もう少し「ヒトはどのように特別なチンパンジーか」について考えてみます。
ヒトは群れ生活を通して、社会関係の認知と他者操作が影響して、模倣、共感、他者の内面理解、言語といった能力を獲得して、特別なチンパンジーになったと、以前、書きました(5/26)。では、最初に群れ生活を促した進化論的メカニズムは何なのだろう、というのが今回の主題です。
群れ生活は、外集団に対する敵意により発生したとされるようです(http://www.santafe.edu/~bowles/ConflictAltruismMidwife.pdf)。つまり、群れ以外の集団への敵意や闘争と、集団内部に対する博愛主義は、同時に発生したというのです。これは、集団内部で食料を分かち合い平等性を担保するためには、他集団への敵意や闘争が不可欠であったという考え方で、他の群れに対する敵意、競争、闘争が、群れ生活を促した原動力ということになります。
もっとも単純な動物である単細胞動物は、まずはカイメンのように群生して、それから多細胞動物へと進化し、体のサイズが大きくなったと考えられている。体が大きくなると、外敵から身を守りやすくなるなど、より安全になるからね。しかし、あまりに大きくなり過ぎると、今度はエネルギー効率の問題が派生します。つまり、生存のために、基礎代謝にすら多大なエネルギーを要するようになり、これらの多大なエネルギー需要のために1日中食べていなくてはならなくなります。これでは、たとえ体のサイズを大きくして安全を獲得したとしても、生存するためには非効率的になってしまいます。そこで、ヒトはエネルギー効率を維持するために、中等度のサイズ(身長1.5-2 m)以上は大きくならず、その代わり、群れ生活をして、外的からの攻撃から身をかわす戦略を取ったのかも知れません。
さらに、群れ生活は、天敵-他種-からの攻撃を防御するというより、むしろ同種の他群からの攻撃から身を守るのが主目的だったのかも知れませんね。食料が乏しい時代に生き延びるためには、異なった食物をエネルギー源とする他種動物よりも、同じ食物をエネルギー源とする、同種の他集団の方が阻害要因としては大きいはずですからね。こう考えると、群れ生活を促進した同種の他集団に対する敵意は、内部の博愛主義を生む原動力になり、内部メンバーに対する共感とは、外部に対する敵意があって初めて生じる情動ということになるのかも知れません。ヨーロッパに見られる軍事的な強力な国家が、同時に大いなる福祉国家でもあるという事実がいい例なのかも知れません。
集団内部を統一維持するためには、集団内の同一性と他集団との差別化が不可欠ですから、同じ肌の色、よく似た風貌などに加え、共通の言語(他集団とは異なる言語)の発達が必要となったのでしょうか。そして、ヒトが集団生活をとった後、農業の発達による定住性を獲得して、国家という集団へと発展していったということになります。こうなると、国家間の戦争も、国家内部の統一性や平等性には不可欠ということになってしまうのでしょうか。少し悲しいですが...
そうすると、各大学の医局間で、アメリカ麻○学会に採用された演題数を競うといった無益な競争も、無理やり仮想敵を設定して、その外敵(?)に対する闘争意識を無理やり煽って、内部成員の研究へのモチベーションを高めるメリットがあったのかも知れませんね。
とはいえ、ヒトが特別な脳を持ったチンパンジーだったから集団化が進んだのか、集団化に進んだから特別な脳を持つヒトへと進化したかは、ニワトリが先か卵が先かと同じで、結論は出ないでしょうね。数学や物理と違って、生命科学には時間(進化)という要素が入らざるを得ず、そのため原因と結果がいつも堂々巡りしているように思います。まあ夏休み数日、ぼんやりと考えた堂々巡り理論でした。