2009年12月28日月曜日

新たな1年へ

2009年が終わろうとしています。2009年、僕たちの教室にとってのeventsは、(1) 教室員数名が愛知医大のK教授のもとで、エコーガイド下神経ブロックを研修してきたこと、(2) 杉▲先生が岡崎の生理学研究所に国内留学したこと、(3) 菱△先生が榊原記念病院で心臓麻酔研修したこと、(4) 柴○先生と井■先生が名古屋市立大学のS教授のもとでICU研修したこと、(5) 坂●先生先生が日本麻酔科学会総会(神戸)でシンポジストとして発表したこと、(6) アメリカ麻酔科学会 (ASA) に8演題採用されて10数名の教室員がNew Orleansでの学会に参加したこと、(7) JB-POTに数名の合格者が出たこと、などでしょうか。

来年は年明け早々1月より、○股先生が仲間として加わってくれますので、教室の臨床の幅が広がり、研究面では電気生理に加え、免疫染色やタンパク定量の同時計測などで、一歩進んだ研究活動を展開できると思っています。目指せ、IF 10以上の雑誌掲載!! です。来年度中には、岡崎の生理学研究所から杉▲先生が成果を持ち帰ってくれるでしょうから、電気生理部門も強化されて研究が発展すると思います。臨床では、石◇先生が4月から、国立循環器病センターでの1年間研修に出ますが、奮闘を期待しています。そして再来年以降も、後に続く人が出て欲しいと願っています。

4月末には、信州松本で日本神経麻酔集中治療研究会を主催しますので、来松される他施設の麻酔科医/研究者と知り合い刺激を受けてください。6月の日本麻酔科学会(福岡)では田■(さ)先生が招請講演するし、菱●先生もシンポジストとして発表します。7月の日本ペインクリニック学会でも、関連病院の教室員の方にシンポジストとして発表してもらいます。こうした講演やシンポジウムを通じて、他施設の麻酔科医/研究者と知り合い、先端の技術/知識を、信州の麻酔医療に反映してもらうべく努力してもらいたいと願っています。とにかく、自分の可能性を自分自身で萎めてしまわないで下さい、若者の可能性は無限なのです。最後に今年と同様、10月のASA (San Diego) には新入医局員を含めた大勢の教室員で参加して、刺激を受けて帰って来ようと思います。そしてこれ以外に教室の余裕があれば、ペインクリニックやICUでの研修にも出てもらいたいと考えているのです。

僕が赴任した後、これまでとは少し違った教室の方向性を目指しているように見えるかも知れません。しかし「根っこ」は同じです。若者の可能性を伸ばし、良質の麻酔科医を育てること」こそが教室の使命です。そして、医療/医学が、最終的には患者さんのための技術/学問である以上、社会から求められる「良質の麻酔科医」という概念は時代とともに変化せざるを得ません。つまり、「良質の麻酔科医を育てる」という教室の戦略は未来永劫変わりませんが、各時代の要請に応じ、その戦術は変更していくべきです。

医療/医学が大きく変動している現代においては、新たな技術/知識が日々、増え続けています。このような時代においては、どのような麻酔医療が後世に残るのかを、見極める力が求められます。そのためにもっとも重要なのは、温故知新だと考えています。すなわち、若いうちに良質の過去の論文を沢山読んで、現代の医療に応用すべく自らプロトコールを作成して臨床/基礎研究を行い、学会発表し、その内容を論文化(できれば英文)することが重要です。そうすることで自分が周囲から認められ、外国を含めた他施設に知り合いでき、新たな情報やアイデアが得られ、共同研究の可能性が生まれるという、プラスのスパイラルに身を置くことができます。このように、自らでsomething newな仕事をしていけば、将来、良質の麻酔科医に成長できると信じています。どんなちっぽけな仕事でもいいので、「人のしないことをしよう」と僕が言い続けている所以です。

来年度から、僕たちの教室に何人かの若い仲間が加わってくれることになりました。この若者たちに「良質の麻酔科医」になってもらうために、全力を挙げて教育していきたいと思います。そして、教室のスタッフの皆さんは、1年間、忙しい中にも笑顔を絶やさず頑張ってくれて、御苦労さまでした。心より感謝しています。新たな1年に向けて、教室員皆さんの目標を設定して、各人の高みを目指してほしいと思います。教室は、皆さん全員の希望を叶えるべく、最大限に努力していきたいと思います。

では来年も宜しくお願いいたします。年明けに皆さんと笑顔でお会いできるのを楽しみにしています。よいお年を。

2009年12月14日月曜日

1年経ちました

12月も半ばとなり、慌ただしい師走に入りました。今年の1月より小文を書き連ねて1年が経ちました。「ブログ」という柄ではないので、身回りの事象やtoo contemporaryな内容は避け、教室の方々へのメッセージとして書いてきました。数回で終わるかと心配でしたが、のんびりペースで何とか1年継続できました。よかった、よかった。

僕が赴任して2年が経ち、教室も少し落ち着いてきたのではないかと安堵しています。たとえ教室という小さな組織でも、組織は組織です。皆さんが主宰者の顔色を窺うような個人商店ではなく、小さいながらも一人一人の目標に向けて、組織としてサポートしていける民主的な教室でありたいと願います。そのためには教室を盛り上げるように、一人一人の自覚的な協力や貢献が不可欠です。臨床、教育、研究それぞれに、教授が一々口を出さなくとも、皆さんが自主的に動いて、この教室でのベストな方法を生み出していきましょう。宜しくお願いいたします。

さて先週末、岡崎の生理研(自然科学研究機構 生理学研究所)で痛みの研究会(http://www.nips.ac.jp/cs/2009itamiHP/2009itami_annai.htmlがあり、教室員4名に行ってきてもらいました。来年の1月から僕たちの仲間に加わる川◆先生も講演するし、教室の杉▲先生も生理研に国内留学しているし、そして何より来年から研究を開始する人達に、ショックを受けて欲しいと思い参加してもらいました。どうです、びっくりしたでしょ!! 発表する基礎の先生方が、何を喋っているか全然わからなかったのではないでしょうか。僕も20年近く前はそうでした。研究に関する基礎知識が不足しているのに加え、次から次へと新たな概念が出てきて、研究会に行く度に途方に暮れていましたね。

こればっかりは仕方がないのです。医者は卒業した後、診断・治療法の習得に明け暮れて、病気/病態の背景を探るといった、科学的な思考を身につける機会が少ないのです。そして、学位研究の頃初めて、厳密な科学に出会う人も多いのです。しかし卒業して何年も経って出会った科学の世界は、すでに重箱隅化して棲み分けられた世界です。僕たちは「痛みって何?」という根源的答えを求めて研究を志したつもりでも、基礎研究の現場では「●△による神経障害性疼痛の際の□▲レセプタを介した■◎キナーゼ・キナーゼの活性化」というようなテーマが主体となり、なかなか他分野の素人を寄せ付けないのです。専門化/細分化された領域は言語を特殊化するのが世の習いです。法曹界然り、医者や職人の世界然り、そして職業科学者の世界も、(意図せず)technical termという隠語で他者を排斥しようとするのかも知れませんね。だからたとえびっくりしても逃げ出さないで、臆面もなくその世界に入り込んじゃえばいいのです。やがてその内、その領域の重箱隅研究者くらいにはなれるはずです。

医者は卒業後、臨床にどっぷり浸かって臨床の「曖昧さ」を理解することが重要だと思います。その後、基礎医学の厳密な世界に出会ってびっくりしても、やがて時間とともに馴染んでいきます。但し、最初に持った「違和感」を決して忘れないで欲しいと思います。この「医学を科学しようとする際の違和感」を持つのは臨床医にとって健全で、やがて財産となるはずです。「臨床の曖昧さ」と、「厳密性を保持しようとする基礎医学への違和感」を埋めるのが、臨床医研究者(MD researcher)が行う研究の役目だと考えるからです。

これまで、基礎医学に不勉強であった自分を恥じる必要はありません。僕たちは麻酔薬で意識をなくす患者さんを日々見ています。鎮痛薬で痛みをなくす患者さんや、あるいはどんな鎮痛薬でも除去されない痛みを持った患者さんを日々見ています。こうした観察を通じても、意識や痛覚に関する「理論」は演繹されないかも知れませんが、ある種の「信念」は形成されるはずです。この信念こそは臨床医だけに得られるもので、現象の本質を含んでいると考えます。そして僕たちは、この信念につながる「理論」を求めて、基礎的研究を行おうとしているのです。これがMD researcherの研究動機であり、純粋科学を追及しようとするPh Dとの違いだと思います。

小林秀雄 は、「...(人間の)覚悟というのは、理論と信念とが一つになった時の、言わば僕等の精神の勇躍であります...」と述べています。この言葉はまさに臨床医として研究に臨む者の「覚悟」としても、当てはまるのではないでしょうか。

2009年12月7日月曜日

肉眼の科学も捨てたもんじゃない!

少し前ですが、「情熱大陸」というTV番組で佐藤克文さんを特集していました(http://www.mbs.jp/jounetsu/2009/11_22.shtml)。今年の東大生命科学シンポジウムで、講演を楽しく聞かせてもらった海洋生物学者でした(http://www.biout2009.info/lecture/lecture_c02.html)。このシンポジウム冒頭で、東大の海洋研究所が岩手県大槌町にあるので、「岩手にある東大から来ました」と言ってウケていたのを覚えています。

佐藤さんは、ワタリアホウドリなどに付けた3次元加速度計からのデータから、恐竜の仲間であるブテロサウルス(翼竜)の体重が100 kgに及ぶと推定されるので、風速ゼロの環境下での羽ばたき筋力では離陸できないという衝撃的な報告をしました(http://www.afpbb.com/article/environment-science-it/science-technology/2524733/3394407)。つまり、最初の鳥類は飛べなかった!、ということで、ダーウィンの「自然選択」に矛盾するかも知れませんね。いずれにしても、 この佐藤さんの研究では、僕達の教室のH.T.先生が麻酔科医のエネルギー消費を測定するために、腰に付けている3次元加速度計の小さいものを、ワタリアホウドリにつけたというだけです。それでも、麻酔科医が手術室で走り回って消費しているエネルギーを調べるより、ワタリアホウドリの羽ばたきデータの方がはるかにダイナミックで面白そうですね。

その他、佐藤さんはウミガラスが潜る時の体温保持の仕組みや(http://www.sciencedirect.com/science?_ob=MImg&_imagekey=B6VNH-4MXBFD8-2-7&_cdi=6179&_user=8062752&_orig=search&_coverDate=06%2F30%2F2007&_sk=998529997&view=c&wchp=dGLbVlz-zSkzV&md5=cabb52b953d4afe4cdd081e46ede6519&ie=/sdarticle.pdf)、変温動物であるウミガメが、周囲の水温よりもむしろ高い体温で保持されていることを証明しました。これって、ウミガメは機能的には恒温動物だということで、大変な発見だと思います。そしてペンギンは潜水艦のように、浮かび上がる時にはほとんどヒレを動かさずに肺の空気の浮力だけで浮上して、水面近くで空気を吐き出して速度を落とすことや(http://jeb.biologists.org/cgi/reprint/205/9/1189)、逆にアザラシは空気をほとんどはき出してから潜るので,300mの深さまでまでヒレを動かさずに一気に落ちるように潜ることを発見しました。 うーん、すごい!!  アザラシは江頭2:50よりはるかに偉い、これは冗談。

僕達の医学の世界では、病気/病態のメカニズムを知るためには、最新のカッコいい機械/技術を用いて、1個の細胞の1個のチャネルの電気活動や、タンパクの動態、あるいはDNA変化を調べないといけないと思い込んでいます。しかし佐藤さんのように、比較的単純な加速度計やビデオだけの計測系(データロガーと呼んでいる)のような、「肉眼で見える科学」が生命現象の謎を解き明かすことに感動しました。もしかしたら科学の進歩は、方法論に依存しないかも知れないね。自らの身の丈にあった技術と、生命現象を考え続ける姿勢が重要なのだと思います。こうした佐藤さんの研究姿勢は、小・中学校の夏休みの自由研究の延長にある、子供の好奇心そのものですね。佐藤さんの原点は、「誰もやらない事をやれ」というお父さんの教えだそうな、妙に納得しました。

最後に

-東大生命科学シンポジウムでの、佐藤さんの大学院生募集文-

「求む男女。ケータイ圏外、わずかな報酬、極貧。
失敗の日々。絶えざるプレッシャー、就職の保証なし。
ただし、成功の暁には知的興奮を得る。
ダーウィンもニュートンも田舎にこもって偉大な発見をしました。
岩手県大槌町で研究三昧の大学院生活を送ろう。」

うーん、いい募集案内です。僕は、「わずかな報酬、極貧」を「まあほどほどの生活」、「岩手県大槌町」を「信州松本」に代えて、「ダーウィンもニュートンも田舎にこもって偉大な発見をしました。信州松本で世界を見据えて、臨床、研究三昧の麻酔科医生活を送ろう。と言いたいですね。

2009年11月17日火曜日

研修制度をぼやく

山■大学との合同研究会があり、名古屋のK教授に特別講演をお願いしました。麻酔の歴史から始まり、麻酔科学という学問がいかに成立しているかについて造詣に富んだお話いただき、大変感銘を受けました。ただ今回はこの講演内容ではなく、講演の前にK教授と一緒にぼやいた、現在の研修制度について記します。

