2009年8月4日火曜日

夏の京都の国際生理学会

京都で開催された国際生理学会(http://www.iups2009.com/jp/index.html)に行ってきました。といっても、brush upのために、痛み研究のwhole day symposiumに1日参加しただけですがね。教室の大学院生と一緒に参加したのですが、彼女が一所懸命、発表内容をノートに取っているのを見て、20年近く前の自分の姿を思い出しました。当時の私も、同じような国際シンポジウムに参加しては、討議されている内容がさっぱりわからず、飛び交うレセプタや拮抗薬の名前をノートに書き取るだけで必死でした。シンポジウムから帰って、ノートを頼りに論文を沢山読み、ようやく理解して、翌年、別の研究会に参加すると新たな概念が出ており、また必死でノートに取って...の繰り返しをしていました。

このように根本的な知識不足に加え、当時所属していた教室には新しい研究手法がありませんでした。にも係わらず、痛み研究で学位を取れと命じられており、自分のアイデアで実験を開始したものの、データの解釈ができず、自分の研究の方向性もわからず悶々としていました。素直な性格でないせいか、直属上司にも見放され(?)、研究会で見知らぬ基礎の先生方に相談しては、御迷惑をおかけしていたように思います。そういう中から、将来敬愛するようになる先生方に出会えたのですが、それはまた別のお話ですね。

今となっては、当時の自分の一所懸命さを懐かしく思い出します。時を経て、「批判的に論文を読む」ということも少しはわかるようになりました。痛みの研究の進んでいく方向性についても、ある程度予測が立つようになりました。しかし逆に、自分のデータや後輩のデータに一喜一憂することも少なくなりました。つまり、自分の仮説を100%信じておらず、常に進路の変更や撤退を考えながら、研究成果を形にするために研究をしているような感覚を持つようになりました。「これではいかーん!」と思うのですが、日常些事に忙殺された結果、研究者魂を捨てて、教室のadministratorに成り下がった自分を正当化するようになってきたのも事実です。

今回、京都の国際生理学会に参加し、僕の横で必死でノートを取っている大学院生を見ながら、僕ももう一度、彼/彼女達の必死さを共有させてもらって、一研究者として、もう少し前に進んでみたいなぁ、と思ったのでした。まぁ、こんな殊勝な態度がいつまで続くかは不明だけどね。ともかく、夏の京都は大嫌いだし、学会参加費55,000円も高かったけど、国際生理学会に来てよかったなと思いましたね。 帰りには昔よく行った天天有のラーメンも入手したし...

とにかく、教室の若者・大学院生達、頑張ってくれい。そして、あんた達のエネルギーを私にも少し分けてくれい、そうするとおじさん、もう少し頑張れそうな気がするのだから...