ようやく引っ越しました、パチパチパチ。
これまでの僕の全人生での引っ越しは、徳島→西宮→宝塚→京都→(市内で2回)→近江八幡(滋賀)→札幌→旭川→(市内で1回)→札幌→釧路→札幌→アメリカNew Haven→(市内で2回)→札幌→松本(沢村)→松本(蟻ヶ崎)→松本中央で、計20回となりました。すごいね。2-3年に1回は引っ越している計算になります。だからお金が貯まらないんだね。
因みに大学卒業後、勤務先は、京△府□大脳外→松▲記○病院麻酔(研修)→与◇野●病院外科(研修)→近□八△病院脳外→札○医◆麻酔→旭●赤□字病院麻酔→市△旭■病院麻酔→札○医◆ICU→市△釧■病院麻酔→札○医◆麻酔→東▲幌病院麻酔→北○道■体△自◇児センター麻酔→アメリカY○l□大学麻酔(研究lab.)→五◆橋病院麻酔(1ヶ月の所属のみ)→札○医◆麻酔→信○大学麻酔で、延べ16施設で、1.5年毎に勤務先がかわっている計算になります。さすがにもう現職を最後にしたいのですが...。
引っ越しや異動は、新しい土地や仕事に慣れるという点からはstressfulではありましたが、見聞が広がるという点からはとても有意義でした。一か所に留まっては見えないものが、移動することにより確実に見えるようになります。信州に来て少し驚いたのは、勤務先を移動したがらない若い人が案外多いことでした。僕は脳外科医時代に、たまたま麻酔科を研修した先の部長に勧められて、縁もゆかりもない札○医大に行きました。当時は、何も考えていなかったですね。その部長を敬愛していたので、言われるままに動いただけです。そして北海道に移った後は、自ら希望して一番忙しいとされていた病院を、1-2年毎に転々としました。
若いうちにいろんな病院や施設で勤務/研修し、さまざまな先輩/同僚と(他大学医局の人達とも)一緒に仕事をすることが大事だと思います。多様な価値観に出会えるからね。そして、若いうちにちゃんとした(?)反面教師に出会うのも、将来、若い人を指導する際にとても重要です。それに、若い頃に尊敬していた先生がいつの間にか尊敬できなくなくなったり、若い時にはどうしようもない反面教師と思っていた人が、こちらが年取るとともに案外味がある人だと思うようになったりと...いろいろだと思います。
若いうちはあまり考え過ぎず、与えられた環境の中でベストを尽くせば道は切り開けると思います。僕自身はこれまで前任地で人事案をすべて受け入れて1-2年で異動してきましたが、結果的プラスになりました。元ボスはいろいろ考えてくれていたんだと、ようやく今になってわかるようになりました。
麻酔科人事をスムーズにするための勝手な理屈だとは思わないでくださいね。1-2年の期限で異動するのは、仕事/論文をまとめたり、自分の将来の方向性を考えるのに有意義だと思います。山本夏彦も「世は締め切り」と言っているではありませんか(http://www.amazon.co.jp/世ã¯ã€†åˆ‡-山本-å¤å½¦/dp/4163511202/ref=sr_1_25?ie=UTF8&s=books&qid=1275283768&sr=1-25)。仕事を「締め切って」区切りをつけて次に進まないと、生産性が落ちるということですね。まあしかし生産性を上げるために、僕のように20回の引っ越し、16回の勤務異動ということになれば、それはそれで問題かも知れませんが...。
ともあれ引っ越し先の2階からは、晴れた日に(小さいながらも)常念岳と槍ヶ岳のピークが見えて、心が落ち着きます。もうしばらくして一段落したら、医局の方々をお招きしてBBQでもしようと思っています。その節は遊びに来て下さいな。以上、まずは引っ越しの報告でした。