初期研修制度が始まって以来、初期研修+後期研修を一般病院だけで行い、卒後4-5年間、大学医局とは無関係に研修する人が増えてきました。K教授の古巣でも何年も経ってから入局してくる人が増えて、対応に苦慮しているとのことでした。勿論、このような方のなかにも、研究心を持った医師としてしっかりと成長されている方もいます。しかし医師としての成長すべき一番重要な時期をすでに逸しており、今後どのように教育していったらいいのか途方に暮れる人がいるのも事実です。 同様の事態は多くの大学で起きており、各大学では相当な危機感を持っています。

市中病院は「市中病院こそ、後期研修として医療技術を修得するには最適の場所である」と研修医を勧誘するようです。そして、「大学のように研究主体の施設で後期研修のスタートを切る意味はない」と言う施設もあるようです。私はどちらが後期研修に優れているかという議論の前に、医療/医学とは一体何かという点についての認識が必要だと思います。

もし人間の体の仕組みの大半が解明され、謎が残されておらず、現在の医療が将来も変更されることがないなら、初期教育などさほど重要な問題ではありません。 しかし私達は人間の体のことをほとんどわかっていないのです。K教授も講演でも触れられたように、「麻酔とはバランスのサイエンス」であり、生体侵襲から循環、呼吸、神経、内分泌・代謝、免疫、といった生体機能をいかにバランスよく維持(保護)するか、というのが麻酔科学の本質です。ではどのようにバランスを調整したらいいのでしょうか。各臓器の機能すらまだまだ謎に満ちているのですから、各臓器にとってバランスいい麻酔など、正解には程遠いのが実情です。麻酔科医は多少進歩したモニターと、自らの経験則や過去のデータ(論文)をもとに、「ほどほど感(勘?)」だけを頼りとして、麻酔を行っているに過ぎません。

つまり麻酔医療とは、本質的に「手探り医療」の域を出ないのです。とはいえ、こうした事情はすべての領域に共通しています。ですから古くはノーベル賞を取ったロボトミー手術から、最近の様々な医学上の問題まで、医療/医学に誤謬はついて回ります。私たちが人間の体のことをさっぱりわかっていないのですから、現在の医療/医学は誤謬を潜在的に内包せざるを得ないのです。

このように、医学/医療が不完全であるという認識を持てば、日々の麻酔技術の修得だけではなく、麻酔という現象の背後を探り、常にlogicに基づいて考え、麻酔をサイエンスに高めようと努力することが、良質の麻酔科医になるためには不可欠であることが理解できると思います。このためには個々の患者に入念な麻酔を行うだけでは不十分で、過去から現在の論文を読み、症例経験などを契機として臨床研究や基礎研究を行い、生体の謎に迫ろうとすることが重要です。こうして、良質の麻酔科医として成長するには、長い教育期間が必要となるのです。これまでは、大学医局が初期教育から一貫して長い教育を担当してきましたが、現在、その初期教育が揺らいでいるのです。 初期教育は、いわば初学者における「読み書きそろばん」の期間ですのでこの時期の揺らぎは、直ちに「基礎学力・体力の低下」となり、自立した麻酔科医の養成に支障をきたすのではないかと危惧されます。

私は○▲大学の麻酔科に入局して、直ちに論文の抄読やreviewをやらされ、臨床研究や動物実験の手伝いもさせられました。私にとってこれらの初期教育は、多くの仲間・同士との出会いや、新しい技術や知識の習得という点では楽しい日々でした。しかし、決して楽しいだけではありませんでした。論文抄読では自分の知識不足を痛感しました。徹夜で抄読会の準備をしても、先輩たちから質問の嵐でケチョンケチョンに叱られ、しばしば沈没しました。臨床研究では、普段の印象とデータ解析の結果が異なることを知り、臨床現場における印象がいかに不確かなものであるかを知りました。動物実験では、犬やネズミが麻酔により意識がなくなる姿や、痛みが抑制される状態を観察し、麻酔や鎮痛など日常臨床でわかったつもりの現象のほとんどが、未解決であることを知りました。こうした実験は、麻酔業務後に行いましたので、精神的にも体力的にも辛かったし、データ解析すると自分の予想と異なる結果ばかりで、泣きたくなりました。それでも3-4年目にはこうした研究結果をアメリカ麻酔科学会で発表させてもらいました。学会のpreview(予行)では、英語のabcの発音すらアメリカ人には通じないと叱られ、途方に暮れました。しかし学会に参加し、英語はさっぱり通じないながらも、日本国内は勿論、諸外国の麻酔科医/研究者と積極的に交流することが、麻酔科医としての成長には不可欠だと痛感しました。

こうした大学での初期教育があったからこそ、現在、自分が曲がりなりにも、一人の麻酔科医として成長できたのだと確信しています。そして、現在の大学病院や市中病院の中心的な指導医は、大学での初期教育を受けて成長してきた人たちです。ですからそうした指導医は、市中病院での楽しそうな研修に惹かれる若者には、楽しいだけでは初期研修として不十分だと考えていると思います。楽しいだけの初期教育が将来に禍根を残すのは、小・中学生における「ゆとり教育」の弊害からも明らかだからです。

初期研修の頃から、自分の力だけで努力し向上していく若い医師もいます。しかし大半の若者は、向上心はあるものの方向性がわからないため、初期教育でその後の人生が運命付けられるといっても過言ではありません。こうした若者に技術を中心とした教育をすると、現存の技術の修得のみを目標とする医師になってしまいます。いわゆる「専門医志向」という人たちです。しかし、現存の医療技術が潜在的に誤謬を内包しているのは先に述べた通りですので、こういう人たちばかりが増えると、今後の医学/医療が停滞してしまいます。そこで 私は初期教育期間こそ、分子量が僅か200-300の麻酔薬/麻酔関連薬が、意識、痛み、記憶などをなくすことの不思議に驚き、そしてその背後を共に探ろうとする指導者が必要ではないかと考えています。

私たちは麻酔という、未解決の現象を患者さんに施すことを生業としています。ですからその職業倫理として、分子量が僅か200-300の分子によって抑制されてしまう、「意識、痛み、記憶、あるいは循環・呼吸とは何か」、「ヒトが生きているということは何か」を、将来にわたって考えていくべきではないのでしょうか。 これ以外に、患者さんに対する誠実さを示す方法はないのではないでしょうか。そしてこの本質的な問いかけをする姿勢こそ、初期教育期間に芽生えるのではないかと考えています。この大切な時期にこそ、国内外の麻酔科医/研究者と交流し、将来の仲間や先生となる人たちを見つけていくきっかけを与えるべきです。「井の中の蛙」では、麻酔科医としての成長に支障が出ることが明らかだからです。

若者には無限の可能性があります。自分の目の前にいる一人の若者が、医学/医療を根底から変える医師/研究者に育つかも知れないと思いながら、私は学生/初期研修医に接しているつもりです。インスリンを発見したフレデリック・バンティングが成し遂げた過程を考えてみれば、こうした可能性が皆無ではないと思うのです。医師としてスタートを切った時点では、医師/研究者に能力差はありません。後は「やるかやらないか」です。そして偶然にアイデアを得る能力(!?)や解明に向かう情熱も、教育によって培われると信じています。そして、こうした成長のためには、初期教育こそがもっとも重要だと思うのです。

勿論、若い医師は初期教育から一生涯、大学での研鑽を続けていくべきだなどとは考えていません。ある時期、現在の医療/医学の背後にある不確実性・不明瞭性を知り、その認識のもとに他者と交流しながら勉強することが、将来、自他共に信頼される麻酔科医になるための基礎を作ると言っているのです。そして初期教育の時期こそ、自立した医師へと成長を促すためにきわめて重要な時期ですので、一人でも多くの若者が、正しい教育を受ける時期を逸しないようにと願っています。鉄は熱いうちに打つべきで、打つ時期を逸する若者がいないようにと願うのです。

若い医師を指導する側は、後期研修医になった最初の数年間に正しい教育を行わなかった場合、その若者の将来の芽を永久に摘んでしまう可能性があることを強く認識すべきだと、自戒を込めて思います。だからこそ、一つの大学だけで若い医師を教育することが、無謀だと考えているのです。 若者の可能性を伸ばすためには、大学、関連病院、国内他大学・他施設、そして海外留学など、国内外の医師/研究者との協力による、息の長い教育が不可欠です。若い麻酔科医の初期教育に携わる指導医すべてが、今一度、自らの責任の重さについて、じっくりと考えるべき時期に来ているように思うのです。

2009年11月11日水曜日

晩秋の上高地

先週、上高地に行ってきました。いよいよ閉山祭と道路が冬季閉鎖になる時期なので、紅葉はすっかり終わっていたし、すでに肌寒かったです。しかしやっぱりよかったぞ、上高地!!。実は上高地は25年振りでした。大学6年生の秋、卒業試験/国家試験前に最後に山に登っておこうと、穂高から槍ヶ岳まで友人と3名で縦走した時以来です。その時は山岳部の山行ではなく、仲良し3人での登山でしたので、山に対する先鋭的な雰囲気はまったくなく、「いよいよ卒業して、まっとうな社会人になるしかないんだな。」という、青春の終わりのノスタルジーに浸った山行でした。しかし不思議なことに、その後の人生の節目節目で脳裏に浮かんだのは、山岳部の山行で見た山々ではなく、この時、河童橋からみた穂高の風景でありました。

山岳部の山行としてピークを目指すのは、若者特有の達成感が欲しいという動機からだと思いますね。若ければ若いほど、無名であれば無名であるほど、より厳しく険しいルートを目指して山のピークに立つことで、世界に向かって自分が何者かであることを証明したいのかも知れません。しかし河童橋から穂高を見た時の感動は、こうした達成感とは少し種類が違うもののように思います。

穂高といえども、所詮地層の盛り上がりに過ぎず、やがて崩落していく運命なのに、どうしてヒトは穂高の風景に感動するのでしょうか。人類の祖先の○■ピテクス達も果実を食べる手を止めて、山々の壮大な美しさに見とれることがあったのでしょうか。多分あったのだと思いますね。だからこそ僕ですら上高地に行きたいと思うのでしょう。

46億年前、地球が誕生して幾多の氷河期と間氷期を繰り返し、やがて誕生した単細胞生物が多細胞動物となり、脊索動物から哺乳類を経てホモサピエンスに至るまで、膨大な時間を経て人類は進化してきました。その間、人類の祖先である生物達は、隕石の落下、地震、火山の噴火、地層の変化、氷河など、地球の激動をずっと見てきたはずです。そしてそれらの断片的な記憶がヒトのDNAのなかに痕跡として残されており、僕が上高地で見る風景と、祖先であるさまざまな動物が見てきた記憶とが呼応して、僕を感動させているのではないかと思います。

何のデータ裏づけもない、茂○健△朗的な「いいがけん仮説」に過ぎませんが、久し振りに上高地から美しい穂高を見て思いつきました。但しこの仮説の難点は、上高地で観光客におやつをせびるニホンザル達が、おやつをせびる手を止めて、穂高の山々に見とれる瞬間が到底あるようには思えないことですね。まあ、これは冗談。幸い今回、そんな態度の悪いニホンザルには絡まれなかったので、穂高の美しさと自分の思いついた記憶仮説に満足して、上高地を後にしたのでした。

いずれにしても来年こそは、25年前と同じように穂高から槍ヶ岳まで縦走したいと思います。だから南極越冬しているI先生には帰局してもらい、山岳部出身の後期研修医にも入局してもらい、いよいよ麻酔科山岳部を立ち上げる時がきたと(勝手に)思っているのですが...何とかなりませんか医局長さん。

2009年11月1日日曜日

学会シーズンそろそろ終了

いつもの季節-秋の学会と科研費申請の季節-がようやく終わろうとしています。先週後半から、臨床麻酔学会で浜松に行って来ました。信州松本→(特急しなの 2時間)→名古屋→(新幹線 30分)→浜松で、結構近かったです。一般演題の座長を3日間連日でやらせていただきました。発表者は若い人ばかりで、初めて全国学会で発表する人も多いようでした。僕も20数年前、この学会(宮崎)で初めて発表した時のことを思い出しました。当時、座長といったら何でも知っている怖ーい大先生と思ってビクビクしていましたが、今では僕が座長をしているくらいなので、当時の座長も(多分)大したことなかったのだなと(失礼!)、ようやく安心しました。

この学会の一般演題は、医局カンファレンスの延長ような雰囲気なので、結構好きです。今回も、あちこちの施設の症例報告や、若い人達が初めて行った臨床研究に接することができました。こうした発表を聞くと、その施設の臨床のレベルがわかるような気がします。ちゃんとしている所は、朝のカンファレンスの発表から、麻酔技術上のディテールまで、背後に一貫してしっかりとした指導医がいるのが感じ取れます。一方、日常臨床に少し手抜きが見えるように思えたり、一人一人の若い麻酔科医の背後にしっかりとした指導医がついていないように思える施設もあります。まぁ、僕の感じ方が間違っている場合もあるのでしょうけどね...

いずれにせよ、基礎的な動物実験やアイデアを凝らした臨床研究では、その施設の実態(ボロ?)が見えにくいように思いますね。むしろちょっぴりレアな症例や、比較的安易な臨床研究を、若い麻酔科医にどのようにデザインさせ、まとめさせるかで、その施設の指導医側の麻酔に対する「哲学」とでもいうべきものが垣間見えるように思います。だからこそ、臨床麻酔学会など、初学者の登竜門のような学会での、比較的軽い(!?)一般演題こそ、各施設の臨床の実態が評価される場にもなりうるのだと思いましたね。これって結構、恐いことですね。

ともあれ日々の臨床を、①正しい方向性で、②真面目に、③持続して行えば、僕達の施設の臨床&研究は正しく向上し、そのいくつかはscienceまで高めることができると信じています。来年、医局でのpreviewは今年以上にしっかり(厳しく?)やるつもりですので、若い先生はpreviewを恐れずに、小ネタの演題を臨床麻酔学会などにどしどし出してくださいな。

2009年10月26日月曜日

なんと青洲杯 優勝!!

