ICU学会2日目には日韓ICU学会(http://icm2010.umin.jp/ksccmjsicm/)の司会をさせてもらいましたが、韓国の若いICU医の活発さに感動しました。まさに僕が○▲大学ICUで働いていた頃の熱気に似たものを感じました。若者の一所懸命さというのはいいものです。APRVはIRVと同じように多分消えていくかも、などと僕のようなおやぢのつぶやきに負けないで、頑張って欲しいと思いましたね。若者の一所懸命さ以外にbreak throughを起こす原動力はないからです。
僕だって若い頃はICUで身を立てようと思っていたのです。ある日元ボスに呼ばれて、これからはpainの研究/臨床にシフトしなさいと言われたのです。最初は嫌でしたね、何より人の命を救いたくて麻酔科医になったのに、何が悲しゅうて痛みなんか研究しなくてはならないかと思いました。しかし教室の方針としてpainの研究をやる人が必要なのだから仕方ないと、それなりに一所懸命励んだつもりです。今、信大麻酔科のlab.の設備が整いつつありますが、僕が研究を開始した当時の○▲大学麻酔科にはtail flick testの機械(ネズミの尻尾に熱を当てるもの)しかありませんでした。学内走り回って他部門の機械を借りたり、自腹を切って機械を買ったりしてしのぎ、留学からの帰国後40歳近くでようやく助手(助教)にしてもらえたので、科研費が申請できるようになりました。
しかし今振り返ると、資金や機器が乏しかった時の方が楽しかったね。論文を真剣に読んで計測系を想像しながら、国内外のlab.を見学に行って、少しずつ自腹や科研費で実験系を作って、初めて記録が取れた時の喜びは得難いものでした。研究は臨床の仕事が終わった夜中や土日曜日にするしかなかったけど、まったく意に介さなかったしね。帰国後、初めて生きたネズミの脊髄からきれいな細胞外記録が拾えたのも真夜中でしたし、in vivo patch-clamp記録が初めてできたのも5月のゴールデンウイークの最終日夜だったし、生まれたてネズミの脊髄in vivo patch-clamp記録ができたのも日曜深夜でした。「やったー!」と喜んで後ろを振り返っても教室には誰もいなかったけど、臨床の教室で研究するということは(多分)永久にそういうもので、最後は孤独感との闘いなのだと思いましたね。それでも研究を通して自己満足と知的興奮が得られました。これは、単独行で未踏峰のピークを踏むのに似た感覚ではないかと思います、未踏峰を踏んだことはないけど...
話が脱線しました。現在の韓国の麻酔科医 & ICU医は、忙しく苦しくfrustratedな毎日だと思いますが、それでもまさに黎明期として、楽しく興奮した日々なのではないかと想像します。設備がないのは不幸ではないのです、目指す目標や(知的)興奮がないのが不幸なのです。そして今の若い医師に目標(方向)を示してあげるのが、われわれおやぢの役目だと思います。
ICU学会2日目の夜に東京に移動して、昨年に引き続きJB-POT用の講習会に(http://www.jb-pot.com/workshop/index.html)1日だけ参加しました。昨年と同様、ここでの若者の熱気には驚かされました。しかし韓国ICU医の熱気とは根本的に違う熱気で、駿台夏期講習に近い熱気だと思いました。つまり未知の分野を切り拓こうとしている熱気ではなく、出題範囲と回答がある世界で、要領よく受験テクニックを学ぼうという熱気ですね。そして僕自身は決して予備校講師にはなれないなぁと思った次第です。
とはいえ現在の「専門医志向」という、要領よさを目指した風潮の中で、来春から信州麻酔科の大学院生が5名になるというので、まだまだ信州の若者は捨てたものではないと心強く思います。そして指導側がしっかりと若者の期待に答えていかねばならないと、帰りの「あずさ」の中で強く感じたのでした。こうして、松本→(232 km)岐阜→(232 km)松本→(686 km)広島→(818 km)東京→(228 km)松本 計2,196 km(6日間)の移動が終わました。さすがにちょっと疲れましたね。