2009年2月11日水曜日

アメリカ金融不況とグラントの未来

アメリカ発の金融不況が始まって、NIHなどの公的グラントはどうなるのだろう。2000年前から2004年まで右肩上がりだったNIHグラントは、現在では頭打ちになっており、CellやPNASに論文が掲載されても、グラントを取れずに、lab閉鎖を余儀なくされる研究者が出てきたようだ(http://www.nature.com/news/2009/090204/full/457650a.html)。これから不況がさらに進めば、NIHグラントは減額され、臨床応用しやすい内容や、特許を取れて、お金を生みそうな研究にグラントが投じられるに違いない。そしてこの傾向は日本にも波及するだろう。

すぐさま臨床応用できそうな研究を、基礎研究者に要求するのは、かなり酷である。医学部出身以外のPhDは、フワフワとした臨床の曖昧さをイメージできないだろうし、MDでも、臨床から離れて久しいと、臨床での問題点を体感できなくなっている。とはいえ、グラントの採否を決定する人も、臨床から遠くなった臨床の教授や、文科省や厚労省のお役人だろうから、結局、あたかも臨床応用できるかのように思える作文を書く才能があり、かつ、それに相応しい研究結果を出せる研究者に公的資金が集中するに違いない。 こうなると、基礎研究は逆に、臨床応用から遠ざかることになりはしないか。

僕は、臨床応用を志向した、基礎医学からの研究結果は、話半分だと思っている。話半分という意味は、基礎実験の結果を臨床応用しても、半分くらいしか成功しないだろうということと、もう一つは、基礎研究でネガティブだったとしても、もしかしたら、半分くらいは臨床でうまくいくかもしれない、という意味である。

臨床の現場は、個別化と普遍化の間をフワフワと漂っている空間である。同じ麻酔法を選んでも、まったく同じ経緯を辿る人はいないが、ある程度類型化はできる。つまり、意識(脳)、鎮痛(脊髄、末梢神経)、筋弛緩、循環、呼吸、体液・内分泌など、それぞれの体内のシステムやネットワークに対する麻酔薬の影響は、ある程度の類型化、普遍化ができるが、その順列・組み合わせは膨大となり、結果的に、生体全体の反応としては、かなり個別的な応答が得られることになる。したがって、あまりに普遍化された治療は、ある程度個別化したヒトには効かず、あまりに個別化した治療は、ある程度普遍化したヒトには応用できないということになって、臨床応用で成功を収めるのは、つくづく難しいのだと思う。

再生医学は、多能性幹細胞の成長を期待した医療なので、個体発生を辿る医学ともいえる。個体発生こそ、個別化の最たるものだから、再生医学の臨床応用を普遍化するのはかなり難しいのではなかろうか。理論的に(何の理論かは知らないが)、100%効果がある分子量300前後の化学物質治療(通常の薬物療法のことです)ですら、臨床で半分効果があれば、大したものだ。比較的単純な組織はともかく、高度に個別化した中枢神経をターゲットとした、普遍的な再生医療なんて、本当に成立し得るのだろうか。

再生自体は個体発生を考える上で、大変興味深い分野である。しかし同時に、再生医療はお金を生む匂いがする分野でもある。今、「再生」が旬なのも、後者の研究者が集まろうとしているという面が強いように思う。他方、世の中すべて「お金」の風潮が、アメリカ発金融不況の背景だと思う。この風潮が科学や医学の世界に入り込んで、日本でも大学の独立法人化や競争的資金獲得が推奨されてきた。今回のアメリカ発金融不況を契機として、もうそろそろ、科学や医学が金融化から脱することを考えてもいいのではないだろうか。