川越まで「青洲杯」に行ってきました。案外近かったですね、松本→川越は。朝4時過ぎに松本を出て、上田を経て高速に乗って、関越自動車道から川越を目指したのですが、何と2時間かからず川越手前の高坂というパーキングエリアに着いて、コーヒー飲みながら夜明けを待ちました。結局、松本から2時間少々で川越の球技場に着くことができました。

始球式は、○■大学のT教授と一緒に2人始球式で、ゆるゆるの直球がど真ん中に入りました。フォークボールはあえて封印しておきました。1回戦はJ医大に楽勝で、2回選は去年の覇者 D医大を接戦の末に破り、よもや(?)と不安と期待が交じり合った複雑な気持ちになりましたが、所用につき会場を後にして、帰りは2時間30分で、松本に着くことができました。

本朝大学に出勤すると、医局にでかいジュラルミン(?)の箱が置いてあったので、よもや、と思ったら、やはり優勝旗でしたね。あの後も信州大学が勝ち続け、とうとう優勝してしまったようです。来年は優勝校として優勝旗を返還しに行かねばなりません。ということは来年も絶対参加せねばならず、すなわち10月の第4日曜日には、教室員は川越まで行かねばならんということでしょうね。

科研費締め切りとの折り合いさえつけば、来年も応援に行くのはやぶさかではないのですが、今年の試合を見た限りでは、信州大学に不足しているのは女性の声援ですね。女性の教室員、看護師さん、教室員の奥さんなど、沢山の女性にも参加してもらって、帰途に温泉に寄るツアーを組む、なんてのはどうでしょうかねえ、野球部キャプテンさん。

2009年10月23日金曜日

いつもの季節

ようやく2010年度版 科研費申請が終わりました、やれやれ。10月の半ば~終わりにかけては、毎年、アメリカ麻酔学会(ASA)、北米神経科学会(Neuroscience)、そして科研費申請学内締め切り、臨床麻酔学会と続きます。毎年恒例の行事(?)ですが、体力・精神的にかなりつらい季節です。

ASAやNeuroscienceでは、学会場に顔を出した後は、ホテルで科研費申請書を書く年もあります。とはいえ、学会期間中多くの方々と交歓し情報交換するのも重要な仕事ですので、お酒を飲んではホテルに帰り、それから科研費申請書を書くということもしばしばです。それでも今のような電子申請などがないずっと昔は、印刷した小さな文字を申請用紙に切り貼りしたりと、申請書を書くこと自体が大変でした。

毎年、10月が近づいてきたら、何となく気分がそわそわしてくるのがわかります。また今年も「いつもの季節」がやってきた、と体が覚えているのですね。小中学生の時、ツクツクボウシやコオロギが鳴き出したら夏休みの終わりで、いゃ-な気がしました。大学時代は京都の長い秋は、枯葉がカサコソいう音で胸がざわつき嫌な季節でした。そしてようやく中年以降になったと思ったら、やはり秋は科研費に悩まされる季節で、いゃーな季節のままなのですね。いずれリタイアしたら、ようやく秋はいい季節になるのでしょうか。

さて、信州に赴任して、この「いつもの季節」に「青洲杯」というイベントが付け加わりました。これは東京近郊の大学麻酔科が10月の第4日曜日に行う野球の交流戦で、名前は勿論、華岡青洲に因んでいるのです。青洲杯は、ASAやNeuroscienceとは微妙にずれることが多いようですが、科研費申請の締め切りとは確実にバッティングしています。野球だから「バッティング」、なんておやぢギャグをいってる場合でなくて、これは本当につらいことです。試合開始が早朝なので、科研費申請でヘロヘロになった体で、信州松本から川越まで車で行かねばならないのですからね。

教室の人達は前泊するのですが、私にとてもそのような時間的余裕はありませんので、この2年間さぼってきました。とはいえ、お世話になっている大先生が青洲杯を大事にしており、今年こそは何としても参加して、1球投げなければなりません、始球式ってやつです。どうせなら、始球式にフォークボールを投げてみようかしら、と思っていますが、これは冗談。ともあれ、1球投げるために往復7-8時間かけて車で行かねばならんのです、とほほ。

今後、「青洲杯」が加わった「いつもの季節」を何年も経験すれば、パブロフの犬のように、秋以外の季節でも「華岡青洲」と聞いたら、「華岡青洲」→「青洲杯」→「科研費申請の季節」と連想して、ちょっとドキッとするようになるのでしょうか。ちょっと心配。

2009年10月19日月曜日

2009年ASA

アメリカ麻酔科学会(ASA)でニューオリンズに来ています。2005年、ニューオリンズで予定されたASAが、ハリケーン カトリーナによる被害で急遽アトランタに変更になったので、僕がニューオリンズに来たのは、2003年のNeuroscience meeting以来です。あまり街は変わった印象はないですね、ハリケーン被害からほぼ完全に復興したということですか。

バーボンストリートは人で溢れかえっていたし、Convention centerは相変わらず端から端まで歩くとふくらはぎが痛くなるし、Audubon Parkは広大でした。毎朝、ミシシッピ川沿いをジョッギングしているのですが、ミシシッピ川が意外に川幅が狭いのに初めて気づきました。これまですぐそこに見える対岸を中州だと思っていたのですが、これがミシシッピ川の全幅だったのですね。「ハックルベリー・フィンの冒険」の中で、ハックルベリー・フィンが黒人奴隷のジムと一緒に、ミシシッピ川の中の小島に隠れる場面などがあったので、川幅がとてつもなく広い川を想像していたので、これにはちょっとびっくりです。

これまで何度もニューオリンズに来ているのに、ミシシッピの川幅についてずっと誤解していたことからも、人がいかに先入観で判断ミスするかよくわかりますね。今回のASAでは、まずは麻酔科のleading meegingであるASAを知ってもらおうと、信州の教室員11名でやってきました。そして、教室の若者が英語でちゃんとプレゼンテーション・質疑応答している姿をみて、大変驚くとともに、ちょっと感動しましたね。僕が初めてASAで発表した時とは全然違うね。当時はまったくアメリカ人とコミュニケーションできなかったものね。今回、ぶっつけ本番で発表した教室員も多かったので、実はどうなることかと心配していたのですが、これも間違った先入観でした。皆さん、堂々としていて大丈夫でした。それなりに緊張していたとは思いますし、上手くいかなかったと思っている人がいるかも知れませんが、初ASAとしては本当にりっぱだったと思います。拍手拍手。

今回の教室の若者の発表を見ていて、今後彼らの可能性を伸ばしていく(邪魔をしない?)教室運営を心がければ、彼らが勝手にどんどん成長していって、教室をもっと引っ張って行ってくれるだろうと、楽観的に思えるようになりました。そのためには、帰国後、まずは発表した内容を論文化していくことと、来年のASAを目指して新たなデータ取りをすることから開始しなくてはなりませんね。来年のASAはSan Diegoで日本から近いので、また沢山の教室員と一緒に行こうと思います。演題採用を目指して頑張ってください。演題採用にならないと、留守番役になっちゃうかも知れないので頑張ってくださいね。

2009年9月28日月曜日

山登り

前任地の先輩H先生が山で遭難死した。同じ職場で働いたことがないので、特別に親しかった訳ではないが、共通の匂いを感じていた。出生した地域、一度外科系専門科を辞めて麻酔科に入局したこと、学生時代に山登りしていたことなど、共通項が多かった。H先生も僕に共通の匂いを感じていた節があるが、お互いじっくりと山の話をしたことはない。恐らく、お互いが持つ共通の匂いに照れてしまったのと、前任地は山の話がそぐわない、下界的な組織であったためかも知れない。信州に移って、前任地のしがらみが抜けた後に、H先生とお話する機会があれば、じっくりと山の話ができただろうと思う。

僕が、最初に山で知り合いを亡くしたのは、大学3年生の時だった。同級生のS君が夏山縦走中に白馬岳で、赤ん坊大の落石を腰に受け滑落した。丁度、S君と親しく口をきくようになった矢先だったのでショックだった。彼と僕は、山に登る動機がよく似ていた。だから葬儀でS君のお父さんが、「Sは山が好きだったので、山で死んだのがせめてもの救いだ」という挨拶した時には、「そりゃ、違うだろう」と思った。生きている実感が欲しくて山に登っているのだから、生還できないS君は、さぞや無念でならないだろうと思った。

H先生の遭難を聞いた時、たまたま「がんと闘った科学者の記録(戸塚洋二http://www.amazon.co.jp/%E3%81%8C%E3%82%93%E3%81%A8%E9%97%98%E3%81%A3%E3%81%9F%E7%A7%91%E5%AD%A6%E8%80%85%E3%81%AE%E8%A8%98%E9%8C%B2-%E6%88%B8%E5%A1%9A-%E6%B4%8B%E4%BA%8C/dp/4163709002)」と
「サバイバル登山家(服部文祥)http://www.amazon.co.jp/%E3%82%B5%E3%83%90%E3%82%A4%E3%83%90%E3%83%AB%E7%99%BB%E5%B1%B1%E5%AE%B6-%E6%9C%8D%E9%83%A8-%E6%96%87%E7%A5%A5/dp/4622072203」を読んでいた。どちらも、今の僕にはいろいろと示唆に富む本であった。

最近、山での遭難死を見聞きすると、少し羨ましく感じる時がある。職業柄、病院のベッドで、数多くのチューブを付けられて、死んでいく人を見ているからだろうか。僕達は母なる自然から遠く離れて、自ら作り出した奇妙な人工物に囲まれて生きている。深夜にもかかわらず、東京のビルの谷間の交差点を歩いている人の群れを見ていると、ヒトという存在は今後一体どうなってしまうのかと思う。

初めて動物実験した時、僕に体を摑まれ、足に痛み刺激を受けているのに、暴れようとも噛もうともしないSprague-Dawleyラットをみて吃驚した。何て不自然な生命体なのか、こんな不自然な動物から得られたデータを、ヒトに応用していいのかと思ったものだ。しかしすぐに、ヒトという存在自体が、もはや動物と呼べないくらい、自然から乖離してしまったのだと悟った。

最近の中高年の登山ブームを支えている人達は、単に高山植物を見たくて山登りしているのではなかろう。田舎の自然の中で育った団塊の世代が、人生の晩秋に至り、人工物に囲まれた都会の中では、いよいよ動物としての実感が得られなくなり、山を目指して実感を取り戻そうとしているのではなかろうか。動物としての実感が得られなければ、生きようとしている自分を経験することはできないだろう。生きようとする自分を実感できなければ、どのように死と対峙していけばいいのか。そう考えると、このブーム(?)は、たとえ遭難者が多数出ようとも、当面、終わらないのではないかと考えている。

H先生がどのような気持ちで山登りを続けていたのか、是非ともお聞きしたかった。少し俗世を超越したH先生と、今ならじっくり山の話ができたろうに、残念でならない。ご冥福をお祈りしたい。

2009年9月23日水曜日

札幌→高知→信州

先々週は、札幌での学会のついでに、2年振りに前任地の大学(http://web.sapmed.ac.jp/)近辺を散歩してきました。よく行った「ハットリ兄妹」(http://r.tabelog.com/hokkaido/A0101/A010102/1003370/)もまだあったし、前任地周辺はあまり変わっていませんでしたね。翌朝、豊平川河川敷をジョギングしました。豊平川は定山渓に端を発し、石狩川に合流して石狩湾に流れ込むので、札幌中央区辺りの豊平川は丁度、山(定山渓)と海(石狩湾)との中間に位置します。(小学校の時習った)海風、陸風のせいでしょうか、朝と夕方とのジョギングでは風の方向が異なり、それぞれ、上流に向かう風と下流に向かう風を受けます。今回は、朝のジョギングだったので、上流に向かう風を受け、微かに石狩湾からの海の香りを感じましたね、まぁ、Placebo効果かも知れませんが。

先週は、高知大学の新教授に就任されたY先生の祝賀会で、高知に行ってきました。僕は徳島で生まれたのですが、お隣の高知に行ったのは今回が初めてでした。高知は城下町にもかかわらず道が広く、明るい街でした。松本と雰囲気が違う城下町もあるのですね。高知=(鹿児島-桜島)のような印象でした。桂浜まで往復したかったのですが、祝賀会まであまり時間がなかったので、高知城~はりまや橋を経て、鏡川沿いのジョギングしました。鏡川は河口に近く、海をすぐそこに感じました、南国の海の香りで、沖縄っぽかったですね。通り過ぎる皆さんが挨拶してくれて、びっくりしました、オープンな街なのですね、太平洋で世界に開いているからかしら。そういえばジョン万次郎は土佐の人でしたね。

一昨日は、松本のアルプス公園~豊科カントリークラブへとジョギングして、そろそろ黄金色になりつつある安曇野を眼下に見ることができました。もう少し秋が深まると、安曇野は刈り入れの終わった稲の黄金色と、色づいた林檎の赤色と、山の紅葉が相まって、本当にきれいになります。

