○▲大学の教授に就任されたM先生に就任祝いをお送りしたら、ご返事の手紙をいただきました。その中に、「...私は、○▲大学麻酔科初代教授のT先生から、『休日をつぶして研究をするものにしかチャンスは与えないことにしておる』という教育を受けた世代ですので...」という一文がありました。
○▲大学初代教授 T先生は、麻酔科における脳循環・脳代謝研究の先駆者で、脳波・誘発電位計を手術室、ICU・ER、病棟に導入して、脳蘇生や脳機能を指向した全身管理学を確立した先生です。脳死臨調にも関与され、「麻酔科医」という枠を超えた視点から、日本や世界の神経麻酔科学の基礎を築かれた先生だと思います。以来、二代目教授S先生、三代目新教授のM先生たちの尽力によって、○▲大学麻酔科は神経麻酔の領域で日本だけでなく、世界をリードしてきたと思います。
T先生は、20年前にご自身が主催した麻酔科学会での会長講演の冒頭で、「自分は基礎医学者のようなきれいなデータを示すことはできない。自分にできることは、一臨床医として一生をかけて脳循環・代謝というテーマと格闘し、もがき苦しんできた姿を伝えることだけだ。そして、この会場にいる若い麻酔科医の何人かが、自分と同じような人生を選んでくれれば望外だ」ということを仰いました。私はT先生のこの言葉に(勝手に?)触発され、今日までやってきたと思っています。
臨床医である麻酔科医の本分は、もちろん臨床に邁進することです。しかし、患者さんの体(病態)のことをまったく知らずして、一所懸命時間を費やすことを「邁進」とはいいません。臨床における新たな発見をして、そのメカニズムを解明する努力をして、初めて臨床に邁進しているといえます。臨床医は患者さんに手術、麻酔、処置、投薬という、本来の病態とは別の重篤な病態を医原的に作り出すリスクを負わすのですから、リスクを超えたbenefitがあるというlogicが必要です。このlogicをscienceまで高めた時、初めて麻酔科医療が成立するのです。この努力を怠れば、たちまち医療は呪術に逆戻りし始めます。すなわち、logicをscienceまで高める努力をする以外に、麻酔科医の「邁進する」道はないのです。
こう考えると、「麻酔科医の邁進」のためには、臨床研究と基礎(動物)研究が不可欠であることを理解できると思います。とはいえ日々の臨床業務をこなす必要がありますので、私も、○▲大学のM先生と同じように、臨床の仕事が終わった夕方~深夜や、休日をつぶして研究してきました。しかし今の若者の中で、こんな負担の大きい生活を希望する人が少なくなったように思います。
M先生からの手紙は、「...(休日をつぶして研究せよという)T先生の精神は私の体に染み付いているが、当分はそれを封印して、ともかく人を集めることに徹したい...」と結ばれていました。確かに今の若者達に「夜をつぶせ、休日をつぶせ」というと、入局者は減り、麻酔科教室は崩壊するかも知れません。しかしどんなに時代が変わっても、どんなに人の気持ちが変わっても、変えることができないものもあるのです。
休日をつぶさずして、医学上の重要な発見がなされたでしょうか? あるいは、休日をつぶさずしてハイブリッドカーは開発できたでしょうか? 休日をつぶさずに南アルプスを打ち抜く土木工法は開発されたでしょうか? カップラーメンですら、膨大な休日をつぶして開発された技術のはずです。つまり私たちの周りで溢れかえっているものは、数多くの人たちがつぶした、無数の休日をもとにできているに違いありません。そして、休日をつぶすとは、人生をつぶすことであり、人生をつぶして何かを得ようとすることです。
ですから私や○▲大学のM先生は、本音では今の風潮とは逆に、「若者こそ、どんどん休日をつぶすべきだ」と言いたいのです。若者こそ休日をつぶすべきですし、若者が休日をつぶすべき目標を持たないような社会が、希望に満ちた幸せな社会とはどうしても思えないのです。そして身近な若者を見ていると、人生を何かに賭けようと思っている若者は沢山いるのです。むしろ問題なのは、そのような向上心を持った若者に答えることができない指導医側にあると思うのです。どのようにして、休日をつぶしたらいいのかわからない若者には、方向性を示してあげなくてはなりません。そして、方向性を示すことができるためには、上級医もまた無数の休日をつぶしてきた(つぶしている)者である必要があると思うのです。休日をつぶす若者が少なくなったとは、休日をつぶして来なかった上級医の身勝手な嘆きに思えるのです。
○▲大学のM先生からの手紙の最後には、自宅が少し大学から離れているので、教授就任後、大学の近くにアパートを借りて一人暮らしを始めた、と書かれていました。このように、初代T教授、2代目S教授、そしてM新教授と続く、自ら率先して「休日をつぶす」譜系があって初めて、○▲大学の脈々たる業績があるのだと思い至りました。そして臨床医学の教室というものは、「前進する努力」を怠ってはならないと思い知りました。臨床の教室がほんの少しでも前進を怠ると、医療が呪術へと逆戻りを始め、scienceに基づかない身勝手な医療がはびこり、地域医療が停滞し患者さんが不利益を蒙る可能性があるからです。
そこで、信州の若者に(自戒も込めて)言いたいと思います。一生やれ! なんて言わないので、4-6年、「休日をつぶして」麻酔科学に邁進してみないか。ライフワークが見つかって、後年、それはとても有意義な時間だったと思い至るよ。私たち指導医側は、若者個人の目指す高みに答えられるように、テーマを用意するので、是非とも頑張ってほしいと願っています。