2010年3月17日水曜日

「筋を通した先生」の最終講義を聞く

少し前ですが、○▲大学のD教授の最終講義に行ってまいりました。D教授には直接指導されたことはないのですが、心の恩師です。D教授の学問的業績は、第2世代麻酔科医の中で突出しています。ここで簡単に麻酔科医の世代について説明しておくと、第1世代麻酔科医とは、外科学教室出身で麻酔科学を専攻して、1960~70年代前半に麻酔科医としてスタートされた方達ですね。スタートとほぼ同時に教授になった方も多いのです(30代で教授になったのね)。そして第2世代とは1970年代半ばころに、第1世代教授が主宰する麻酔学教室に入局して麻酔科医としてスタートして、1980年代半ば~1990年前半に教授になった人達ですね。そして1980年半ば~1990年前半に、第2世代の教授のもとで麻酔科医になったのが第3世代ということになります。そしてここ7-8年前からボチボチと第3世代麻酔科医の教授が誕生し始めています。僕は第3世代の中では中堅~やや年寄りといったところでしょうか。

D教授の話に戻ります。D教授の最終講義を聞きながら、僕は20年前のことを思い出していました。1990年8月、麻酔科医になってまだ3年目の僕は、市中病院の元上司の勧めで、北海道から実家への帰省途中、教授になって間がないD先生のもとを訪れたのです。D先生は初対面の僕に多くの時間を割いてくれて、麻酔科学の面白さを熱く語ってくれました。元上司は、僕をD先生の教室に入局するように勧めてくれたのですが、残念ながらいくつかの理由でそれは叶いませんでした。しかしその後、学会などでD先生は、僕に親しく声をかけてくれるようになりました。不思議なことに、研究の方向性や身の振り方などで悩んでいる時、D先生との会話で自分の気持ちが楽になるのでした。D先生は数多くの麻酔科領域での重要な論文を書いているので、「頭脳の人」と思われがちなのですが、根っこは「情の人」なんだと思います。僕の気持ちを推し量り、声をかけてくれていたんだと思います。

D先生は僕の教授選考講演会の前日、僕が泊まっているホテルに電話をくれて、講演会に臨む心構えについても教えてくれました。つまり正々堂々と自分の考えを述べて、選ばれても選ばれなくともその結果を受け入れ、前向きに生きなさいということでした。これで僕は落ち着きましたね。自分がどういう教室を作りたいのか、どんな麻酔科医を育てたいのかしっかりと述べて、もし僕の考えを受け入れてくれるのならその任を全うしよう。そして選任されなければ市中病院に就職するつもりだったので、その場合は市中病院でちゃんとした後輩を育てようと思いました。たとえ大学にポジションがなくとも、僕をこれまで育ててくれた先輩達のように、僕も市中病院で後輩の将来の可能性を伸ばしてあげればいいのだと思いました。

D先生の最終講義を聞きながら、やっぱりD先生は「卑怯」に逃げないで、筋を通して学問、教育、臨床を貫き通した方だと思いました。そして僕自身は人格、学問ともにD先生の足元にも及びませんが、それでもD教授のように筋を通す麻酔科医をこの地で育てていきたいと思ったのです。そして後輩麻酔科医には、学問業績に加えて、何より本当の「情の人」に育って欲しいと思いましたね。見かけの「情の人」は、自分の利益を考えて他人に優しい振りをしているだけの人ですが、本当の「情の人」は、自分の利益を考えない滅私の人だと思うからです。

20年前、僕はD先生の教室に入局することは叶いませんでしたが、それでもD先生が心の恩師になりました。人生とは多くの人との出会いの積み重ねなんですね。だからこそ若者はあちこち出かけて行って、多くの先輩や同年代の麻酔科医/研究者と出会い、先輩から教えを受け、同輩と切磋琢磨し成長していって欲しいと願う訳です。

しかし将来、D先生のようなちゃんとした最終講義できるかしら、ちょっと心配にもなりました。