短期間に海(高知)、海と山の中間(札幌)、山(松本)をジョギングしてみて、やはり、山の風景が僕にはしっくりときますね。特に、秋の安曇野の黄金色と紅葉の風景を見ると、胸がジーンとします。僕の中の農耕民族としてのDNAが、冬を前にして、食料を確保できた安心感からくる感動なのでしょうか。とにかく、こうした安曇野の風景が、日本の原風景という気がするのですね。徳島の山間で生まれて、山を見慣れてきたからなのでしょうか、郷愁と類似の感覚だと思いますね。ところで、札幌、高知、松本と、風土によって住んでいる人の個性が少し違うような気がします。まあ和辻哲郎の風土論はあまりに自然を擬人化していて極端ですが、着眼点は誤っていないように思います。

北アルプスはもちろん、信州の自然の風景は大変気に入っているし、和食や居酒屋、イタリアン、フレンチで気に入ったお店は見つけたので、後は、もう少し僕に合った理容室(あるいは美容室)と、落ち着けるカフェ、「ハットリ兄妹」のような気が置けないバーを見つければ、僕にとっては十分なのでが...、誰かいいところ知りませんか。

2009年9月4日金曜日

「休日をつぶす」ということ

○▲大学の教授に就任されたM先生に就任祝いをお送りしたら、ご返事の手紙をいただきました。その中に、「...私は、○▲大学麻酔科初代教授のT先生から、『休日をつぶして研究をするものにしかチャンスは与えないことにしておる』という教育を受けた世代ですので...」という一文がありました。

○▲大学初代教授 T先生は、麻酔科における脳循環・脳代謝研究の先駆者で、脳波・誘発電位計を手術室、ICU・ER、病棟に導入して、脳蘇生や脳機能を指向した全身管理学を確立した先生です。脳死臨調にも関与され、「麻酔科医」という枠を超えた視点から、日本や世界の神経麻酔科学の基礎を築かれた先生だと思います。以来、二代目教授S先生、三代目新教授のM先生たちの尽力によって、○▲大学麻酔科は神経麻酔の領域で日本だけでなく、世界をリードしてきたと思います。

T先生は、20年前にご自身が主催した麻酔科学会での会長講演の冒頭で、「自分は基礎医学者のようなきれいなデータを示すことはできない。自分にできることは、一臨床医として一生をかけて脳循環・代謝というテーマと格闘し、もがき苦しんできた姿を伝えることだけだ。そして、この会場にいる若い麻酔科医の何人かが、自分と同じような人生を選んでくれれば望外だ」ということを仰いました。私はT先生のこの言葉に(勝手に?)触発され、今日までやってきたと思っています。

臨床医である麻酔科医の本分は、もちろん臨床に邁進することです。しかし、患者さんの体(病態)のことをまったく知らずして、一所懸命時間を費やすことを「邁進」とはいいません。臨床における新たな発見をして、そのメカニズムを解明する努力をして、初めて臨床に邁進しているといえます。臨床医は患者さんに手術、麻酔、処置、投薬という、本来の病態とは別の重篤な病態を医原的に作り出すリスクを負わすのですから、リスクを超えたbenefitがあるというlogicが必要です。このlogicをscienceまで高めた時、初めて麻酔科医療が成立するのです。この努力を怠れば、たちまち医療は呪術に逆戻りし始めます。すなわち、logicをscienceまで高める努力をする以外に、麻酔科医の「邁進する」道はないのです。

こう考えると、「麻酔科医の邁進」のためには、臨床研究と基礎(動物)研究が不可欠であることを理解できると思います。とはいえ日々の臨床業務をこなす必要がありますので、私も、○▲大学のM先生と同じように、臨床の仕事が終わった夕方~深夜や、休日をつぶして研究してきました。しかし今の若者の中で、こんな負担の大きい生活を希望する人が少なくなったように思います。

M先生からの手紙は、「...(休日をつぶして研究せよという)T先生の精神は私の体に染み付いているが、当分はそれを封印して、ともかく人を集めることに徹したい...」と結ばれていました。確かに今の若者達に「夜をつぶせ、休日をつぶせ」というと、入局者は減り、麻酔科教室は崩壊するかも知れません。しかしどんなに時代が変わっても、どんなに人の気持ちが変わっても、変えることができないものもあるのです。

休日をつぶさずして、医学上の重要な発見がなされたでしょうか? あるいは、休日をつぶさずしてハイブリッドカーは開発できたでしょうか? 休日をつぶさずに南アルプスを打ち抜く土木工法は開発されたでしょうか? カップラーメンですら、膨大な休日をつぶして開発された技術のはずです。つまり私たちの周りで溢れかえっているものは、数多くの人たちがつぶした、無数の休日をもとにできているに違いありません。そして、休日をつぶすとは、人生をつぶすことであり、人生をつぶして何かを得ようとすることです。

ですから私や○▲大学のM先生は、本音では今の風潮とは逆に、「若者こそ、どんどん休日をつぶすべきだ」と言いたいのです。若者こそ休日をつぶすべきですし、若者が休日をつぶすべき目標を持たないような社会が、希望に満ちた幸せな社会とはどうしても思えないのです。そして身近な若者を見ていると、人生を何かに賭けようと思っている若者は沢山いるのです。むしろ問題なのは、そのような向上心を持った若者に答えることができない指導医側にあると思うのです。どのようにして、休日をつぶしたらいいのかわからない若者には、方向性を示してあげなくてはなりません。そして、方向性を示すことができるためには、上級医もまた無数の休日をつぶしてきた(つぶしている)者である必要があると思うのです。休日をつぶす若者が少なくなったとは、休日をつぶして来なかった上級医の身勝手な嘆きに思えるのです。

○▲大学のM先生からの手紙の最後には、自宅が少し大学から離れているので、教授就任後、大学の近くにアパートを借りて一人暮らしを始めた、と書かれていました。このように、初代T教授、2代目S教授、そしてM新教授と続く、自ら率先して「休日をつぶす」譜系があって初めて、○▲大学の脈々たる業績があるのだと思い至りました。そして臨床医学の教室というものは、「前進する努力」を怠ってはならないと思い知りました。臨床の教室がほんの少しでも前進を怠ると、医療が呪術へと逆戻りを始め、scienceに基づかない身勝手な医療がはびこり、地域医療が停滞し患者さんが不利益を蒙る可能性があるからです。

そこで、信州の若者に(自戒も込めて)言いたいと思います。一生やれ! なんて言わないので、4-6年、「休日をつぶして」麻酔科学に邁進してみないか。ライフワークが見つかって、後年、それはとても有意義な時間だったと思い至るよ。私たち指導医側は、若者個人の目指す高みに答えられるように、テーマを用意するので、是非とも頑張ってほしいと願っています。

2009年9月1日火曜日

信州仕様の体

東京浜松町の世界貿易センタービルにある日本外科学会事務局(http://www.jssoc.or.jp/)に行ってきました。日本麻酔科学会より、かなりりっぱな事務局でした。机もコクヨやITOKIで揃えており、麻酔科学会のASKULではなさそうでした(最近、教室の整備のため、あちこちの机や椅子をチェックするクセがつきました)。でもこの世界貿易センタービルって、New YorkのWorld Trading Centerと関係あるのでしょうか。もしそうだとしたら、羽田空港も近く飛行機が飛び交っているので、あまり長居をしたくない場所ではありますね。

ところで、少し早目に浜松町に着いたので、駅周辺を20-30分ほどブラブラしました。驚きましたね、浜松町には日の出桟橋や竹芝桟橋があって、ここはもう海だったのです。つまり海抜ゼロメートル。東京大震災がくれば、確実に津波が来る場所です。そういえば、品川心中という落語があって、桟橋から海に身を投げる噺でしたが、品川~浜松町は当時も今も海だという、当たり前の事実にようやく気づいたのでした。

海辺のためか、ジメジメと湿度が高く残暑も辛かったです。それでも日の出桟橋には、納涼のために観覧船に乗る人たちが沢山いました。この湿度で海に出ても、僕にはとても納涼になるとは思えなかったのですが、東京の人には十分な納涼になるのでしょうね。

会議が終わると、逃げるように海抜600メートルの信州松本に帰ってきました。ほっとしましたね、湿気はないし、残暑は感じないし、肌に心地よい風がそよそよと吹いているし...。しかしどうして湿度が高いと不快に感じるのでしょうか。水辺に近いということは、生存にとっては安心材料なので、むしろ心地よく感じてよさそうなのにね。湿気を不快に思わない民が海辺に棲み付き、湿気を嫌う民はどんどん山に向かったということなのでしょうか。まあいずれにしても、僕は信州仕様の体で、山の民ということですね。そういえば、日の出桟橋周辺にはアブラゼミが沢山鳴いていましたが、信州ではミンミンゼミしか目にしないので、虫の生態系も違いますね。アブラゼミよりミンミンゼミの方が綺麗でかっこよく感じるのは、身贔屓のせいでしょうか。

ともあれ、教室の皆さん。湿度が高く暑い東京で退屈な会議(失礼!)に出ているよりも、信州の手術室で麻酔をかけている方が、よっぽど楽しいですよ。

2009年8月24日月曜日

常念岳から

8/22、23と常念岳に登ってきました。毎年信州大学が開いている常念診療所の撤収を手伝い(邪魔しに?)がてら、常念岳ピークを往復してきました。常念岳からは、槍ヶ岳、北穂、奥穂、前穂は勿論、鹿島槍、白馬、そして剣や立山まで見えました。特に剣岳は、遠くに小さく見えるだけでも、その勇壮さ、壮厳な姿に改めて感動したのでした。

山の大きさに比べると人間なんて小さいね、ちょっとした得とか損とかばかり考えているんだものね。普段下界では、僅かな収入の格差や住む地域なんてどうでもいい理由で、自分の一生の専攻科を思い悩んでいる若者と話をする機会が多いので、久しぶりに山に登って心が洗われました。若者達よ、未開拓で過酷な環境こそが人を鍛えるってことを知っておるかね。過酷な環境に身を置いてこそ人は成長し、その後の成功が期待できるのだよ。ということで、学問的にまだまだ未開拓で、新たな発見に満ち溢れた「麻酔科学」を、雄大な自然に囲まれた信州大学で専攻し、共に臨床・研究に励み、世界一を目指さそうじゃないか、という(まぁ予想された)展開になるんだけどね...

それはさておき、下山時は、足関節の捻挫のため大変苦労して、年齢による肉体の衰えを感じましたね。大腿の筋肉低下と、バランス感覚低下、そして視力の低下を強く自覚しました。だから今後はどんどん山に登って、体力・気力を取り戻さねばと、思いを新たにしたのでした。来春には是非とも麻酔科 山岳会を作って、山から携帯の指示でインチャージしたいんだけど。医局長さん、どうでしょう?

2009年8月18日火曜日

学会シンポジウム

第56回日本麻酔科学会(神戸)が終わりました。今回は裏方さんととして学会本部に詰める時間が長かったので、実際にポスターや展示を見る機会は少なかったです。信州大学麻酔科のブースにすら行けなかったしね。それでも会場チェックをしていると、何千人もが集まる学会なのに、岡山大のM会長の人柄が会場の雰囲気に反映しているのを感じました、不思議ですね。学会本部では、M会長が教室員全員から好かれており、雰囲気のいい教室であることがよくわかり、教室の大小はともかくとして、目指すべき教室の方向性だと思いましたね。

さて今回の最大の収穫は、信州大学の医局員がシンポジウムで発表したことです。いつものことなのですが、学会前は自分の発表の準備と、不在時の仕事をあらかじめ片付けておくために、超多忙になります。にもかかわらず、教室の人達はぎりぎりにならないと、自分の原稿やポスターを持ってきません。ですから、結局、この教室員の原稿をチェックする時間はなく、素のままシンポジウムに臨んでもらいました。しかし自力で素晴らしい発表をしてくれました。実は座長をしながらハラハラしていたのだけどね。短期間で内容を理解して、よく準備してくれたと思います、皆さんやればできるのですよ。学会前は大変な勉強量とプレッシャーだったと思うけど、これがやがて血となり肉となるはずです。彼はシンポジウム中、緊張のあまり何も覚えていないと思うけどね。ご苦労さんでした。

僕も14-5年前、元ボスから初めてシンポジストに指名されましたが、ボスはまったくチェックしてくれず、やはり自力で臨みました。他シンポジストは高名な准教授や講師の先生方ばかりで、僕だけが医員だったので、緊張のあまり声が震えたのを覚えています。とはいえ、他の先生方が外国論文のreviewingに終始したのに比べ、僕は自前の(それなりに面白いと思う!?)データを発表したにも関わらず、誰からも相手にされませんでした。そして若造のせいか、総合討論でも一言も発言を求められませんでした。座長が僕を飛ばして、次の演者に発言を求めるので、ちょっと悲しい気がしましたね。しかし会が終わった後、座長の一人が寄ってきて、いい発表だったので是非論文にしなさいと優しい声を掛けてくれたのでした。その先生にはその後、掲載された論文の別刷りをお送りし、今では親しくさせていただいています。

学会に行くメリットは、他から刺激を受け、他と交流することです。こんな面白いことをしている人がいる、こんな新しい発想を持った人がいる、こんなに努力している人がいる....。臨床や研究の高みを求める若者は、自分の施設以外にも先生や仲間を見つけないといけません。なぜなら、若い時期に出会った先生や仲間によって、その後の人生が大きく変わってくるからです。そうした出会いの場として、学会があるのですよ。

専門医の点数のためと、同門や知り合いの人達だけとのclosedな酒宴のためだけに学会に行くのはつまらないことだと思います。他施設の先生方と交流し、将来自分の先生や仲間になるかも知れない人と出会いを求めるべきです。シンポジウムなどで発表すると急速に知り合いになれるので、これからも機会あれば教室の皆さんにシンポジストになってもらうように諮ります。そのためには、自前のデータが必要ですから、是非とも積極的に臨床研究・基礎研究してくださいな。

今年は手術を制限して、多くの教室員と一緒にASAに行く予定です。New Orleansは遠いけど、ASAが刺激となり、交流の場となることを期待しています。ジャズとケイジャンとだけの交流はいかん、ですよ。

2009年8月14日金曜日

研究のための道州制?

