2010年6月29日火曜日

生きることと死ぬこと

昨日の朝カンファレンスの最後に、杉△先生が僕が信州麻酔科HPに書いた文章を引用して、麻酔科学は「ヒトが生きているとはどういうことか」を主題としてきたので、終末期医療のことはあまり考えてこなかったかも知れない、という発言で締めくくりました。うーん、僕がHPで言いたかったことを、少し補足させてもらいたいと思います。

昔ICUで働いていた頃、「どうしてヒトは亡くなるのか」という疑問を持ちました。ここでいう「亡くなる」という意味は、Multiple organ failure (MOF)で死ぬということですね。広範心筋梗塞や間質性肺炎末期などの、単一臓器の完全な機能停止を死因とするのではなく、外傷/手術/敗血症などによって、心/肺/腎/肝/免疫など、各臓器自体の障害は致命的でないのに、トータルのMOFとして死に至ることが理解できなかったのです。

これは学生時代から、循環、呼吸、消化、神経、免疫...と人間の体を臓器別に学んできたことに一因があるかも知れません。医学生にとって、単一臓器の病気が病気のすべてです。だから敗血症を起因として心機能が落ちたり(続発性心筋症)、呼吸不全になったり(ARDS)、腎機能障害が起きるという、MOFの意味するものがまったく理解できませんでした。各臓器/システムのネットワークという概念は、学生時代には誰にも教えられなかったし、サイトカインストームなどという言葉もなかったしね。しかし鈍感な僕でも、やがて老衰による死が緩やかなMOFによる死だと気づきました。つまりMOFは、加齢死の一般的な原因なのですね(http://jama.ama-assn.org/cgi/content/full/289/18/2387)。

ということは、加齢死とICUにおけるMOF死の間に、何らかの共通項があると考えてもいいかも知れません。例えば、寿命に関係あるTarget of rapamycin (mTOR)が(http://www.nature.com/nature/journal/v464/n7288/full/nature08981.html)、全身性炎症反応にも関係あるとしたら(http://www.jbc.org/content/278/46/45117.long)、mTORはsepsis によるMOFと、老衰によるMOFの共通経路の一つなのかも知れません。これは数多く思いつくであろう仮説の一例に過ぎません。

要するに僕がHPで言いたかったのは、麻酔科学の主題である「ヒトが生きているとはどういうことか」は、同時にその裏の命題である、「ヒトはなぜ(MOFで)死ぬのか」と同義だということです。基礎研究者は試験管内の細胞死を研究し、麻酔科医はICUでSIRSやMOF の瀕死の患者を診ることで、生物が生きることと死ぬことの両方の意味を探ろうとしているはずです。この分野における基礎研究を臨床に応用するとは、単細胞動物の細胞死と、多細胞動物の分化した多臓器の機能不全(MOF)との関係性を探ることなのだと思います。多細胞動物であるヒトの複雑系からのアプローチ(つまり、麻酔科医側からのアプローチですね)の、ゴールへの道程はとても遠いのですが、発見に満ちたやりがいがある分野だとHPでは言いたかったのです。

以上が昨日の朝、杉△先生のカンファレンス内容とは無関係に、僕が補足したかったことでした。カンファレンスで喋ると時間を取ってひんしゅくだったでしょうから、ここに書かせてもらいました。