 基礎研究であり、必ず臨床に反映させなければならない。」という信念が実現しつつあることを大変嬉しく思います。学会発表数や論文数を競っても仕方がありません。どこに出しても恥ずかしくない、研究心を持った臨床医を一人でも増やしたい。次の4年に向けて粛々と医局の皆さんが成長できるようサポートしていきたいと思います。
最後になりましたが、●内先生は次のようにも書かれています。『...赴任直後、まじめそうな若い医局員から、「先生、余暇には何をされますか?」と聞かれました。僕には余暇という概念がなかったので、びっくりしていささか返答に詰まりました..。』 確かに僕も医者になって以来、余暇という概念はありませんでした。しかし仕事から解放され、とことん遊ぶ余暇は確かに必要だと思います。それでも若い医局員には、たとえ大学にいる数年間だけでも、人生を賭して臨床や研究に没頭して、数多くの無駄な夜昼・祭休日を過ごして欲しいと願っています。そんな無数の夜や祭日を経て人は成長し、そんな無数の人生が集まってこの世は成り立ち、人類は進歩してきたのだからね。きっと皆さん,医者として人間として成長できると思うよ。
本ブログは当初の役目を終えたので、新たな方向性を持たすまで休止します。また再開した時は宜しくお願いします。