夏休み期間の信州麻酔科セミナー企画として、新潟大学のK先生、群馬大学のO先生に来ていただき、、麻酔科における基礎研究の面白さ(研究に関わった動機や留学の楽しさ)などを語ってもらった。

今、麻酔科に限らず、臨床医で研究を目指す人(MD researcher)が急激に減少しつつあるようです。この傾向は初期研修制度の導入後、研修医が都市への偏在していったことと、期を同一にしている印象があます。Anesthesiology誌への日本からの投稿数も激減しているようで、これらの原因として地方大学での研究活動の低下が挙げられるのではないでしょうか。というのは、これまで麻酔科領域においては都市部の大学や旧帝大だけでなく、むしろ地方大学から世界へと発信された研究が少なくなかったといえるからです。

ではどうしたらいいのでしょうか? 実はこの問題について今回の麻酔科学会で発表しなくてはならないのですが、まだ十分に考えがまとまっていません。しかし、K先生とO先生の発表を聞きながら、麻酔科学の研究分野において、早急な道州制の導入が必要かつ有効ではなかろうかと考えていました。

道州制とは、要は明治に廃藩置県でできた行政区分が、日本の人口の低下と都市部への人口偏在に対応できなくなってきたので、より大きな行政区域に再編して、それぞれの道州政府に独自の予算編成権を与えようとすることですよね。そうであれば、道州制の導入に伴い、(極論すれば)新潟大学、群馬大学、信州大学などがが関東甲信越州立大学に集約されて、それぞれ新潟分校、群馬分校、信州分校になるかも知れません。カルフォルニア大学ロサンジェルス校、サンフランス校、デービス校みたいにね。少なくとも教養課程や一部の基礎医学は一本化できるかも知れません。

どうせ行政側がそれを狙っているのなら、研究の領域でさっさと道州制を先取りして、現在の新潟大学、群馬大学、信州大学の麻酔科領域において、オーバーラップした無駄な研究は止めてしまい、あらかじめ研究プロジェクトのすり合わせをして、必要な部分について共同研究化すればいいのではないでしょうか。新潟のO先生にはin vitroの電気生理をしてもらって、群馬のO先生には創薬や免染してもらって、信州はin vivoの電気生理やればいいとかね。

研究すり合わせをするそれぞれの分校の研究主任を、アメリカ流にProf.あるいはPIという呼称すればいいと思いますね。こう考えると、K先生が代表世話人で始めたPMRG(Pain Mechanism Research Group)などは、時代を先取りした動きなのかも知れません。今後はこうしたグループで、文科省(特定領域、基盤S)や厚労省の科研費を共同で取っていく動きが出るかも知れません。あるいは麻酔科学会の呼びかけで、数年間の宿題研究などを設定して、プロジェクトを公募して、麻酔科学会学術部会として科研費申請するとかね。勿論、各組織内部・外部に競争原理を残しておかないといけませんが、MD researcherが少なくなっている以上、不必要な外部競争を排除し、各施設での研究費の節約を行い、より大きなプロジェクトにお金を集中させることが今後必要になるかも知れませんね。

うーん、結構面白そうな気がします。この方向で今回の麻酔科学会の発表スライドを作ってみようと思います。K先生やO先生の名前もスライドに入れされてもらってPMRGを宣伝したいと思います。

アメリカのように1大学に麻酔科医がレジデントを入れて100-300人いるようなところと臨床研究で競争するためには、日本は大学連合として対抗する以外なく、大学間の垣根を取り払い、基礎や臨床といった棲み分けも取っ払う必要があると思います。こうした発想って、結局、研究面における大学集約化、あるいは道州制導入と同じことを意味するのだと思うので、タイトルを研究のための道州制としてみました。

2009年8月10日月曜日

ヒトはどのように特別なチンパンジーか:再考

もう少し「ヒトはどのように特別なチンパンジーか」について考えてみます。

ヒトは群れ生活を通して、社会関係の認知と他者操作が影響して、模倣、共感、他者の内面理解、言語といった能力を獲得して、特別なチンパンジーになったと、以前、書きました(5/26)。では、最初に群れ生活を促した進化論的メカニズムは何なのだろう、というのが今回の主題です。

群れ生活は、外集団に対する敵意により発生したとされるようです(http://www.santafe.edu/~bowles/ConflictAltruismMidwife.pdf)。つまり、群れ以外の集団への敵意や闘争と、集団内部に対する博愛主義は、同時に発生したというのです。これは、集団内部で食料を分かち合い平等性を担保するためには、他集団への敵意や闘争が不可欠であったという考え方で、他の群れに対する敵意、競争、闘争が、群れ生活を促した原動力ということになります。

もっとも単純な動物である単細胞動物は、まずはカイメンのように群生して、それから多細胞動物へと進化し、体のサイズが大きくなったと考えられている。体が大きくなると、外敵から身を守りやすくなるなど、より安全になるからね。しかし、あまりに大きくなり過ぎると、今度はエネルギー効率の問題が派生します。つまり、生存のために、基礎代謝にすら多大なエネルギーを要するようになり、これらの多大なエネルギー需要のために1日中食べていなくてはならなくなります。これでは、たとえ体のサイズを大きくして安全を獲得したとしても、生存するためには非効率的になってしまいます。そこで、ヒトはエネルギー効率を維持するために、中等度のサイズ(身長1.5-2 m)以上は大きくならず、その代わり、群れ生活をして、外的からの攻撃から身をかわす戦略を取ったのかも知れません。

さらに、群れ生活は、天敵-他種-からの攻撃を防御するというより、むしろ同種の他群からの攻撃から身を守るのが主目的だったのかも知れませんね。食料が乏しい時代に生き延びるためには、異なった食物をエネルギー源とする他種動物よりも、同じ食物をエネルギー源とする、同種の他集団の方が阻害要因としては大きいはずですからね。こう考えると、群れ生活を促進した同種の他集団に対する敵意は、内部の博愛主義を生む原動力になり、内部メンバーに対する共感とは、外部に対する敵意があって初めて生じる情動ということになるのかも知れません。ヨーロッパに見られる軍事的な強力な国家が、同時に大いなる福祉国家でもあるという事実がいい例なのかも知れません。

集団内部を統一維持するためには、集団内の同一性と他集団との差別化が不可欠ですから、同じ肌の色、よく似た風貌などに加え、共通の言語(他集団とは異なる言語)の発達が必要となったのでしょうか。そして、ヒトが集団生活をとった後、農業の発達による定住性を獲得して、国家という集団へと発展していったということになります。こうなると、国家間の戦争も、国家内部の統一性や平等性には不可欠ということになってしまうのでしょうか。少し悲しいですが...

そうすると、各大学の医局間で、アメリカ麻○学会に採用された演題数を競うといった無益な競争も、無理やり仮想敵を設定して、その外敵(?)に対する闘争意識を無理やり煽って、内部成員の研究へのモチベーションを高めるメリットがあったのかも知れませんね。

とはいえ、ヒトが特別な脳を持ったチンパンジーだったから集団化が進んだのか、集団化に進んだから特別な脳を持つヒトへと進化したかは、ニワトリが先か卵が先かと同じで、結論は出ないでしょうね。数学や物理と違って、生命科学には時間(進化)という要素が入らざるを得ず、そのため原因と結果がいつも堂々巡りしているように思います。まあ夏休み数日、ぼんやりと考えた堂々巡り理論でした。

2009年8月4日火曜日

夏の京都の国際生理学会

京都で開催された国際生理学会(http://www.iups2009.com/jp/index.html)に行ってきました。といっても、brush upのために、痛み研究のwhole day symposiumに1日参加しただけですがね。教室の大学院生と一緒に参加したのですが、彼女が一所懸命、発表内容をノートに取っているのを見て、20年近く前の自分の姿を思い出しました。当時の私も、同じような国際シンポジウムに参加しては、討議されている内容がさっぱりわからず、飛び交うレセプタや拮抗薬の名前をノートに書き取るだけで必死でした。シンポジウムから帰って、ノートを頼りに論文を沢山読み、ようやく理解して、翌年、別の研究会に参加すると新たな概念が出ており、また必死でノートに取って...の繰り返しをしていました。

このように根本的な知識不足に加え、当時所属していた教室には新しい研究手法がありませんでした。にも係わらず、痛み研究で学位を取れと命じられており、自分のアイデアで実験を開始したものの、データの解釈ができず、自分の研究の方向性もわからず悶々としていました。素直な性格でないせいか、直属上司にも見放され(?)、研究会で見知らぬ基礎の先生方に相談しては、御迷惑をおかけしていたように思います。そういう中から、将来敬愛するようになる先生方に出会えたのですが、それはまた別のお話ですね。

今となっては、当時の自分の一所懸命さを懐かしく思い出します。時を経て、「批判的に論文を読む」ということも少しはわかるようになりました。痛みの研究の進んでいく方向性についても、ある程度予測が立つようになりました。しかし逆に、自分のデータや後輩のデータに一喜一憂することも少なくなりました。つまり、自分の仮説を100%信じておらず、常に進路の変更や撤退を考えながら、研究成果を形にするために研究をしているような感覚を持つようになりました。「これではいかーん!」と思うのですが、日常些事に忙殺された結果、研究者魂を捨てて、教室のadministratorに成り下がった自分を正当化するようになってきたのも事実です。

今回、京都の国際生理学会に参加し、僕の横で必死でノートを取っている大学院生を見ながら、僕ももう一度、彼/彼女達の必死さを共有させてもらって、一研究者として、もう少し前に進んでみたいなぁ、と思ったのでした。まぁ、こんな殊勝な態度がいつまで続くかは不明だけどね。ともかく、夏の京都は大嫌いだし、学会参加費55,000円も高かったけど、国際生理学会に来てよかったなと思いましたね。 帰りには昔よく行った天天有のラーメンも入手したし...

とにかく、教室の若者・大学院生達、頑張ってくれい。そして、あんた達のエネルギーを私にも少し分けてくれい、そうするとおじさん、もう少し頑張れそうな気がするのだから...

2009年7月29日水曜日

教授って何?

■△大学の教授選が終わりました。この教授選について大きな誤解があったようで、あちこちの人から立候補してるんでしょ? と聞かれました。強く否定しても(出ていないのだから当然否定します)、○▲先生に頼まれて書類を出したんじゃないの、などといわれる始末でした。世間は教授選に秘かな興味があるんですね。ともあれ、これを契機に教授って何だろうと考えてみました。

昔は若者は背中で教育できると思っていました。つまり、一所懸命、臨床&研究していると、人は勝手についてくると思っていたのです。でもこれって、一昔前の「頑固親父の背中をみて育てる」教育法で、つまり、初期教育の放棄なんでしょうね。昔のおやぢは、時々、ビールで酔っ払った勢いで子供を叱り付けて、子供とコミュニケーションしているつもりだったのでしょうが、実際は自分の日常の憂さ晴らしだったんでしょうね。

最近では、医局員を自分の子供と同じだと思うようになりました。つまり医局員は、「社会からの預かりもの」ということですね。だから上司達がちゃんと育てて、社会に還元するという責務を負っています。その際、もっとも重要なのが、社会人になった最初数年間の教育ではないでしょうか。なぜなら、医師はPh.D.とは異なり、科学的な思考や方法論をほとんど学ばずに、いきなり社会人(研修医)になってしまいます。ですからこの研修医時代に、科学的に考え行動するクセをつけておかないと、現状の医療に疑いを持たず、あるいは「思い込み」だけで医療を行う医師になってしまうリスクがあるからです。研修医時代にこそ、人間という複雑な対象に畏れと尊敬の念を持ち、できる限り客観的に観る(診る)姿勢を学ぶべきです。逆説的には、医師になった最初のうちに、自分達が人間について、実は何も知らないということを十分に知る必要があります(?!)。 5年前から始まった初期研修制度は、少なくともこの点については失敗で、現存の技術だけを習ったらいい医者になれるという錯覚を若者に与えてしまったように思います。

さて、何より大学教授こそが、人間は人間について何も知らないということを研修医に教える使命があると思います。なぜなら、「人間とは何か?」と問いかけ続けているのが、教授を筆頭とする大学教官で、自分達がいかに人間について知らないかを、実は一番よく知っている人達だからです。勿論、どんな人でも、人間って何なのだろうと、秘かに問いかけていると思います。しかし、教授あるいはPI(Principal Investigator:研究室の主宰者)こそが、世間に向かって照れずに(これが結構重要だと思います)「人間って何?」と問いかけることができる数少ない職業だからです。そして、こんな青臭いことを問い続ける人は、社会にとって有益性に乏しい人達なので、教授選考をして絶対数が増えないように規制されているのかも知れませんね。

それでも、世の中には「人間って何?」と問い続けないと生きていけないタイプの人が(多分)います。そんな変人が社会の片隅で、それなり尊厳を保ってに生きていくためには、教授やPIを目指すしかないのですよ。勿論、現在においても教授を目指す動機が、「偉そぶりたい」という人がいるのも事実です。しかし残念ながら、時代は変わりつつあり、すでに社会は偉そぶりたい教授を必要としていないと思いますね。それに、偉そぶるためには情報の独占化が不可欠ですが、インターネットの時代になって情報の独占は不可能ですから、白い巨塔は遠い昔となりました。

繰り返しますが、教授やPIになれば、「人間って何?」と問いかけ続けるタイプの人でも、世間から変人扱いされな いで生きていけるという利点があります。他方、教授やPIとは、結局、教育者としてご飯を食べている職業ですから、次世代の若者を教育し、鼓舞し奮起を促さなくてはなりません。しかし、若者の教育は苦労が多く責任も重い反面、大変楽しい作業でもあります。いつまでも若者から元気を貰えるしね。

だからさぁ、PIや医学部教授を目指すという、今となっては変わりものの若者が増えてくれないかと願っている訳です。水と空気の美味しい、風光明媚な地方大学のPIや教授って、案外いい職業だと思うんだけどなぁ。そんな若者が増えてくれたら、僕はとっとと引退してフリークライミングと沢登りに専念したいと考えているのですが...

