京○府△大麻酔科の教授にS先生が就任されました。S先生は僕の1年先輩で、23年前、僕が脳外科医として出張した滋賀の病院に麻酔科医として赴任されており、しばしばお互いの不遇な人生を嘆きあったのでした。飄々とした、とても頭が切れる人でした。僕が麻酔科に転じた理由の一つは、S先生のように生きたいと思ったからでした。
僕が北海道に移ってから10年後に、アメリカでS先生と再会しました。当時、S先生はUCSFで肺障害の研究をされていて、私が痛み研究のlab.を見学に行った際に、S先生のlab.を訪れる機会があったのです。Nat Medに論文を載せられた直後で、UCSFの麻酔科lab.のPI直前のポジションに就いておられました。その姿は10年前の滋賀での病院とまったく同じで、飄々としながらアメリカのpostdoc達に的確に指示を出しながら、僕を案内する姿が印象的でした。きっとS先生はアメリカでPIになると確信して、先生のlab.を後にしたのです。
しかし僕が帰国後しばらくして、S先生も帰国して京都の市中病院で働いているという風の便りが流れてきたのです。そして再々会して、この間の事情を聞く機会がありました。S先生の場合、最初に出会った頃から、その考え方や行動が首尾一貫しており、まったくブレないのです。不実なものは不実と見極める眼力と、不実を潔しとしない人生を生きてこられたと思います。帰国に至る事情もS先生らしくすがすがしいものでした。そしてアメリカでのacademic positionを捨てた後、京都の市中病院の麻酔科 & 手術室運営に熱弁を振るう姿をみて、やはりこの人には叶わないと思ったのでした。
今回、京○府△大麻酔科教授選に応募し、再度、academic positionへの復帰を目指していると聞き、ひそかに応援しておりました。しかし昨今の麻酔科を取り巻く環境の中では、S先生のような学究肌の人はむしろ疎まれる可能性が高く、たとえ京○府△大の同門であっても外部候補扱いでしょうから、どうなるか心配しておりました。
しかし京○府△大の教授会はぎりぎり(?)ちゃんとしているじゃないか。今回だけは母校の教授会を見直しました、偉いぞ! 世の中まだまだ捨てたもんじゃないね。どうか教室の皆さんも地道な努力を続けてください、きっとお天道様は見ているはずです。これからは、京○府△大と信州とでよりよき関係を築き、共同研究ができればと思います。とにかくよかった、今日は信州松本で、一人で勝手に祝杯を上げようと思います。