2009年7月20日月曜日

情動と認知の痛み

6月はいろいろと忙しくて、ブログの更新できなかったので、申し訳ありませんでした。

さて、ペインクリニック学会と疼痛学会合同の名古屋ペイン2009(名古屋)に行ってきました。両学会が合同に開催するようになってから、臨床と基礎の交流がうまくいくようになって、学会の雰囲気がアメリカ疼痛学会のようにオープンで、学際的になってきたように感じます。日本の疼痛治療も、ペインクリニック治療=神経ブロックという雰囲気から、痛みの機序を推定しながらinterventionや薬物療法を行う方向へと変化しつつあるように感じて、僕としてはうれしく感じます。まあ異論もあるでしょうが。

なかでも、慈恵医大生理の加藤教授が、講演の最後に仰っていた内容が興味深かったです。外敵から襲われると、その痛みや外敵の臭いを記憶し、不安、恐怖、不快といった負の情動を保持する。そうすると、二度とそうした危険が及ぶ環境に身を置かなくなり、生存確率が増えるという考え方です。つまり、情動の起源を、生体警告系に対する神経系応答(痛みの知覚面のことですね)の記憶に関連する体験として捉えようとする考え方ですね。これは新たな考え方かも知れません。この考え方では、痛みの認知面と情動面(=不快)が、記憶を介して密接に繋がっていることが容易に了解できますね。そうすればもしかしたら、逆に「快」という情動とは、進化の過程において、身の安全が確保されて、食料の心配が少なく、子孫をより残せる確立が高い環境にあった時の、記憶に関連した神経活動ということになるかも知れませんね。 この「快」の延長線上に「愛」があるのかも知れません。

15年くらい前、某大学の生理学の教授から、「21世紀は愛を生理学で解き明かす時代だよ、痛みのような原始的な感覚の解明では、いずれ時代遅れになるよ」と言われたことを覚えています。確かに加藤教授の扁桃体での素晴らしい研究を聞いていると、「快」、「不快」から、さらに「愛情」や「意識」といった問題についてまで、生理学が解き明かせる時代が、もうそう遠くはないようにも思います。冗談ではなく、本当に「愛の生理学」の時代が来ているのかも知れませんね。

2009年5月26日火曜日

生命科学シンポジウムその2:ヒトはどのように特別なチンパンジーか

東大生命科学シンポジウムで面白かった二つ目の講演は、総合文化研究科の長谷川寿一教授の、「ヒトはどのように特別なチンパンジーか」でした。

ヒトは遺伝学的にはチンパンジーと最も近縁で、チンパンジーもゴリラよりヒトに近縁だそうです。果実依存性の他の類人猿とは異なり、ヒト/チンパンジーだけが肉食を行い、雄同志が絆に結ばれて集団で生活し、協同で狩りを行うなどの特徴がある。そして、(残念なことに)ヒト/チンパンジーだけで、集団間の闘争(戦争)が見られるらしい。講演の中での、チンパンジーの集団が、他グループのチンパンジーを「狩る」映像は衝撃的であった。

さて、ヒトとチンパンジーを分けるものは何か。ヒトがチンパンジー以上に認知機能が発達したのは、群れ生活における社会関係の認知と他者操作が影響したとのことで、これを社会脳仮説というらしい。この結果、ヒトは模倣、共感、他者の内面理解(マインドリーディング)、言語といった能力を獲得して、文化や文明を築き上げた。 実際、群れの大きさ(サイズ)と脳容量の間により強い相関関係があるらしい。そして、火を用いた調理と肉食によって、類人猿の伝統である果実依存性から解放され、集団生活を安定化できた。こうして、手間暇のかかる子育てを集団で協同で行なうようになり、繁殖開始年齢が遅い大きな脳を持つ子どもを、短い出産間隔で産出できるようになった。こうして、ヒトが地球上で繁栄してきたと考えられている。

こうした長谷川教授の方法論は、チンパンジーの行動観察を通して、ヒトとの共通部分と異なった部分を明確にすることで、「ヒトとは何か」というテーマに迫ろうとしているのですね。麻酔によって意識を消失させたり、痛みを抑制することで、逆に「意識とは何か」、「痛みとは何か」を知ろうとする、麻酔科学に似ているかも知れませんね。

2009年5月8日金曜日

生命科学シンポジウムその1:光合成

大型連休中に、東大で開催された生命科学シンポジウムに行ってきた(http://www.biout2009.info/)。東大が生命科学のネットワークを強化するため、大学院生募集を副次目的として、一般公開しているシンポジウムです。各分野の先生が20分で自分の研究成果を一般人を相手に発表するので、いろいろと勉強になった。その一つは発表の仕方ですね。

短い時間で膨大な研究成果を発表するのは、つくづく難しいと思う。語りたいことは山ほどあるだろうに、聴衆は一般人から当該分野の研究者までの多彩な層を含むため、基本的な知識に大きな差がある。こうした場合、すべて理解してもらおうと膨大なスライドを用意すると、まずは失敗するね。今回たまたま愚息(中学生)を連れて行ったのだが、彼の反応が発表の成否のバロメータになった。「中学生にも理解できるように発表しろ」というのは実に本当ですね。中学3年生の数学と理科の知識があれば、各テーマの重要性と研究の方向性は理解できるので、発表の仕方で成否が決まります。医局のASA refresher courseの発表などでも、一所懸命、文献を読み込み勉強した人が、発表の仕方で失敗しているのをよく目の当たりにする。勉強は必要条件であって十分条件ではない。十分条件には発表の仕方が加わる。それくらい、勉強にも発表方法にも時間をかけて準備しないといけないということですね。アメリカ人は、発表している自分の姿をビデオに撮って(後ろ姿まで!)、練習するからね。僕も留学中に選択した英語のクラスで、発表の練習されられたもんなあ。まだ教室の皆さんは、発表自体の重要性を認識していないように思う。

さて、いくつか面白い発表があったので、追々報告したい。今回は、植物はなぜクロロフィルという色素を光合成に使っているか、についてです。理学部植物学講座の寺島教授は、葉っぱが光合成によって光エネルギーを効率よく得ようとするならば、葉っぱは黒色(つまり光をすべて吸収する色)であるべきだと語り、聴衆の興味をぐっと引きました。愚息まで身を乗り出したもんね。そして、葉っぱの緑色は緑色光を吸収しにくいから緑色に見えるのですが、実際は、葉っぱの内部に入った緑色光は何度も屈折して、葉っぱの裏側にある海綿状組織に吸収されるので、緑色光の吸収効率は結構高いことを示しました(勿論、緑色光以外の吸収率はもっと高いのですが...)。そして、葉っぱの表面の葉緑体の光合成はすぐに光飽和してしまうので、それ以上、白色光を強めても熱エネルギーになって散逸するだけですが、緑色光だと葉っぱの裏側まで届き、まだ飽和していない葉緑体の光合成を駆動することを示しました(http://www.biol.s.u-tokyo.ac.jp/users/seitaipl/index.html)。こうして陸上植物が、クロロフィルという緑色の(つまり緑色光を吸収しにくい)色素を光合成に使うことが、光エネルギーを取り込むためには、合目的であることを証明したのでした。パチパチパチ。

光合成について考えたのは、高校生の時以来だと思うが、大変面白く、かつリフレッシュされました。しかし実は、光合成に関する現象の大半はまだ謎だらけだそうな。これを聞いて、麻酔のメカニズムが不明なことは、科学の世界において大した問題ではないと思ったね。麻酔のメカニズムより、光合成のメカニズム解明の方がどう考えても重要だもんね。光合成こそ、自然に備わった太陽光によるエネルギー発電だから、化石燃料消滅後のエネルギー獲得にもっとも重要な研究といえるもんね。

まあ、自分がやっていることをあえて矮小化する必要はないが、たまには他分野の研究を知って、自分の分野を客観視することも重要でしょうね。東大の生命科学シンポジウム、なかなか面白いぞ、来年も行こうっと。

2009年4月20日月曜日

医学部M.D.と薬学部Ph.D.

週末に福井大学で、「痛みの機序」のお話をさせていただいた。5年生と一部6年生に向けた講義では、6年生は熱心に聞いてくれたが、5年生の一部は入眠に陥り覚醒不能であった。他方、その後の初期研修医への講義では、麻酔業務後にもかかわらず、それなりに話を聞いてくれた。

そもそも、「痛み」について、学生や研修医が興味を持っているはずがないので、上出来だったと思う。僕だって20年近く前、元ボスから「痛みを専門にせよ」と言われた時、「痛み」が男子の本懐になるとは思えず、しばし茫然としたからね。痛み研究をライフワークに決めるまで、随分と時間がかかった。もっとも、医学部5年生では、痛みは勿論のこと、iPS細胞の話でも、入眠するに違いないけどね。そして講演後、福井の教室の方々のお話をいろいろ聞くことができた。手術室も素晴らしく整備されていたし、薬物のpharmacokineticsも電子チャートに入っていたし、信州のお手本になることが多かった。

その翌日、大阪で製薬会社の研究者の集まりに参加して、鎮痛薬の創薬について討議する機会があった。こちらは当然ですが、面白かったですね。立場は違っても、痛みという感覚(と情動)について、日頃から考えている者同士なので、いろいろと触発された。また、創薬に向かうプロセスと、M.D.が研究対象を選ぶプロセスはよく似ていると思った。勿論、前者の姿勢がより厳しいのは当然ですね。投資額だって、僕達の科研費 数百万円~数千万円とは桁が2-3つは違うだろうし、同じ社内といえども、部門外からのピア・レビューに常に晒されているだろうし。

しかし医者のルーチンワークとは違って、製薬会社の研究者はきわめて創造的な仕事ですね。そして、M.D. researcherがルーチンワークに時間を割かれることを考えると、薬学出身のPh.D.の方がむしろ優位ですね。さらに最近、M.D.のP.I.が薬学部に転じる傾向があり、その理由が薬学部の学生・院生の方が医学部よりやる気があって優秀なためと聞いたが、身近なM.D.と比較して首肯せざるを得ないと思ったね。こうして、将来、製薬会社の研究者の力で、是非とも麻薬(オピオイド)を超える鎮痛薬を開発して欲しいと願っている。そして、僕としても赴任後1年以上経ったので、いつもまでものんびりとはしてられず、そろそろ研究を前進させねばと思い、帰松した。

今週末は福井や大阪で、いろいろな刺激を受けた。じっくりとした体系的な仕事をするために、自然に囲まれた信州は最適だが、1-2回/月の週末は、刺激を受けに都会に出る必要があると思う。そうしないと、あっという間に、世間知らずで内向きな人間になってしまうぞ。北海道の後輩の方が、飛行機代が高いにもかかわらず、週末、東京などでの研究会や勉強会に熱心に出ているような気がする。信州は東京や大阪に近いのだから、教室の皆も、もっとどしどし週末に勉強に出て欲しいと思う。自ら働きかけ続けないと、事態は打開できないからね。

2009年4月14日火曜日

若い教室員は修行すべし

教室で文科省関連の科研費がいくつか当たり、欲しかった実験・臨床機器を購入できそうだ。来春の臨床研究棟の改築と合わせて、麻酔科のlabも研究に適した環境になることを期待している。とはいえ、今回通らなかったプロジェクトや、新たなプロジェクトについては、10月の申請に備えなくてはならない。そのためには、今から論文を投稿して業績化しなくては、次なる研究費獲得に支障をきたす。今回、科研費が通らなかった人を含め、教室員の皆の奮闘努力を期待したい。

さて、最近わが国ではMD researcherが減っている。「専門医指向」というのだそうだが、「○▲専門医」といった資格を得ようとするMDが増えて、研究を目指すMDが激減しているようだ。麻酔科は、臨床医学と基礎医学の間くらいに位置するイメージがあり、昔は学位を目指す人が多かったように思うが、今では学位取得を望まない人が増え、臨床に徹する傾向が強くなっている。だから麻酔科学の領域で、PIを目指す人は、もうシーラカンスみたいな存在なんだろうね。生きる化石として、臨床のlabで研究するMD researcherは、現在も将来も、臨床の仕事が終わった夕方や土日を実験日に当てざるを得ない。そこでMD researcherは、せっかくの夜や休日をどのような研究に費やすべきなのだろうか。

現在の研究とは、細胞膜にあるレセプタにある分子がつくと、それに応じて細胞が応答する細胞内シグナル伝達を進めるために、ある反応をする酵素キナーゼが存在する、そして、その反応を進めるためにも酵素キナーゼがあり、さらにその反応の触媒となるキナーゼキナーゼがあり、・・・・・・をすべて網羅・羅列することを目的化しているように思える。各研究者が発見したレセプタやキナーゼが、いかに生命現象に重要であるかを競い、最先端の生命科学の流行が作り出され、その流行の期間がますます短くなっていくように思える。

そもそも細胞内シグナル伝達では、外界に対応するだけなら、一段階の応答だけでいいはずなのに、なぜ何段もの構造が存在するのだろうか。加えて、各段階の反応を止めるために、脱リン酸化の酵素フォスファターゼが存在する。また、一つの酵素だけが対応しているのではなく、多くの酵素が関連して反応が進み、各経路は多くの枝分かれをした後、その枝がしばしば合流する。この冗長さは、分子生物学的な方法論に原因があるのではないか。つまり分子生物学的手法は、顕微鏡を見ながら森の中に入っているようなもので、細かい分子の動態が見え過ぎて、森全体の光合成を見るには適していないのではないかとすら思える。そして現在の科学者の仕事とは、自分が発見したレセプタやキナーゼのシグナル伝達機構を、羅列・枚挙することに一生を費やすことのように思える。

ゲノム、プロテオーム、メタボロームといった巨大研究プロジェクトも、羅列化、枚挙主義が目的化した果ての仕事のように思える。そして、個体全体の機能についての問いかけるのは科学の仕事ではなくなり、むしろ哲学の仕事へと回帰してしまったようにみえる。本来、分子生物学は、「人(ヒト)はどこからきて、どこへ行くのか(どうして死ぬのか)」という哲学的な問いかけに対し、科学的な回答を用意する学問と考えられていたはずなのに。このように、枚挙主義が一般化した現代の生命科学においては、西崎泰美氏が言うように、「最先端における新事実はお金さえかければいくらでも出てくる」ことになる。 つまりお金で科学業績(論文)が買えることになった。まぁ、一部、極論だけどね。

さて話をMD researcherに戻す。MD researcherにとって、貴重な夜や土日を実験に費やすのに値する研究とは何であろうか。少なくとも、羅列化や枚挙主義ではなかろう。枚挙主義の論文が通用するのは、最先端(科学的流行の?)領域であろうから、MD researcherは最先端(とされる)領域を少し避けるべきかも知れない。麻酔科学は、循環、呼吸、神経、免疫などの各ネットワークの関係性を探り、ヒトのホメオスタシスとは何かを問い続ける学問分野である。したがって、麻酔科におけるMD researcherは、各ネットワークが統合されたヒトの機能を見ていく上での「ものの見方、思想」が形成できるための実験をすべきだと考えている。具体的には、臨床を反映した個体モデルのin vivo実験にこだわり続けて、「ヒトの診かた」の体系を作る努力をすべきだろう。

とはいえ、MD researcherといえども、いやMD researcherであるが故に、最先端分野に参入しなくとも、Goldsteinが言うように、最先端の基礎的な研究手法と知識をしっかり学ぶことが不可欠である(http://www.jci.org/articles/view/112652 このGoldsteinの論文は大学院生に教えてもらった)。したがって、研究を指向する人は、若い頃にしっかりとした指導者のいるlabに研究修行に行くべきである。このため、僕達の教室でも、今春から大学院生には、生理研(井本研)や新藤研に行ってもらって、しっかりとした研究手法と論理的思考を学んで帰ってきてもらいたい。こうした修行は、研究を指向する人だけに該当するのではない。臨床を指向する若い教室員も、若い頃にしっかりとした機関や施設に臨床修行に行ってもらって、臨床上の新たな手技・手法と臨床医学の論理を身につけるべきである。こうして、要望に応じて、来春からいくつかの施設に臨床の勉強に行ってもらおうと計画中である。

若い時の苦労は買ってでもしろ、というじゃないか。僅かなお金につられて、しょぼい指導者しかいない病院で研修した人は、いつかそのツケが返ってくると思う。若者よ、若い時にこそ修行に出るべし。

2009年3月16日月曜日

神経男とTEE

大雑把な意見だけど、麻酔科医は神経男(女)と心臓男(女)に大別されるらしい。神経男(女)とは、麻酔の中枢作用や痛みの機序、あるいは局麻の機序なんかを脳波やニューロンの活動で研究するのが好きで、臨床に役立たなくとも、ああでもないこうでもないと議論している麻酔科医のことだhttp://www.jsnacc.jp/。一方、心臓男(女)とは、複雑なネットワークは嫌いで、理にかなった現象だけを対象にする傾向にあり、循環生理や心臓麻酔が好きで、どちらかというとああでもない、こうでもないと議論することは好まず、画像やデータをみてすぐさま対応するのが好きな麻酔科医のことだそうな。そして僕は典型的な神経男だそうな。

そんな僕が、経食道エコ-(Tranesophageal Echocardiography: TEE)の2日間のセミナーhttp://www.jscva.org/に参加してきました。吃驚しましたね、200人以上の若い麻酔科医の熱気に圧倒されました。勿論、僕のような熟年麻酔科医もチラホラいて、見知った顔もあったけど、会場を埋め尽くした大半は若い麻酔科医で、雰囲気から察するに、心臓男(女)が90%以上でしたね。2日間の講義を聞いて、心臓麻酔にTEEは必須の技術になったし、TEEを通じて麻酔科医の心臓/循環に対する認識が変わりつつあると思った。
 僕が若い頃に習った心臓麻酔は、通常のモニター、肺動脈圧、心拍出量に加えて、術野の心臓の張りと動きをただひたすらに観察して、管理する方法だった。拠り所はスターリングの法則だけでしたね。拡張障害なんて考えたこともなかった。心臓麻酔とは、ボリューム管理とカテコラミンの投与に尽きる、経験則に基づいた「術」でしかなく、「技術」ではなく、もとより「学」であり得なかった。TEEの出現が、心臓麻酔のあり方を一変させたといっても過言ではないのでしょうね。

勿論、20年前、僕のような神経男も、(ここまでとは思わなかったが)TEEが将来ポピュラーになるだろうという予感はあった。だから1991年に北海道の港町の病院に赴任した時、循環器内科医にお願いして、TEEを術中入れてもらい勉強しようとした。でも麻酔導入後は、「術前とあまり変わらないね」、体外循環からのウイニング後は、「機械弁だとよくわかんないね」、を数回繰り返して、循環器内科医も僕も興味をなくしてしまった。
 あれから18年の間、TEEという新しいテクニックが広がり、新しい知見・発見に繋がりそうで今日の活況を呈していると思う。でも多分、まだ新しいテクニックが認知されて、若いうちに習得しておかなくては、という段階の熱気に過ぎないようにも思う。つまり、ノーベル賞科学者のSydney Brenner言うところの

「Progress in science depends on ①new techniques, ②new discoveries and ③new ideas, probably in that order.」

のうち、今はまだ、①~②の始めくらいの段階ではないだろか。今後、②、そして③に到達できるかどうかに、若い人達の真価が問われるんだろうね。そのあたりにまだ少し不安がある。というのは、会場の熱気は、何かを生み出そうという熱気ではなく、素早く習っておかないと取り残される、というような熱気に思えたからだ。つまり駿台の夏期講習(これまた30年前しか知らないが)の熱気に似ていたように思う。
 ともあれ、神経男(女)達がああでもない、こうでもないといっているうちに、心臓男(女)達は着実に、TEEという道具を進歩させた訳で、今年は、神経男である僕も、TEEの世界に真面目に足を踏み入れようと思う。 教室でJB-POT勉強会をして、大量合格者を出そうよ、ねえ、菱〇君、△出君。

最後に、「経食道」ということもあり、食道がんになった高見順の詩を思い出した。やっぱ、魂-神経より食道かぁ。

-魂よ-
魂よ
この際だからほんとのことを言うが
おまえより食道のほうが
私にとってはずっと貴重だったのだ
食道が失われた今それがはっきり分かった
今だったらどっちかを選べと言われたら
おまえ 魂を売り渡していたろう
(略)
魂よ
おまえの言葉より食道の行為のほうが私には貴重なのだ
口さきばかりの魂をひとつひっとらえて
行為だけの世界に連れて来たい
そして魂をガンにして苦しめてやりたい
そのとき口の達者な魂ははたしてなんと言うのだろう
(略)

(高見順 死の淵より)http://www.amazon.co.jp/%E6%AD%BB%E3%81%AE%E6%B7%B5%E3%82%88%E3%82%8A-%E8%AC%9B%E8%AB%87%E7%A4%BE%E6%96%87%E8%8A%B8%E6%96%87%E5%BA%AB-%E9%AB%98%E8%A6%8B-%E9%A0%86/dp/4061962167

2009年3月2日月曜日

羽田管制官とシンガポール研究者

NHKの番組で、羽田空港の管制官とシンガポールの研究者を主人公にしたドキュメンタリーを観た(「プロフェッショナル」と「NHKスペシャル沸騰都市」)。管制官の仕事は、「何事も起こさない」ことであるが、「何事も起こさない」ためには、管制官は、何かが起こるかも知れない、僅かな可能性をも想定し、リスクを回避し、未然に事故を防がなくてならない。
 
 一方、シンガポールは今、世界中からトップサイエンティストを招聘して、科学の世界で覇権を得ようとしているらしい。このために、何億円といった研究資金を一個人に投資して、成果を得ようとしている。その好条件に惹かれて、日本からシンガポールへと研究の場を移した研究者もいる。但し、その成果は、Nature、Science、Cellクラスの雑誌に掲載され、将来、特許や創薬に繋がることが必須のようだ。

僕も若い頃、(今となっては恥ずかしい限りだが)NatureやScienceに論文を載せたいと願い、基礎研究に励んだ時期がある。とはいえ所詮、臨床のlab.の未熟な方法論では、現象の完全証明は無理だと悟っていたが、それでも研究の方向性だけでも、Natureを目指したいと思ったものだ。しかしその後、次第に考えが変わってきた。Natureに載るような、ある意味、突飛で素晴らしい研究は、ホームランを狙うのに似ている。しかし、臨床のlab.での研究は、毎日バンドヒットを打つことではないかと考えるようになった。トップサイエンティストにしたらつまらないかも知れない。しかし、臨床医に求められている研究は、突飛な面白さを狙う仕事ではなく、奇を衒わない地道な研究の積み重ねにしかないと思うようになった。こう思うようになってから、ようやく自分の居場所がみえ、肩の力が抜け、自然体で臨床や研究に打ち込めるようになった。それまで羨ましく思っていた、基礎研究者のカッコイイ仕事ではない、自分の泥臭いin vivoの研究に、ようやく少し誇りを持てるようになった。

さて再び、羽田制官とシンガポール研究者の話に戻る。麻酔科医の仕事は、管制官の仕事に似ている。管制官は10機以上の飛行機を、風の方向を予測しながら、等間隔で飛行させるように指示を出し、高度が異なるヘリコプターの接近にも気を配り、何事も起こさず離着陸させる。一方、麻酔科医は、各臓器の機能を観察しながら、リスクを回避し何事も起こさず、無事に手術という侵襲から患者を守る。術中に何事も起こさないために、麻酔科医は存在するが、時に出血が止まらず、心筋虚血が改善せず、あるいは肺塞栓などで、危機的状況に陥ることがある。このような絶望的なジリ貧状態の中で、生体機能の起死回生となる画期的な治療法があればと、願うことがある。しかしこうした考えは、まさにホームランを狙うNature的発想かも知れない。そして、こうしたNature的発想は、残念ながら、麻酔科学の領域では即効性がないのではないだろうか。それは、試験管内の一個の細胞の動態すら、解明には程遠い生命科学と、複雑な多臓器間のネットワーク異常を、経験則を頼りに対処するしかない麻酔科学との間に、今後も、深くて暗い川が横たわり続けると考えるからだ。結局、僕たち麻酔科医は、今後もバンドヒットでつないで点を取り、重症患者を生還させる努力を続けていくことになるのだと思う。

さて、わが中学生の愚息は、上記のNHKの番組を観て、シンガポールの研究者の話には興味を示さず、羽田空港の管制官の番組にはいたく感動したようで、録画を繰り返し観ている。何が彼の琴線に触れたかはわからないが、輝かしい成果を目指す仕事とは別に、何事も起こさないことを目的とする人生にも意義を感じたくれたようで、麻酔科医の親としては望外の喜びである。職業の多くは何事も起こさないことを使命としており、臨床医学もまた、患者の体を使って医師の成果を求める(治す)ことよりも、患者を疾患や傷害から予防する(防ぐ)ことが、より重要な使命だと考えるからである。そして、誰からも褒められないが、麻酔科医こそが術中の患者の身体と尊厳を守っていると信じているからである。

2009年2月19日木曜日

Keep an open mind

カナダ トロント大学のKavanagh教授が講演に来られた。肺傷害-特に人工呼吸による肺傷害-の大家で、これまで数多くの重要な論文を出している。トロント大学病院は、年間手術数が1万5千件で、麻酔科のfacultyは58人とのことでした。僕達の3倍の手術数を、3倍近くのスタッフでやっていることになる。各部門の関連性や、運営上の資金のことなど、大きいところには大きいところなりの悩みがあるようで、問題の本質は組織の大小ではないと実感した。要は、大きいところも小さいところも、みんな苦悩しているということですね。

講演では、自身のlabからの豊富なデータをもとに、肺傷害には1回換気量、PEEP、サイトカイン、炎症細胞浸潤、すべてが関与しており、単一の共通のpathwayがなく、そのメカニズムはきわめて複雑だと述べられた。「人工呼吸による肺傷害」というような、ある意味、人工的な傷害モデルでも、メカニズムの解明が困難という状況に驚いた。僕は肺傷害の研究には門外漢だが、Kavanagh教授が最後に、こうした複雑な現象の解明のためには、「Keep an open mindが重要だ」と述べたのが印象的だった。自分の結果と合わないデータや、新しい肺傷害に関する概念が出てきても、感情的に否定しないで受け入れなさい、そして、自分のデータと統合して考えていきなさい、とでもいうことでしょうか。すべての分野に当てはまるフレーズですね。Keep an open mind、あるいはKeep your mind open、いい言葉だね。

2009年2月16日月曜日

信州酒蔵ツアー

信州の古い酒蔵を見学に行き、酒造りの苦労話と、試飲(こっちが主目的か)する会があった。信州大学がご贔屓にしている居酒屋の親父さんが主催者で、昨年に続き、今年は教室の先生と一緒に参加した。

僕より少し若い藏元の、酒造りに関する説明が、昨年同様、大変明快である。そしてそれ以上に、大学の化学科に進んだ後、酒造りを継ぐことに決めた経緯や、その後の大変な苦労とちょっとした成功、そして今だに酒造りは難しく、発展途上であるということを、ユーモアを交えて淡々を語る、その内容に胸を打たれる。いい酒を造るために考え努力し、さらに考え努力し...その先に、ほんの少しの成功を得る...というストーリーに感動する。

ここには、「努力すれば、いつかは報われる」という古風な世界観がある。残念ながら、医学の世界では、今、こうした古風な価値観が崩れつつあるのかも知れない。但し、「努力する」とは、身の丈を越えたテーマに、何の準備もせず、徒手空拳で挑むことではない。これは無謀と呼ばれる。この辺の兼ね合いが難しいんだろうね。無謀の方が、ずっと楽なんだろうなあ。

ともあれ、「努力」、すなわち、夜遅くまで論文を読み、実験(臨床)をして、とことん考え詰めた人が、いつかは必ず報われる世の中であって欲しいと願う。そうでないと、医学が進歩しないじゃないか。僕は、藏元の言葉を聴きたくて、来年も参加するだろうと思う。 教室の人も、来年、参加してみませんか。きっと勉強になりますよ。お酒のお土産もつくしね。

2009年2月13日金曜日

2008年度 ASA Refresher Course輪読を終えて

2008年5月から始めた2007ASAリフレッシャーコースレクチャーの輪読会が終了した。クリニカルクラークシップ(5年生)に読んでもらったコースも含めると、約120のレクチャーを輪読したことになる。毎回、スライドでの発表形式をとり、学会発表の練習も兼ねた。回を重ねる毎に、lecturerの写真を入れたり、イラストを添えたりする人も増えて、各人が発表に工夫するようになった。それでも、発表の声が小さかったり、カンファレンス係が不在だと、誰も司会をしようとしなかったり、まだまだ気になることもある。でも、来年度も続けるので、皆の意識が少しずつ変わっていけばいいと思う。

僕が赴任して最初に感じたことは、麻酔の知識や技術に関して、教室全体としてのディスカッションがないことだった。自分の麻酔には、とてもこだわりを持っているのに、自分以外の麻酔管理には、無関心・無頓着に思えた。そこで、麻酔の知識の共有化のために、ASAリフレッシャーコースを輪読してみた。最初はMiller's Anesthesiaを後期1年目の先生と読もうとしたけど、挫折したので、教室全員で読んでみることにした。

どうです、結構面白いレクチャーがあったでしょ。麻酔専門医でも、案外、知らないことがあったり、昔の知識が通用しなかったりするもんです。小さい教室では、すべての分野の専門家がいないので、スタッフが毎週何かをreviewしても(これがまだちゃんとできていないが)、全分野を網羅できないので、ASA  refresher courseを輪読して、麻酔の全分野に精通するよう心がけるのは大事だと思う。

そして、AHAガイドライン、ACCPガイドライン、麻酔学会からのガイドラインなど、適宜、付け加えて分担して発表してもらいましょう。知識と技術の普遍化をしなくなったら、「教室」でなくなるからね。

こうした機会を持ちながら、麻酔全般の知識と技術を向上させ、自分が進む方向性を見つけてくれたらいいと思っています。

2009年2月11日水曜日

アメリカ金融不況とグラントの未来

アメリカ発の金融不況が始まって、NIHなどの公的グラントはどうなるのだろう。2000年前から2004年まで右肩上がりだったNIHグラントは、現在では頭打ちになっており、CellやPNASに論文が掲載されても、グラントを取れずに、lab閉鎖を余儀なくされる研究者が出てきたようだ(http://www.nature.com/news/2009/090204/full/457650a.html)。これから不況がさらに進めば、NIHグラントは減額され、臨床応用しやすい内容や、特許を取れて、お金を生みそうな研究にグラントが投じられるに違いない。そしてこの傾向は日本にも波及するだろう。

すぐさま臨床応用できそうな研究を、基礎研究者に要求するのは、かなり酷である。医学部出身以外のPhDは、フワフワとした臨床の曖昧さをイメージできないだろうし、MDでも、臨床から離れて久しいと、臨床での問題点を体感できなくなっている。とはいえ、グラントの採否を決定する人も、臨床から遠くなった臨床の教授や、文科省や厚労省のお役人だろうから、結局、あたかも臨床応用できるかのように思える作文を書く才能があり、かつ、それに相応しい研究結果を出せる研究者に公的資金が集中するに違いない。 こうなると、基礎研究は逆に、臨床応用から遠ざかることになりはしないか。

僕は、臨床応用を志向した、基礎医学からの研究結果は、話半分だと思っている。話半分という意味は、基礎実験の結果を臨床応用しても、半分くらいしか成功しないだろうということと、もう一つは、基礎研究でネガティブだったとしても、もしかしたら、半分くらいは臨床でうまくいくかもしれない、という意味である。

臨床の現場は、個別化と普遍化の間をフワフワと漂っている空間である。同じ麻酔法を選んでも、まったく同じ経緯を辿る人はいないが、ある程度類型化はできる。つまり、意識(脳)、鎮痛(脊髄、末梢神経)、筋弛緩、循環、呼吸、体液・内分泌など、それぞれの体内のシステムやネットワークに対する麻酔薬の影響は、ある程度の類型化、普遍化ができるが、その順列・組み合わせは膨大となり、結果的に、生体全体の反応としては、かなり個別的な応答が得られることになる。したがって、あまりに普遍化された治療は、ある程度個別化したヒトには効かず、あまりに個別化した治療は、ある程度普遍化したヒトには応用できないということになって、臨床応用で成功を収めるのは、つくづく難しいのだと思う。

再生医学は、多能性幹細胞の成長を期待した医療なので、個体発生を辿る医学ともいえる。個体発生こそ、個別化の最たるものだから、再生医学の臨床応用を普遍化するのはかなり難しいのではなかろうか。理論的に(何の理論かは知らないが)、100%効果がある分子量300前後の化学物質治療(通常の薬物療法のことです)ですら、臨床で半分効果があれば、大したものだ。比較的単純な組織はともかく、高度に個別化した中枢神経をターゲットとした、普遍的な再生医療なんて、本当に成立し得るのだろうか。

再生自体は個体発生を考える上で、大変興味深い分野である。しかし同時に、再生医療はお金を生む匂いがする分野でもある。今、「再生」が旬なのも、後者の研究者が集まろうとしているという面が強いように思う。他方、世の中すべて「お金」の風潮が、アメリカ発金融不況の背景だと思う。この風潮が科学や医学の世界に入り込んで、日本でも大学の独立法人化や競争的資金獲得が推奨されてきた。今回のアメリカ発金融不況を契機として、もうそろそろ、科学や医学が金融化から脱することを考えてもいいのではないだろうか。

2009年2月9日月曜日

対象に迫ることと、対象から離れること

Sudhir Venkateshのブログ(http://sudhirvenkatesh.org/)を見て、臨床医学と社会学が似ていると思った。若い頃、先輩から、患者さんのバイタルサインを、自分のバイタルサインと感じるように麻酔をかけろと言われた。その結果、同じ手術と麻酔法でも、同じ経過を辿る症例などいないと思うようになった。社会学で一人に密着した結果、相手に入れ込んでしまうのに似ている。しかし普遍化するためには、対象から離れて、群間を比較しないといけない。社会学で、アンケート調査が必要なのと一緒だ。

社会学における、一個人に対するbiographicなアプローチと、アンケートをもとにしたをアプローチは、それぞれ、医学における症例報告と原著ということになるんだろうね。結局、医学も社会学も、個別化と普遍化の間でもがいているってことか。

2009年1月26日月曜日

痛み研究会

1/22, 23と生理研(岡崎)で痛みの研究会(http://www.nips.ac.jp/cs/H20itami/index.html)があり、教室からも大学院生2名が発表した。痛み研究では、今でもneuropathic painが大きなテーマで、教室からも1題がこのテーマだった。

とはいえ、これまで臨床で経験する、神経の引き抜き損傷や、神経切断による慢性痛の患者さんの数は決して多くない。だからアメリカで、neuroptahic painが研究の主題になっているのも不思議だったし、神経絞扼モデルなどが、盛んに基礎研究に用いられる状況に違和感を持ってきた。アメリカでは銃創で神経を損傷する人が多いで、このテーマが盛んなのかなと、思っていた。

研究会の発表を聞いて、今さらながら、痛みの基礎研究と臨床(ペインクリニック)との間に大きな乖離があると実感した。痛みの診療では、最終的に、患者さんの痛みを個別化する必要がある。しかし、痛み研究が目指すものは、痛みメカニズムの一般化である。しかし、個別化にせよ、一般化にせよ、「痛みによる情動と認知の統合がいかになされているか」、という主題こそ、痛み研究でもっとも重要な課題ではなかろうか。 でもこの課題は重すぎて、現状では、その解決の糸口すら見えていない。 だから、おのずとネズミの痛み行動と、その原因の分子レベルでの解明(レセプタやチャネルの増減と、それらの遺伝子レベルでの調整)が、もっともかっこいい研究テーマに見える。

しかし、そもそもネズミが痛がって足を振ったり舐める行動と、ヒトが「痛い」と訴える、(恐らく)高度な神経活動との間に、どのような関連性があるか、さっぱりわからない。inbredなラットといえども、当然、個体によって行動や性格?には大いなる差がある(ラット一家と暮らしてみたら.服部ゆう子著http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/search-handle-url?%5Fencoding=UTF8&search-type=ss&index=books-jp&field-author=%E6%9C%8D%E9%83%A8%20%E3%82%86%E3%81%86%E5%AD%90)。したがって、動物における個体差を無視して、あるいは無視できる現象のみを対象として得られた研究結果は、結局、臨床応用には耐えないのではないだろうか。

2009年1月12日月曜日

とうとうきたか!

とうとうきたか! 慢性痛の補償の裁判にfMRIが使われるかも知れないという記事がScienceに載っていた。http://www.sciencemag.org/cgi/content/full/323/5911/195

今回は示談で済んだようだが、今後、fMRI、PET、脳磁図をもとに、痛みの研究者が、「患者が本当に痛いのか」について、法廷で証言を求められる時代になるのだろうか。

そもそもアメリカでは、neuroscienceの最新の知見が、法曹界に大きな影響を与えつつあるらしい。http://www.cell.com/neuron/retrieve/pii/S0896627308008957 例えば、幼少時の外傷や、テレビゲームのやり過ぎで前頭前野が損傷したら、切れやすい人や犯罪者になるかも知れないという例の仮説がある。今後は、脳障害が原因として裁かれるようになるのだろうか。また、fMRI、PETなどが、被告の感情の証明や、嘘発見にも利用されるかも知れないそうな。

現在、研究は細分化されてしまったので、少しでも分野が違うと、研究手法が正当かどうか、専門家でも判断に迷う。このような状況でneuroscienceを法曹に持ち込むと、あやふやな知見による判決が出されるかも知れない。現代版の魔女裁判ってことか、ちょっと心配。

はじめます

僕が信州松本に赴任して1年経った。しかし、最近どうも、教室の若い人達と話をする機会が少ないような気がして反省している。学生実習が終われば、そのまま委員会や学会事務局に向かい、不在になることも少なくない。

僕の元ボスは、僕が若い頃、真夜中まで勉強していたら、時々教授室に招き入れては、いろいろと話してくれたっけ。教室の主宰者が何を考えているかを、若い教室員が知ることは重要だと思う。まあ、大したことは考えていないのだが...ボスが大したことを考えていないということを知るのは、教室員にとって重要だと思う。そして、相手が何を考えているかを想像すること、知ることは、コミュニケーションにとって大事なことだと思う。

そこで、教室の人達に向かって、柄にもないブログを始め、僕が普段考えていることや、感じたことを書いてみる。元来、筆不精なので、どうなることやらわからないが、まず始めてみる。

とはいえ、やっぱり一番大事なのは、face to faceで話をすることです。早朝だろうが真夜中だろうが構わないので、臨床や研究で悩んでいることがあれば、遠慮なく教授室まで相談に来てくださいな。教室員の相談に乗るために、僕はここにいるんだからね。